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ねこログ

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2023.05.21
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リュウキュウツバメ(ツバメ科)

セッカ(ウグイス科)

シロチドリ(チドリ科)

セイタカシギ(セイタカシギ科)

キアシシギ(シギ科)

コアジサシ(カモメ科)


「ねこログ」、総目次(笑)/新・「ねこログ」、総目次(笑)/続・「スクラップ・ブック」、の、目次。
目次:鳥の「渡り」と「南北問題」再論、「伊勢物語・東下り」、「餉(かれいい)ほとびにけり」、再々論・・・人生は、できなかったこと、の一覧表、ソレハ、アンタダケダロウ?(笑)・・・(1)群れをつくること、(2)番(つがい)を作ること、(3)繁殖すること(笑)/アオサギの近縁種や、チョウゲンボウ、イソシギやオナガガモ、そんな名を聞くだけで、「親しみ」の度合いが違ってくるものだ、ロード・アイランドの水鳥たち・・・ジュンパ・ラヒリ「低地」、は続く/沖縄県那覇市で、「テヘランでロリータを読む」の「ギャツビー裁判」と、「ザ・グレート・ギャツビー」を読む・・・「夜はやさし」研究がはさまってさらに先送りとなるものの、「読書百遍・・・」というが、既にこの作家を「愛し」始めているようなのに気づいて、我ながら驚く(笑)・・・「バイユー・カントリー」、パリのアフリカ系アメリカ人、など。/「トーキョー・バイオレット」、「山男」、「たとえば、風の中を自由に歩ける、こと、について」、再々論、・・・、「ムラサキ」という植物の名。/「上弦」直前の七日月以来の晴天、月を見る習慣が無くなっていた・・・そう、台風が来たしね、うん、「ミ○○ル」もあったからね!、いや、それは関係ないだろ?(笑)・・・旧暦四月の月、「ストロベリー・ムーン」と呼ぶそうだが、その由来の調査/「ばったもん」、「鳥肌」、「鳶に油揚げ」研究(笑)、ナボコフの描いた「電線」の記憶、とか、「ドント・コール・イット・“オスプレイ”」、再論、とか/




去ってしまう者たちと、やってくる者たちとが、交錯する稀有な季節。もういなくなっているのでは?すでに、到着しているかも?、と「心配性」は、何度も足を運ばねばならなくなる。




リュウキュウツバメ(ツバメ科)


農道脇に停めてエンジンを切る、シートにどっかと腰おろして、全開の窓からカメラの筒先だけ出して「被写体」に向ける。もっとも怠惰(笑)、だがもっとも手堅い、サトウキビ畑バードウォッチング。

あそこの電線にぽつねんと止まっているのは、セッカ(ウグイス科)ではないかな?「なわばり」上空を、疲れを知らぬ様子で滑空するのだが、ときどきは、こうして休んでいるに違いないのだ、ただ、休んでいるだけに、あの、「じゅ、じゅ、じゅ、じゅ、ちちちっ、ちちちっ」という特徴的な声を、捉えられないのは、残念といえば残念といえるが。








セッカ(ウグイス科)

ウラナミシジミ(シジミチョウ科)



シロチドリ(チドリ科)


おや、まだ、こんなところにいらしたんですか?遅刻してしまいますよ、などと言ういらぬおせっかいを(笑)。

渡り鳥の「渡り」という振る舞いは、悪い頭で考えれば考えるほど(笑)、不思議きわまりないものに思えてくる。もう、五月も中旬になるというのに、彼ら、クロツラヘラサギ(トキ科)、はまだ遥か彼方、朝鮮半島北部から、シベリアにかけて、といわれる「北」の「繁殖地」に向かわなければならないはずなのである。ここは、沖縄本島最南端の海岸なのだが、この島の、もう少し北の方の干潟で「越冬」したのだろうと思われる集団は、もう、とっくに、二月か三月頃に、去ってしまっているはずだ、ということは、こいつは、おそらく、台湾かフィリピンか、もっと「南」かもしれない、で「越冬」したものたちの一部であって、今は、旅の途中、おりしも、宮古、八重山から、ここ沖縄本島を隔てる、300キロあまりの、まことに「島影一つない、絶海」という、最大の難所を渡り切ってきたばかりだから、十分休息を取り、栄養補給も必要であろう、しばらく、滞在している、といった事情なのだろう、と想像される。重力ポテンシャルに抗して「空を飛ぶ」というのは、もちろん我々の(笑)想像を超えた難事であるが、大量のエネルギーを必要とするのは間違いない、どうして、そんなにまでして、・・・、旅の途中で失われてしまう個体も多々あるに違いない、そんな「リスク」を引き受けてまで、「渡り」をしなければならないのか?・・・ものの本には、「南」よりも「北」の土地の方が、「生産力」が高いので、「繁殖」に要するエネルギーを獲得するのが容易なのだ、と、こともなげに(笑)書かれているのだけれど、・・・、「南」の植生の持つ、猛烈きわまりない「繁殖力」を目の当たりにしている者の眼からは、その説明は、なんだが逆説的であるようにも思えてしまう、アジサシなどの仲間の中には、なんと、北極と南極を往復、という渡りの形態をとるものもあるようだし、そもそも、「南半球」にまで目を広げれば、「北/寒冷地」―「南/温暖地」という「北」の「常識」も反転してしまうのだから、「越冬」という言葉さえ、おかしなものになってしまうだろう、・・・、それでも、「渡り鳥」の多数を占める者たちが、もっぱら、ユーラシア大陸の北極海沿岸地帯、を「繁殖地」として選・ん・で・い・る・ことは間違いないようなので、事実として、その地の「生産力」が、高いのだろう、ということは認めざるを得ないんだろうな、「南」は、生物の「繁殖力」も高い代わりに、「分解者」の働きも活発だから、有機物が、地中に残らないのだ、という説明も聞いたことがある、なるほど、同様の、「豊かさ―貧しさ」の「ねじれ」は、たとえば、「南」の海は、どうして透明度が高いのか?それは、プランクトンすら生育できないほど、紫外線が強すぎるからだ、という答えになる、だから、サンゴ礁という遮蔽物の陰に、多品種少量の生態系が構築されるようになったのだ、という話と、パラレルなのかもしれない、・・・、あるいは、「北/南」という枠組みで考えると、複雑すぎるものに見えてしまうから、たとえば、この惑星上の全栄養分を、目まぐるしい「移動」を持込むことで、いわば、「時間差」をつけて、公平に、有効利用しようとする試み、などと「解釈」すべきなのでは、・・・、悪い頭で考えるのは、このくらいにして(笑)、この浜辺からも、まもなく、すっかり「冬鳥」の姿が消え、当地で繁殖する留鳥たち、シロチドリ(チドリ科)など、そして、同じく当地で繁殖するた・め・に・さらに南から渡って来た「夏鳥」、アジサシ類(カモメ科)などの、「天下」(笑)となる、ところが、それから一月も経ち、早々七月の初めには、もう、「南」へ向かう一番の「冬鳥」たち、キョウジョシギ(シギ科)なんかの声が聞こえはじめるのだ、・・・、まことに、彼らは「勤勉」なのだが(笑)、彼ら自身にしてみれば、それが当たり前なんだから(笑)、とくに「自慢」しているふうにも見えないところに、また、怠惰な観測者としては(笑)、尊敬の念を新たにしてしまう、というわけだな。






クロツラヘラサギ(トキ科)



キチョウ(シロチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)


「群れ」というものを目撃するときの、ある種の気持ちの「昂ぶり」は、一体何なのだろう?単細胞生物の「群れ」が、多細胞生物にな・っ・た・、その昔を懐かしんでいるのかも、とか(笑)。

十全なる「個人」てなものが、はじめから存在していて、それらが、「契約」によって、互いに「権力」を委譲しあい、「国家」を作りあげた?、なんて話、そう考えると、やはり「噴飯もの」に思えてくる、などと言う偉そうな話には、しないように(笑)・・・。「潮目」としては、「満潮」に近いころだから、水鳥たちは、如何にその長い脚をもってしても、仕事がないので、休んでいるはずだ、狭くなった陸地に、それらがひしめき合っている訳だから、個体の「密度」は、高くなる、とも言える、このセイタカシギ(セイタカシギ科)、ご一行は、やはり、もっと「南」の方で越冬したものが、今、旅の途中に当地に立ち寄ったところなんだと思われる。






セイタカシギ(セイタカシギ科)


かの、在原業平一行に、「餉(かれいい)ほとびにけり」状態になってしまうほど、涙を絞り出させたのも、ただただ「みやこどり」という、「名前」のなせるわざだったのだからね。

この鳥が、「京女」という名前をもっているのは、そう言えば、翼の色は艶やかだし、お顔まで、「白粉(おしろい)」でお化粧したみたい、たとえば、祇園の舞妓さん、なんかをその命名者が思い浮かべられたからのだろう、・・・、もちろん、渡りの途中に京都府上空を通過したかもしれないが(笑)、別にその町とは、さして深い関係がある訳でもない、・・・、それでも、私自身、自分が、二十年ばかり暮らしたその町、もはや、何の係累もないから、「帰る」ことも決してなかろう、地図を眺めても、知らない地下鉄路線とかどんどんできているし、デパートの名前なんかも変わってしまって(笑)、もし今訪れても、浦島太郎のように迷子になってしまうだろう、その町のことが思い出されて、ちょっと、胸が「きゅん」としてしまったりするのは(笑)、ひとえに、その「名辞」の効力なのであろう、かの、在原業平一行が、「みやこどり」、現在は、ミヤコドリ科ミヤコドリ、ではなく、カモメ科ユリカモメ、に比定されているその「みやこどり」という名のみを聞いて、涙をぼろぼろ流し、「餉(かれいい)ほとびにけり」、αデンプン食品ですから、さしずめ、今なら、「カップ麺」でございますな(笑)、状態になってしまったのも、その同じ効力だったのですね、・・・、満潮の折に、干潟のここかしこで休息をとっている、数多の鴫、千鳥たち、当地で越冬した者たちは、とっくに去ってしまっているはずだから、もっと南からの旅の途中と思われる、・・・、毎年、秋の初め、最初に姿を見せる「冬鳥」も、この、キョウジョシギ(シギ科)であることが多いから、もちろん、同じ個体であるわけではないのだが、他人事ながら(笑)、ずいぶん忙しそう、と「心配」してしまう。
・・・
ああ、記憶違いであった、同じ「東下り」の段ではあるが、・・・、
「みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり」は、「唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」、三河の国八橋、カキツバタが咲き乱れていたので、その花の名を一字ずつ読み込んで歌を作れ、という話のところ
そして、「武蔵の国と下つ総の国」の間の「すみだ河」、「白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ、魚を食ふ」鳥が「これなむ都鳥」と呼ぶのだと聞いて、こんどは、「乾飯」は食べていない、「舟こぞりて泣きにけり」、になったのだった。










キョウジョシギ(シギ科)

クロサギ(サギ科)・黒色型


動物は動くかもしれないし、海面は時々刻々変化する、固定した背景として頼りにできるのは、陸地、サンゴ礁由来の穴だらけの石灰岩、だけなのだ、・・・。

だから、その、穴だらけの「模様」を頼りに、写真を切り抜いて、つなげて、「アニメーション・フィルム」みたいにする、という、まさに閑人らしい(笑)ことをするのだが、旧暦四月の新月も近い、そろそろ満潮時、なるほど、こんな遠浅の海岸でも、波が結構激しいことが、ご覧になれるでしょう・・・脚のつかない、この刻限を、彼ら渉禽類たちは、岩の上で、休んだり、眠ったりしている、そう、片方ずつ休めるために、一本足でね、・・・、それもなかなか、大変なことなんだろうな、と想像できるわけだ、ダイゼン(チドリ科)、いや、もちろん、非常によく似たムナグロ(チドリ科)、かもしれない、やはり、さらに南からの旅の途中であろう、最後の方に見える、お顔の真っ黒のは、すっかり「婚姻色」、すなわち「夏羽」、に生えかわった、オスだろうと思われる。






ダイゼン(チドリ科)


人生は、できなかったこと、の一覧表、ソレハ、アンタダケダロウ?(笑)・・・(1)群れをつくること、(2)番(つがい)を作ること、(3)繁殖すること:(1)「群れをつくること」編

この「バードウォッチャー」は、「トリ」に対してすら、嫉妬しているらしい、ことに気付き、さすがに、苦微笑を禁じ得ない(笑)。キアシシギ(シギ科)、この島の各所の干潟で越冬した者たちは、もうずいぶん以前から姿を見ないから、とっくに北へ旅立ったのだと思われる。だから、これは、やはり、もっと南の島々で越冬したのが、一団となって旅を続けている、その一コマなのであろう。冬場に見るよりも、なお一層、その名の如く、足が黄色く見え、翼の色も、もともとくすんだ色だが、くっきりしているように感じられるのは、やはり、「婚姻色」、「夏羽」に生えかわりつつあるからなのだろう。






キアシシギ(シギ科)


人生は、できなかったこと、の一覧表、ソレハ、アンタダケダロウ?(笑)・・・(1)群れをつくること、(2)番(つがい)を作ること、(3)繁殖すること:(2)「番(つがい)を作ること」編

コアジサシ(カモメ科)、おそらくもっと南で越冬して、夏のかかりにこちらにやってきて、繁殖活動にはいる。例えば、この海岸でも、「コロニー」を作って、営巣、抱卵、育雛、を行うらしい、まもなく、親とよく似た、サングラスをかけた「悪者」みたいな顔つきだが(笑)、翼もまだらで、頭もごま塩みたいな、「子供たち」の姿が、あちらこちらに見られることとなるだろう、・・・、人間の子供は、つねに、「苦手」であった(笑)、こちらも子供のときは、そんなに「えげつない」いじめはなかったけれど、つねに「嘲弄」の対象であったし(笑)、大人になってからは、無能な予備校教師、だったから無理もないが(笑)、やはり子供たちから「愚弄」されてばかりいたからね、それでも、年を取るごとに、そのような「恩讐」も彼方へ去ったのか(笑)、鳥や猫ばかりでなく(!)、人間の子供す・ら・、「可愛い」と思えるようになってきたから、不思議だ。




















コアジサシ(カモメ科)

ミサゴ(タカ科)

シロガシラ(ヒヨドリ科)

トックリキワタ(アオイ科)

タイワンツチイナゴ(バッタ科)





シロガシラ(ヒヨドリ科)

グンバイヒルガオ(ヒルガオ科)

コアジサシ(カモメ科)

リュウキュウアサギマダラ(マダラチョウ科)、ランタナ(クマツヅラ科)

ヒヨドリ(ヒヨドリ科)



ゲットウ(ショウガ科)




The Lowland(2014)/Jhumpa Lahiri
・・・
He continued out to the breachway in Charlestown, where the spartina had turned pale brown. The sun was already low in the sky, its glare too strong. Approaching a salt pond, he pulled over to the side of the road.
チャールズタウンで、彼は「ブリーチウェイ」のほうへ進路をとった、一面に、ヒゲシバが白っぽい茶色に色づいていた。太陽はすでに傾きつつあったが、日差しはなお強かった。「塩水湖」に近づいたところで、彼は道路わきに車を停めた。
Blending into the grass was a heron, close enough for Subhash to see the amber bead of its eye, its slate-colored body tinted with the late afternoon light. Its neck was settled into an S, the sharp length of the bill like the brass letter opener his parents had given him when he left India.
草地をかき回しているのは、「鷺/ヘロン」だった、ほんのすぐそばにいるので、スブハシュは、その琥珀色のビーズのような目や、粘板岩のような灰色の身体が、夕刻の陽光に染められるのさえ、見ることができた。その首は、「S」の字の形をしていて、鋭く長いくちばしは、まるで、彼がインドを離れる際に、両親が贈ってくれた真鍮製のレター・オープナーみたいだった。
He rolled down his window. The heron was still, but then the curved neck extended and contracted, as if the bird were aware of Subhash's geze. The egrets in Tollygunge, stirring the muddy water as they hunted, were scrawnier. Never as shapely, as regal as this.
彼は車の窓を開いた。「鷺/ヘロン」はじっと動かなかったけれども、やがて、その湾曲した首を伸ばして、そしてまた縮め、まるで、スブハシュの視線に気が付いたようなそぶりを示した。トリーグンゲで、泥水をかき回して餌をあさっていた「鷺/エグレット」は、もっとやせこけていた。こんなに均整の取れた、王者のような風格は、なかった。
His satisfaction was in watching, its breast feathers drooping as it dipped its heads toward the water, as it took slow strides on long, backward-bent legs.
眺めているだけで満足だった、頭を、水中に突っ込むときや、その後ろ向きに曲がった長い脚で、ゆっくり歩くときに、胸の羽毛が垂れ下がる様子などを。
・・・
The next afternoon he returned to the same spot. He walked along the edge of the marsh, searching for the bird's outline. He stood watching the horizon as the light turned golden and the sun began to set. He wondered if perhapps the bird had flown off for the season. Then suddenly he heard a harsh, repetitive croaking.
翌日の午後も、彼は、同じ場所へ行ってみた。沼地のふちに沿って歩き、あの鳥の姿を探した。沈み始めた太陽の光を受けて、水平線は金色に染まっていた。もう、あの鳥は、「渡り」の季節だから、去ってしまったのかもしれない、と思った。だが、そのとき、荒々しい嗄れ声が、くり返し聞こえてきたのだ。
It was the heron taking flight over the water, its great wings beating slowly and deliberately, looking at once encumbered and free. Its long neck was tucked in, dark legs dangling behind. Against the lowering sky the silhouette was black, the tips of its primary feathers distinct, the forked division of its toes.
あの「鷺/ヘロン」が、水面の上を飛んでいたのだ、巨大な翼をゆっくり、慎重に動かしながら、それは、同時に、型にはまった動きにも、自由な動きにも見えた。長い首はひっこめられ、黒っぽい脚は、後ろのほうに伸ばされていた。低く見える空を背景にすると、そのシルエットは黒く、風切り羽の先端と、フォークのような足指だけがくっきり判った。
The Lowland(2014)/Jhumpa Lahiri、「低地」ジュンパ・ラヒリ
・・・
Charlestown:Kingstownの西、10キロあたりの海岸沿い。地図を眺めると、この町の海岸線に沿って、「Salt Ponds Region塩水湖地帯」と呼ばれる、内海が広がっている、「Breachway」という単語が辞書に見つからないので悩まされたが、これは、その「内海」と「大西洋」をつなぐ人造の運河を指す、固有名詞のようだ、「breach」は、「違反、侵害」であるが、堤防などの裂け目を指す用法もある
Spartina:イネ科の、ヒゲシバの類、海岸沿いの塩分濃度の高い沼地に生育する
・・・
1960年代末、「ナクサリ派」の活動家への道を歩みつつある、兄弟、ウダヤン、と別れて、スブハシュは、Ph.D取得のため、アメリカに留学、ロード・アイランド大学で、海洋化学を学ぶ、・・・、この大学にほど近い海岸地帯は、広い、干潟となっているようで、鳥などの野生動物の宝庫であるらしい、なかなかきめ細かな観察が描かれているので、「バードウォッチャー」のはしくれとしては、気になったところ、・・・、「鷺」に当たる英単語は、「heron」、「egret」、「bittern」の、およそ3つがあり、これが、分類学上のものとは、必ずしも対応しないことは、前回も見た、・・・、「bittern」は、首の短い、小型の、ずんぐりとした、ヨシゴイなどを指し、「egret」は、日本語の「白鷺/しらさぎ」に対応する、まさに、白・い・サギを指す言葉のようである。そして、白・く・な・い・ものが、一般に、それこそ「王者の如き風格」の、巨大なアオサギも、ずっと小型のゴイサギも含めて、「heron」になるようである。体色が、「スレート/粘板岩」のような灰色、とのことだから、おそらく、ここで彼が目撃したのは、アオサギなんだろう、ただし、アオサギGrey heron、そのものの分布域は、ユーラシア大陸、アフリカ等、いわゆる「旧世界」であって、アメリカ大陸には、近縁種の、「Great blue heronオオアオサギ」が分布しているようである、このオオアオサギには、ちょうど、当地の留鳥クロサギPacific reef heron、のように、「白色型」も存在しているらしい。新たな住居として定めた、このアメリカ合衆国の雄大な自然への憧憬の強さが、そうさせているのだろうが、その地の「王者の如き」アオサギ、「ヘロン」と、故郷、カルカッタの、「痩せぎす」の「鷺/エグレット」などと対応させるのは、後者に対して、ちょっと申し訳ない気がしなくもないが(笑)、ちなみに調べてみると、例えば、コサギLittle egretは、インド亜大陸にも、留鳥として居住しているようなので、トリーグンゲの沼地にいたのも、こちらかもしれないと思う。

コサギLittle egret、分布域
:breeding繁殖地
:resident留鳥
:non-breeding非繁殖地
・・・
このオオアオサギ、とおぼしき鳥が、もう「渡り」で去ってしまったのかも、と彼が思いこむわけだが、この記述の季節は、ルームメートの、リチャード、クェーカー教徒の反戦運動家、が「感謝祭Thanksgiving」の休暇で、シカゴの実家に帰ったので、その自家用車を借りることができた、という記述があったから、合衆国では、11月の第4木曜日、とのこと、まさに、繁殖を終えた鳥たちが、南へと、越冬の旅に出る季節なのであった、例えば、ロード・アイランドRhode IslandのプロヴィデンスProvidenceは、北緯42度、日本で言えば盛岡あたり、なるほど、「北」なのである、サギ類を「冬鳥」としてしか見たことがない、沖縄に来てから、にわか「バードウォッチャー」になったんだからね(笑)、者は、ちょっと混乱させられる。
・・・
  • サギ亜科Ardeinae

    • アオサギ属Ardea
      Ardea albaダイサギGreat egret
      Ardea cinereaアオサギGrey heron
      Ardea intermediaチュウサギIntermediate egret
    • アカガシラサギ属Ardeola
      Ardeola bacchusアカガシラサギChinese pond heron
    • アマサギ属Bubulcus
      Bubulcus ibisアマサギCattle egret
    • ササゴイ属Butorides
      Butorides striatusササゴイStriated heron
    • コサギ属Egretta
      Egretta garzettaコサギLittle egret
      Egretta sacraクロサギPacific reef heron
    • ミゾゴイ属Gorsachius
      Gorsachius goisagiミゾゴイJapanese night heron
    • ゴイサギ属Nycticorax
      Nycticorax nycticoraxゴイサギBlack-crowned night heron

  • サンカノゴイ亜科Botaurinae

    • サンカノゴイ属Botaurus
      Botaurus stellarisサンカノゴイEurasian bittern
    • ヨシゴイ属Ixobrychus
      Ixobrychus cinnamomeusリュウキュウヨシゴイCinnamon bittern
      Ixobrychus sinensisヨシゴイYellow bittern


参考:リュウキュウヨシゴイCinnamon bittern(サギ科サンカノゴイ亜科ヨシゴイ属)

参考:左から順に、アオサギGrey heron(サギ科サギ亜科アオサギ属)、コサギLittle egret(サギ科サギ亜科コサギ属)、ダイサギGreat egret(サギ科サギ亜科アオサギ属)
・・・
トリーグンゲのゴルフ・クラブの池の周りに群れる鷺、egrets、の描写は、こちら↓、に引用がある。また、「ヘロン」と「エグレット」の違いに関する調査結果も。
前回の、デュラス「ラホールの副領事」から、カルカッタつながりで、ジュンパ・ラヒリ「低地」へ、ジャン・ルノワールとサタジット・レイ、おや?「平家物語」まで
・・・
Holly knew all about the seabirds. She told him how to distinguish buffleheads and pintails, gulls and terns. She pointed to the sandpipers sprinting to the water's edge and back. When he described the heron he's seen his first autumn in Rhode Island, she told him it had beeen a juvenile great blue without its plumes.
ホリーは、水鳥のことなら何でも知っていた。彼女は、ハジロガモオナガガモの見分け方、カモメアジサシの違い、を説明してくれた。彼女は、イソシギが、波打ち際まで疾走して、また戻ってくるのを、指差して教えてくれた。彼が、ロード・アイランドに来たばかりの秋、見かけた「鷺/ヘロン」について語ると、それなら、オオアオサギの、まだ「冠羽」の生えてない若鳥だろう、と断定した。
Going to her car to fetch binoculars, she showed him how to magnify a group of mergansers, beating their wings in a steadfast direction over the bay.
車に双眼鏡を取りに戻りながら、彼女は、アイサの一群が、湾の上で、一定の方向に翼をはばたかせることで、いかに、自分たちを大きく見せようとしているかについて話してくれた。
Do you know what the baby plovers do?
チドリの子供たちがどんなことをするか知ってる?
No.
いや、知りません。
They group themselves in the sky because the adults keep calling to each other. They fly all the way from Nove Scotia to Brazil, resting only occasionally on the waves.
親鳥たちが、お互いに声を交わしあっている中で、空中で集団をつくってまとまるのよ。彼らは、ノヴァ・スコティアからブラジルまで、はるばる飛び、休息は、ときどき、波の上に浮かびながらとるくらい。
They sleep on the sea?
彼らは海の上で眠るのですか?
They navigate the world better than we can. As if compasses were built into their brains.
彼らは世界の地理を私たちよりずっとよく知っている。まるで、脳に方位磁石が組み込まれているみたい。
She was curious about birds in India, and so he described those that she would not have seen. Mynas that nested in the walls of buildings, kokils that cried throughout the city at the start of spring. Spotted owlets hooting at twilight in Tollyfunge, tearing apart geckoes and mice.
彼女は、インドの鳥たちについても、知りたがった、だから彼は、彼女が見たことがなさそうなものについて、説明した。建物の壁に巣作りする「マイナ」や、春の初めには、町中で鳴いている「コキル/セグロカッコウ」について。それから、トリーグンゲでは、「まだら模様のフクロウ」がたそがれ時には、ホーホーと鳴き、ヤモリやネズミを引き裂いて食したりすることについても。
The Lowland(2014)/Jhumpa Lahiri、「低地」ジュンパ・ラヒリ
・・・
bufflehead:ヒメハジロ
pintail:オナガガモ
必ずしもこのままの種名が、北米大陸で見られるのかどうかの確認はとっていないが、大雑把に言って、前者が、「潜水性」のハジロ属、後者が、水面に浮かびつつ採餌する、マガモ属、の代表と見てよかろうと思う
gull:カモメ科カモメ亜科
tern:カモメ科アジサシ亜科
後者が、海面を旋回し、急降下して、文字通り「鰺」を「刺す」、習性をもったグループ、と思われるが、下表に見るように、両者の分類は、なかなか複雑なようである
merganser:カモ科アイサ属
plover:チドリ科
Myna:インド、パキスタン、バングラデシュなど、南アジアに住む、ムクドリ科Sturnidae/starlingに含まれる何種かの鳥
kokil:サンスクリット語に由来する言葉のようで、「カッコウ科セグロカッコウIndian cuckoo」を指すようである
owlet:フクロウ目Owl、に属するもののうち、小型のものを指すようである、フクロウ科に、「Spotted owlet」という英語名の鳥、インド亜大陸原産、があるようだが、対応する和名は見つからなかった

シギ科分類表

チドリ科分類表

カモ科分類表

カモメ科分類表
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At the foot of the campus, at the base of a steep hill, there was a small beach strewn with gray-and yellow stones where he liked to eat his lunch. There were views of the bay; and the two bridges going to islands offshore. The Jamestown Bridge was prominent, the Newport Bridge, a few miles in the distance, more faint. On cloudy days, at intervals, the sound of a foghorn pierced the air, as conch shells were blown in Calcutta to ward off evil.
...
When Richard decided Subhash was ready, he let him take the car through town, navigating him toward Point Judith, the corner of Rhode Island that abutted no land. ...
...
He drove through Galilee, where the fishing boats came and went, past mudflats where men waded in rubber boots to harvest clams. ...
...
In the spring semester, for three weeks, he boarded a research vessel with a group of students and professors. ...
...
... They docked first in Bussards Bay. A barge had hhit rocks off the coast of Falmouth two years before, running aground on a foggy night, spilling nearly two hundred thousand gallons of fuel oil. The wind had pushed it into Wild Harbor. The hydrocarbons had killed off the marsh grass. Fiddler crabs, unable to bury themselves, had frozen in place.
...
They continued on to survey Georges Bank, where the phytoplankton was in bloom, the population of diatoms exploding in great swirls of peacock blue. But on cloudy days the ocean looked opaque, as dark as tar.
...
... They took the ferry from Galilee to Block Island, traveling more than ten miles out to sea, and walked together from harbor to an inn.
... They had come to see the kestrels, starting to fly south now over the island. ...
キャンパスの下手、険しい丘のふもと、には、灰色がかった黄色い小石だらけの小さなビーチがあって、彼は、よくそこで昼食を食べた。そこからは、湾がよく見渡せて、沖合の島に向かう二つの橋も見えた。「ジェイムズタウン橋」のほうがはっきり見えて、そこから数マイル先の「ニューポート橋」は、やや霞んでいた。曇りの日には、霧笛の音が大気を貫く、まるで、カルカッタでよく聞いた、邪神を追い払う巻貝の音みたいだった。
・・・
リチャードは、スブハシュ(の運転技術)が、もう大丈夫と判断すると、彼に運転さっせて、町中を案内した、ロードアイランドの果てに当たる、ユーディット岬まで。
・・・
彼は、ガリレーも通り抜けた、そこでは、漁船が、干潟で、長靴を履いて貝を採集している人たちのわきを通り過ぎて、いくつも出たり入ったりしていた。・・・
・・・
春学期がはじまると、三週間ばかり、彼は、学生たちや教授たちのグループにまじって、調査船に乗った。・・・
・・・
・・・その船は最初に、バサード湾に停泊した。二年前、霧深い夜、フォールマウスの海岸で、貨物船が岩に激突、座礁して、二十万ガロン近い燃料油を流出させた。風がそれをワイルド・ハーバーのほうへ押し流した。炭化水素のおかげで、沼地の植物は死に絶えた。シオマネキたちは、穴にかくれることができず、その場で凍りついた。
・・・
彼らは調査を続けつつ、「ジョージス・バンク(砂州)」のほうへ向かった、そこでは、植物プランクトンが、繁殖の真っ盛りだった、珪藻類の個体数が爆発的に増大して、鮮やかな青色の渦巻を形成していた。だが、曇りの日には、海は、タールの色のようにくすんでいた。
・・・
・・・彼らはガリレーからフェリーに乗って、十マイルばかり沖合にあるブロック島へ向かった、そして、港から宿屋までは一緒に歩いた。
・・・南に向かった旅立ち始めたチョウゲンボウが島の上空を通過するのを見ることができた。
The Lowland(2014)/Jhumpa Lahiri、「低地」ジュンパ・ラヒリ
・・・
ジェイムズタウン橋/ニューポート橋Jamestown Bridge/Newport Bridge:ロードアイランドの、大学のあるキングスタウンKingstownから湾を挟んで、ニューポートNewportがあり、その間の中州が、ジェイムズタウンJamestown、キングスタウンとジェイムスタウンを結ぶのが、ジェイムズタウン橋、ジェイムズタウンとニューポートをむすぶのが、ニューポート橋
conch:巻貝
clam:二枚貝
fiddler crab:スナガニ科シオマネキ類、「fiddler」は、「バイオリン弾き」、「calling crab」とも呼ばれる

参考:ハクセンシオマネキ(スナガニ科)、なるほど、この、オスの、左右どちらか一方だけが大きなハサミ、「fiddler crab/『バイオリン弾き』蟹」言われてみれば、バイオリンを抱えているように見えるね、もう一つの英語名「calling crab」は、和名と同じ、大きく伸び上がって両方のはさみを振る仕草が、「潮」を「呼んでいる」、「招いている」ように見えたからだろう。
・・・
ガロンgallon:いくつかの定義が存在するようだが、いずれもおおよそ、4リットル・・・したがって「二十万ガロン」は「八十万リットル」、1リットルは、一辺10cmの立方体の容積だから、10-3m3、だから、これは、「八千立米/8000m3」、一辺20mの立方体の容積に当たることになる
Georges Bankジョージス・バンク(砂州):アメリカ合衆国マサチューセッツ州、ケープ・コッドCape Cod、と、カナダ、ノヴァ・スコティア州セーブル岬島Cape Sable Island、(下の地図では、ちょうど右端で切れてしまっている)の間に広がる、水深の浅い海域

Georges Bankジョージス・バンク(砂州)
・・・
phytoplankton:植物プランクトン、動物プランクトンはzooplankton
diatom:珪藻
peacock blue:光沢のある青色
kestrel:チョウゲンボウ(ハヤブサ科)、引用部分は、「九月のある週末」の話、だから、確かに、「南」への「渡り」が開始される季節なのである、猛禽類の分類等については、以下参照↓
ナボコフの描いた「電線」の記憶、とか、「ドント・コール・イット・“オスプレイ”」、再論、とか
他・の・生き物を「見る」ためには、相手の警戒を解除するためには、こちらの「存在」を消去しなければならない、という発見、哺乳類のくせに鳥類に「憧憬」する「ヒト」という種、キツネアザミのララバイ(笑)、ダーウィンとヴィトゲンシュタイン、とか
・・・
アメリカ東海岸、「ニュー・イングランドNew England」、メイン州Maine、ニューハンプシャー州New Hampshire、バーモント州Vermont、マサチューセッツ州Massachusetts、ロードアイランド州Rhode Island、コネチカット州Connecticut、の6州を合わせた名称、とのこと、は、最初の入植者たちが、「ピューリタン」を中心とする集団だったからなんだろうか、「聖書」に典故を有する地名が、しばしばみられるように思われる、例えば、「ユーディット岬Point Judith」、これは、またしても中途で頓挫しているが、ボーヴォワール「第二の性」の冒頭近くに登場したので、そのとき調べた、「旧約」の一部、ないし「外典」として扱われる「ユディト記」、に描かれた女性の名、また、「ガリレー/ガリラヤGalilee」は、イスラエル北部から、ヨルダン、レバノン南部にかけての地名、その名称を持った湖があり、「新約聖書」に、しばしば言及される。
さて、大幅に、そ・れ・て・し・ま・っ・た・「話」、をもとに戻して、つまり、セイディー・スミス「ホワイト・ティース」精読に戻ることにすると、・・・、エリカ・ジョング「飛ぶのが怖い」、ボーヴォワール「第二の性」などが飛び出してきてしまって、・・・

イスラエル、西岸、ヨルダン、レバノン南部、シリア南部、エジプト東部
・・・

Civil War-Era USA

カナダ、州区分図

ロードアイランド、マサチューセッツ南東部

Massachusetts, Connecticut, New Hampshire・・・「マサチューセッツ」の南、「コネティカット」の東、「RI」と表記があるのが、「ロード・アイランド」、プロヴィデンス、が州都、「Kingstown」という町に、ロード・アイランド大学があるから、おそらくこのあたりが、引用部分の舞台になっているのであろう




「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド (新潮文庫)/The Great Gatsby/F Scott Fitzgerald
The Great Gatsby(1925)/F. Scott Fitzgerald(Project Gutenberg)
F. Scott Fitzgerald(1896-1940)
・・・
・・・ぼくは一九一五年に、父よりちょうど四半世紀おくれて、ニューヘイヴンを卒業したが、まもなく、世界大戦という、あのチュートン民族の時代おくれの民族移動に参加した。・・・
・・・
・・・父は一年間ぼくに金を送ることを認め、かくてぼくは、何やかやで遅れた挙句、二二年の春、東部へやってきたのである―永久に、と、自分では思っていた。
・・・
「なんでまた蝋燭なんか」デイズィが眉を寄せて言った。そして手を振ってさっとそれを消すと「あと二週間たつと、一年中で一番日の長い日がくるのよ」と言いながら顔を輝かせてぼくたちみんなを見やり「あんたたち、一年中で一番日の長い日をいつも待ち受けていながら、いよいよというときにうっかり過ぎてしまうことあって?あたしはね、一年中で一番日が長い日を待ち受けていながら、いつもうっかり過ごしてしまうんだ」
... I graduated from New Haven in 1915, just a quarter of a century after my father, and a little later I participated in that delayed Teutonic migration known as the Great War. ...
...
... Father agreed to finance me for a year, and after various delays I came East, permanently, I thought, in the spring of twenty-two. ...
...
“Why candles?” objected Daisy, frowning. She snapped them out with her fingers. “In two weeks it’ll be the longest day in the year.” She looked at us all radiantly. “Do you always watch for the longest day of the year and then miss it? I always watch for the longest day in the year and then miss it.”
「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド/The Great Gatsby/F Scott Fitzgerald
・・・
ニューヘイヴン/New Haven、イェール大学の所在地、であることは、以前、サリンジャー研究で、見た
J.D.サリンジャー「フラニーとゾーイ―」、を読み直す。
Teutons, a Germanic tribe or Celtic tribe mentioned by Greek and Roman authors
チュートン民族、という用語は、ギリシャおよびローマ時代の著述家が用いた用語で、ゲルマン系ないしケルト系民族を指す
ここまでの段階で、
i)語り手のニック・キャラウェイは、大学卒業の年齢が、22歳ぐらいと想定すれば、その生まれ年は、1893年、筆者、フィッツジェラルド自身より、少しだけ年上であること
ii)ロングアイランドの、描かれている地形にとても似た場所があるのだけれど、一応架空の地名である「ウェスト・エッグ」、ギャツビー邸のとなりの借家に居を構えたのが、1922年、その恐らくすぐ後、「イースト・エッグ」の、イェール大学の同窓生、トム・ブキャナン、そして、「またいとこsecond cousin」という親戚関係にある、その妻、ディジー、の住む邸宅に招待されたのが、その年、1922年の、「夏至」の二週間前、つまり、6月初旬であること
がわかったのである。・・・、ちなみに、「またいとこ」、法律的には、「六親等傍系親族」に該当し、各種の例があり得るが、たとえば、「親同士がいとこ・祖父母同士が兄弟・総祖父母を同じくする」場合など、とのこと

「親等」の数え方
・・・
「文明はいま解体しつつあるんだ」と、トムが吐き出すようにしゃべりだしたのである「おれはすごいペシミストになっちゃってね。君は、ゴダードという男の『有色帝国の勃興』という本を読んだことがあるか」
・・・
「なかなかの名著だよ。万人必読の書だね。つまり、こういうんだ。おれたちが警戒しなければだな、白色人種は、この―完全に沈没してしまうというんだな。科学的に書いたものなんだ。ちゃんと証明されているんだよ」
・・・
「あんたはよろしくカリフォルニアに住んで―」と、ミス・ベイカーが言いかけたが、トムは椅子にかけた身体をどさりと動かしてその話の腰をおると「そいつの考えはだな、おれたちは北欧人種だというんだ。おれも、きみも、きみも、それから―」ほんのすこしのためらいの色を見せたが、トムは、軽く頭を動かしてデイズィをもその中に含めた。彼女はまたぼくに片目をつぶってみせた。「―で、おれたちは、文明を形成するものをみんな産みだしたわけだ―科学とか芸術とか、そういった一切のものをさ。わかるだろ?」
“Civilization’s going to pieces,” broke out Tom violently. “I’ve gotten to be a terrible pessimist about things. Have you read The Rise of the Coloured Empires by this man Goddard?”
...
“Well, it’s a fine book, and everybody ought to read it. The idea is if we don’t look out the white race will be—will be utterly submerged. It’s all scientific stuff; it’s been proved.”
...
“You ought to live in California—” began Miss Baker, but Tom interrupted her by shifting heavily in his chair.
“This idea is that we’re Nordics. I am, and you are, and you are, and—” After an infinitesimal hesitation he included Daisy with a slight nod, and she winked at me again. “—And we’ve produced all the things that go to make civilization—oh, science and art, and all that. Do you see?”
「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド/The Great Gatsby/F Scott Fitzgerald
・・・
ここでの「ゴダード」なる人物も、その著書も、架空のものであるが、おそらく、その「ネタ」であろうというものについては、ちゃんと考証がなされているようで、ロスロップ・ストッダードLothrop Stoddard(1883-1950)なる、合衆国の歴史家、白人優越主義者にして、「クー・クラックス・クラン」のメンバー、1929年には、アフリカ系アメリカ人の歴史家にして、パン・アフリカニスト、WEB・デュボイスW.E.B. Du Bois(1863-1963)と論争を行い、第二次世界大戦中には、ドイツに特派員としておもむき、ナチ政府から破格の待遇を受けた、・・・、という人物が、1920年に著して、物議をかもした、「白人優越の世界に対する有色人種の勃興The Rising Tide of Color Against White World-Supremacy(1920)」ロスロップ・ストッダードLothrop Stoddard」なる書物が、そのモデルであろうと言われているらしい。・・・トムがさえぎってしまったから、わからないのだが(笑)、ミス・ベイカーが、「カリフォルニア」移住をすすめたのはどういう意味だったんだろう?それと、もう一つの疑問は、「北欧人種」に由来する「白人」の「おれたち」に、ディジーをカウントするのに、一瞬た・め・ら・っ・た・ことの、無意識かもしれないが、いや、もちろん、著者が、「無意識」にかこつけて示唆しようとしたのだろうが、「意味」は、なんだったのだろう?あるいは、深読みしすぎかもれないが、のちに引用すると思うが、デイジーが「カトリック」だ、という噂話を、ニックが言下に否定する、という場面があって、この作家自身が、アイルランド系であることを思えば、そのような含みも、ありえないことではないかもしれない。
補遺:この「ゴダード」については、別の考証もあるようで、マディソン・グラントMadison Grant(1865–1937)という、法律家にして、自称、形態人類学者、優性思想の推進者、生年からみて前述ストッダードより年長、その著書に献辞を書いているというから、知己の間柄であったのだろう、に、「偉大なる人種の時代の終焉The Passing of the Great Race(1916)」という書物があり、「北欧人種理論Nordic theory」といった主張は、出版されたのも先であるし、こちらが「本家」であるらしい。世界の人類を、まず「コーカサス人種/コーカソイドCaucasoids」、「黒人種/ネグロイドNegroids」、「モンゴル人種/モンゴロイドMongoloids」に分類、さらに「コーカソイド」について、「北欧人種/ノルディックNordics」、「アルパインAlpines」、「地中海人種/メディタレニアンMediterraneans」に細分類、「北欧人種」の、主導的役割を強調する、というこの理論には、さらに数十年遡って、「科学的人種理論」の始祖といわれる、フランスのアルチュール・ド・ゴビノーArthur de Gobineau(1816-1882)に始原するようである。ちなみに、フィッツジェラルドが採用した「ゴダードGoddard」なる架空の著者名は、これら二人「グラントGrant」と、前述「ストッダードStoddard」を組み合わせたものであろう、とのこと。・・・
スウェーデン、南サーミ人出身の映画監督、アマンダ・ケルネルAmanda Kernell(1986-)の、「サーミの血」Sami Blood(2016)は、1930年代、に時代設定されているが、トナカイ遊牧を生業とする先住民サーミ人の子供にスウェーデン語を教授する寄宿学校、「身体検査」に際して、子供たちの、頭蓋骨のサイズなどを、執拗に測定するさまが描かれていたが、おそらく、これも、この種の「形態人類学」的「人種理論」が、当時、興隆していたことを推察させるものなのであろう。

「サーミの血Sami Blood(2016)」アマンダ・ケルネルAmanda Kernell(UPLINK)
また、高価なので手が出ないが、ステファン・ジェイ・グールドStephen Jay Gould(1941-2002)の「人間の測りまちがい:差別の科学史The Mismeasure of Man(1981)」は、このような「生物学的決定論」に対する批判の書であるらしい

・・・
話が前後することになるが、「北欧人種理論」との関係で、フィッツジェラルド自身の「人種観」はどうだったのか、の手掛かりになりそうな部分に触れてみたい。「ギャツビー」のweb上の英語版で、「black」の検索でヒットした十数か所は、いずれも「黒人」を意味しておらず、一方「negro」が二か所見つかった、私自身の読んだ記憶でも、「黒人」が登場するのは、その二か所だけだったと思う。一つ目は、ギャツビーがニックに、ディジーとの会見を設定してくれるよう懇願すべく、わざわざニューヨークまで食事をしに、彼の車、確か、ロールスロイス、で、連れ出す場面、ほとんど「文脈」には無関係、とも思えるのに、すれ違っただけの、おそらくかなり裕福な「黒人」に対する、筆者自身の「憎悪」が、はからずも露呈したのでは、と、初めて読んだときから気がかりであった。二番目のは、デイジーの運転する、ギャツビーのロールスロイスが、ウィルソンの妻、つまり、ブキャナンの「愛人」をひいてしまった事故現場で、証人として発言する人物、「肌の色の淡いpale」、「身なりの立派なwell-dressed」という形容語句以外に、取り立てて「偏見」を示唆するものはないのだが。これも、のちに引用する予定だが、のちの作品「夜はやさし」の中で、やはり、プロットには、それほど関係があるとは思えない、唐突な形で、パリでの、ある窃盗事件の容疑者、そして殺人事件の被害者と加害者、という形で「黒人」が登場する、その「登場」のさせ方、唐突さ、自体に、何か読んでいて落ち着かないものを感じたから、あらためて、気になった。私が「黒人」だったら、その部分を読んで、「どうして突然『黒人』が出てくるんだ?『黒人』じゃなくても、別にいいんだろ?」、と、不快な気持ちにさせられるのでは、と想像できる、前も書いたが、例えば、コンラッドは、自身の書いた「闇の奥」が、コンゴ川流域の「土人」に、読まれるはずがない、と高をくくっていたからこそ、あんな、あけすけな形容ができた、事実は、半世紀ばかりを経て、チヌア・アチェベという、その、ほかならぬ「土人」の流れを引くアフリカ人の作家が、ちゃんと読むことになった訳だが、また、永井荷風の「濹東綺譚」が不快なのは、「深川洲崎遊廓の娼妓」が自分の小説を読むはずがない、と慢心している筆致だからなのだ、と、作品の表現の「差別」性判断の「クライテリア」めいたものを、発・見・し・た・つもりになって以降、こんなふうに考えることになったのだな。すると、今から思えば、多和田葉子「雪の練習生」、この作品の語り手は、ソ連の動物園で、曲芸をするメスのホッキョクグマ、のちに「西側」の動物愛護団体に救出されて西ベルリンに居住、もちろん「人語」を解し、本も読める、ある書店主が、熊が登場するから、という理由で、ハインリッヒ・ハイネ「アッタ・トロル」を紹介するが、そのクマの描き方がひどい、といって彼女が憤慨する場面があるのだが、なるほど、もちろん、ハイネは、その詩を、熊が読もうとは想定していなかったろう、カール・マルクスの朋友でもあるこの左翼活動家は、どうやら、当時の党派闘争における、論敵を揶揄する目的のみで、熊を登場させたらしい、・・・、これは、このような問題を考える上で非常に有用な、「寓話」となっていたのでは、と気づいたのだった。

ナイジェリアの作家、チヌア・アチェベの「闇の奥」批判、についてはこちら↓
そんな的外れな「同情」は、「人間中心主義」的偏見(笑)、と言わねばなるまい。
・・・
ブラックウェルズ島を横切る途中で、一台のリムジーンがそばを通り過ぎた。運転手は白人だが、車の中では、しゃれた衣裳の黒人が三人――男が二人女が一人――坐っていた。彼らが尊大な対抗意識を見せて、その黒目をぎろりとぼくたちのほうへむけたとき、ぼくは声を出して笑ってしまった。
Blackwell’s Island a limousine passed us, driven by a white chauffeur, in which sat three modish negroes, two bucks and a girl. I laughed aloud as the yolks of their eyeballs rolled toward us in haughty rivalry.
・・・
「ここはなんという所かね?」と、警官がたずねた。
「名前なんかありませんや」
肌の色の淡い、身なりの立派な黒人が一人進み出て「黄色い車でしたよ」と、言った「大きな黄色い車です。新しい」
「事故を目撃したんだな?」と、警官がたずねた。
「いや。しかし、その車が、この先でわたしのそばを通り過ぎましたからね、四十マイル以上の速さで。五十マイル、いや六十マイルかな」
“What’s the name of this place here?” demanded the officer.
“Hasn’t got any name.”
A pale well-dressed negro stepped near.
“It was a yellow car,” he said, “big yellow car. New.”
“See the accident?” asked the policeman.
“No, but the car passed me down the road, going faster’n forty. Going fifty, sixty.”
「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド/The Great Gatsby/F Scott Fitzgerald
「ブラックウェルズ島Blackwell’s Island:現在の名称は、「ルーズヴェルト島Roosevelt Island」、ロングアイランドとマンハッタンを距てるイースト・リヴァーに浮かぶ島
・・・
「・・・芝生の上に小鳥が一羽おりててね、あれ、きっとキューナードかホワイト・スターの船に乗ってきたナイチンゲールじゃないかな。・・・」
"... There’s a bird on the lawn that I think must be a nightingale come over on the Cunard or White Star Line. ..."
「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド/The Great Gatsby/F Scott Fitzgerald
「キューナードCunard」、「ホワイト・スターWhite Star Line」、ともに英国の汽船会社

サヨナキドリ(ヒタキ科)Common nightingale
繁殖地breeding
越冬地non-breeding
トムが、「不倫相手」、ウィルソンの妻からかかってきた電話に出たのち、おそらく、ディジーとの間に口論があった、しかし、客人であるニックとミス・ベイカーの前で、取り繕って語った場面だから、「ナイチンゲール」の実在性については、疑わしい、ナイチンゲール、も、その近縁種も、いずれも、アメリカ大陸には産しないようなのである、それを踏まえての、「英国の汽船が連れてきた」という発想かもしれないが、長距離の渡りをする鳥が、小さな船舶に何日間もとどまり続ける、というのも、また、想像しにくい事柄ではあろう。
・・・

ロングアイランドとマンハッタンを結ぶ鉄道路線図、Long Island Rail Road(LIRR)
こんなことは、かつて、膨大な数の「ギャツビー・ファン」が、すでに何度もやったことなんだろうが(笑)、空想上の物語に無理矢理「地図」をあてがってみる。「蕭条たるごみ捨て場the solemn dumping ground」と描かれた「灰の谷valley of ashes」として登場する、おそらくは廃棄物処理場のある地帯、眼科医「T・J・エックルバーグ/T. J. Eckleburg」の巨大な広告看板があり、ウィルソンの営む自動車修理工場のある場所でもある、が、前回調査したところでは(笑)、現在の「フラッシング・メドウズ―コロナ公園Flushing Meadows–Corona Park」ではなかろうか、ということであった。そして、語り手ニックの住居と、それに隣り合わせたギャツビーの豪邸があるのが「ウェスト・エッグWest Egg」、トム・ブキャナンとディジーのこれまた豪邸が位置するのが「イースト・エッグEast Egg」、卵のような二つの相似形の半島が「ロングアイランド海峡Long Island Sound」に飛び出している、と語られる地形に、「似ている」のは、「ウェスト・エッグ」の方が、「グレート・ネックGreat Neck」、「イースト・エッグ」が「ポート・ワシントンPort Washington」、これをこんどは、上の、「ロングアイランド鉄道Long Island Rail Road」路線図と照らし合わせてみると、その図面の左上方、赤色の支線、「ポート・ワシントン線Port Washington Branch」には、むろん、終点の「ポート・ワシントン」、そこから三つ目に「グレート・ネック」、さらに七つ目が「フラッシング大通りFlushing-Main Street」、が見つかる。
「七月四日よりは数日前a few days before the Fourth of July」、ニックは、トム・ブキャナンとともに、列車でニューヨークに向かうのだが、途中、トムが、「灰の谷」のところで急に立ちあがり、自分が「不倫」関係を結んでいる女、つまり、ウィルソンの妻、マートル、に会わせる、と言って下車、さらに、マートルを加えて、再びニューヨークに向かい、「百五十八丁目158th Street」あたりにある秘密のアパートでの乱痴気騒ぎで、ニックは泥酔することになる。列車の終着駅、「ニューヨークのプラットフォームthe platform in New York」は、したがって、「ペン・ステーションPenn Station」ということになろう。前後するが、もう少し先に、この「ペンシルヴェニア・ステーション」に触れた部分があるので、見ておこう・・・、ちなみに、この駅は、1910年に開業、フランスの「エコール・デ・ボザールÉcole des Beaux-Arts」様式に倣った壮大な地上構築物だったが、60年代に鉄道輸送が凋落する中で廃棄され、現在は、地下にあり、その上にマディソン・スクェア・ガーデンMadison Square Gardenができた、らしい。
・・・
勉強をすますと、もしおだやかないい夜だったら、ぶらぶらとマジソン街を歩いて古めかしいマリー・ヒル・ホテルのかたわらを通り、三十三丁目をぬけてペンシルヴェニア・ステーションに到着する。
・・・魅惑的な大都会の黄昏どき、ぼくは払いきれぬ淋しさにつきまとわれることもある――そしてこの同じ淋しさを他人の中にも感じたものだ――時間がくるまで食堂の前をぶらついて待ったあげく、やがてひとり寂しく定食をしたためて帰って行く貧しい若い事務員たち――夜の、そしてまた人生の、もっとも胸躍る瞬間を、むなしく浪費している、黄昏どきの若い事務員たち。
八時になり、四十何丁目あたりの小暗い街筋が、五列にならんで劇場街に向かうタクシーの群れに埋めつくされるころになると、またぼくの心は沈んでくる。
After that, if the night was mellow, I strolled down Madison Avenue past the old Murray Hill Hotel, and over 33rd Street to the Pennsylvania Station.
... At the enchanted metropolitan twilight I felt a haunting loneliness sometimes, and felt it in others—poor young clerks who loitered in front of windows waiting until it was time for a solitary restaurant dinner—young clerks in the dusk, wasting the most poignant moments of night and life.
Again at eight o’clock, when the dark lanes of the Forties were lined five deep with throbbing taxicabs, bound for the theatre district, I felt a sinking in my heart.
「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド/The Great Gatsby/F Scott Fitzgerald
・・・
ここでニックが「勉強」と言っているのは、彼はイェール大学の卒業生だからだろう、「イェール・クラブThe Yale Club」の図書館、これは、「マジソン街/マディソン・アヴェニューMadison Ave」と「パーク・アヴェニューPark Ave」、「東44丁目/E 44th St」と「東45丁目/E 45 St」の間にある、「マリー・ヒル・ホテル」は見つからないが、「マリー・ヒルMurray Hill」という街区は、「マディソン・アヴェニュー」より東、「イースト・リヴァーEast River」まで、「東34丁目/E 34th St」と「東42丁目/E 42nd St」に囲まれている、そして、この「マディソン・アヴェニュー」をさらに南下すれば、「東26丁目/E 26th St」で、「マディソン・スクエア・パークMadison Square Park」に着くことになるのだが、困ったことに(笑)、現在「ペンシルヴェニア・ステーション」の上にある「マディソン・スクエア・ガーデンMadison Square Garden」は、これとは、全然別、確かに「三十三丁目」の方へ右折、つまり東へ折れ、「7番街/7th Ave」まで歩くことになるだろう、ちなみに、「5番街/5th Ave」を境に、「東○○丁目」と「西○○丁目」が分かたれているようで、「マディソン・アヴェニュー」は、「5番街」の一つ東側の通り。地図に書き入れてある「Madison Square」は、「マディソン・スクエア・パーク」の方だ。「劇場街Theater District」は、「6番街」と「7番街」の間、「西40丁目」、「西53丁目」に囲まれたエリア、「セントラル・パーク」の南、「セント・パトリック大聖堂」、「MoMA」、「ロックフェラーセンター」の西、「タイムズ・スクエア」の東、になる。
したためる:(1)書き記す、(2)食事をする、(3)整理する、処理する、(4)支度する
「定食をしたためて帰って行く」・・・今まで(1)の意味しか知らなかったから、ちょっと驚いた。
・・・
「ちゃちなユ●ダ公に何年もおっかけまわされてさ、もうちょっとで結婚するとこだった。・・・」
“I almost married a little kike who’d been after me for years. ...”
その、「東百五十八丁目」あたりのアパートでの乱痴気騒ぎ、での会話、マートルの妹の台詞、「kike」というのは、東欧出身のユダヤ人のファミリーネームの語尾が、「-ki/-ky」であることが多いことから、すでに合衆国に居住していたドイツ系の同化ユダヤ人たちが、新参の東欧からの移民たちに対して名指した言葉が、のちに、非ユダヤ人の間にも、今度は、明白な蔑称として広がった、といわれる。
・・・
・・・それからまた声を低めて「あの二人をいっしょにさせないのは、実をいうと、あの人の奥さんなのよ。奥さんはカソリックで、カソリックは離婚を認めないからね」
デイズィはカソリックじゃない。ぼくはその入念に仕組まれた嘘に、いささかびっくりしてしまった。
... She lowered her voice again. “It’s really his wife that’s keeping them apart. She’s a Catholic, and they don’t believe in divorce.”
Daisy was not a Catholic, and I was a little shocked at the elaborateness of the lie.
上の引用のすぐ前、同じくマートルの妹の台詞、トムとディジーの夫婦が、既に破綻しているにもかかわらず、トムと自分の姉マートルが「一緒になる」ことに対して、ディジーが抵抗している、と、まことしやかに語っている訳だ。上で見たように、「またいとこsecond cousin」関係は、「六親等傍系親族」、「親族」には、「血族」と「姻族」が含まれるが、ニックは未婚、ディジーの夫、トム・ブキャナンとニックが親戚関係なわけではないから、この二人は、「六親等傍系血・族・」であることになろう、もちろんそんなことは断言できないが、宗教的な傾向としては、同じ流れを汲んでいる可能性が高い、だからこそ、「カソリックじゃない」と言下に断言できたのだろう。上に見たように、トム・ブキャナンが「北欧人種理論」を開陳するにあたって、妻ディジーを、「除外」するかの振る舞いを見せたのは、彼女が、自分とは「異種」と常々認定していることを示唆しているのでは、と深読みしてみたのだった、・・・、F・スコット・フィッツジェラルド、自身は、アイルランド系カトリックの家庭に育った、と伝記的記述には書かれている、もちろん、当該「北欧人種理論」では、アイルランド系は、アングロ・サクソンともども、「コーカソイドCaucasoids―ノルディックNordics」に含まれているのであるが。
・・・
余興がふととぎれたすきに、同席の男がぼくを振りむいて微笑した。
「あなたのお顔はよく存じております」彼は丁寧な口調で言った「戦時中、第三師団におられませんでしたか?」
「いや、そうですよ。第九機関銃大隊です」
「わたしはまた一九一八年の六月まで歩兵第七連隊におりましてね。どうも、どこかでお見かけした方にちがいないと思っておりました」
ぼくたちは、しばらく、フランスの雨に濡れた灰色の小さな村々のことなど話し合った。
At a lull in the entertainment the man looked at me and smiled.
“Your face is familiar,” he said politely. “Weren’t you in the First Division during the war?”
“Why yes. I was in the Twenty-eighth Infantry.”
“I was in the Sixteenth until June nineteen-eighteen. I knew I’d seen you somewhere before.”
We talked for a moment about some wet, grey little villages in France.
「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド/The Great Gatsby/F Scott Fitzgerald
その「七月四日よりは数日前」、もちろん「七月四日」は、アメリカ独立記念日、の乱痴気騒ぎの次の章、ギャツビー邸の宴会に初めてニックが出かける場面、その「同席の男」が、ギャツビーその人であることには、まだ気づいていない、第一次世界大戦時の、米軍の部隊名、原文と訳文とで、いちいち番号が異なったりしているが、おそらくこれらは訳者が精査された上のことなのだろうから、重箱の隅をつつくような真似は避けて、ただ、多分、この部分が重要と思われるのは、この小説の登場人物は、たくさん「嘘」をつく、もっとも酷いのは、トムとデイジーが、マートル殺害の罪を、ギャツビーに擦り付けたことだが、ジョーダン・ベイカーも、ほぼ病的、常習的な虚言者として描かれているし、ほかならぬ、ギャツビーもまた、自己の貧しい経歴を隠蔽すべく、ニックの前に、偽りの履歴を並べてみせたりするわけだ、・・・、これも、「テヘランで・・・」の「ギャツビー裁判」における重要な論点の一つ、「エンパシーの欠如=不注意さcarelessness」ともつながるので、一体、ギ・ャ・ツ・ビ・ー・は・ど・こ・ま・で・嘘・つ・き・だ・っ・た・の・か・?、を突き止めたいと思った、だから、彼が軍務についていた、というこの日付を、ここに引用しておく。
補遺:wikipedia英語版「軍事組織Military organization」、によれば、アメリカ軍などの指揮系統は、上位から下位へ、
corps軍団―division師団―brigade旅団―regiment連隊―battalion大隊
という「ハイアラーキー/階層構造」になっているらしい、そのうえで、英語版でこの会話を読む限り、「the Twenty-eighth Infantry」および「the Sixteenth」は、二人とも、略称を用いているようだし、ともに「the First Division/第一師団」、の下位構成単位と見なければならないから、「brigade旅団」以下、の組織ということになろう、「28」、「16」を冠したこのレベルの組織を、wikipedia上で探してみると、ヒットしたのは、以下の二つ、「第28歩兵連隊28th Infantry regiment」および「第16歩兵連隊16th Infantry regiment」、のみであった。どちらも、第一次大戦に際して、ヨーロッパ戦線におもむいているようであるから、のちに、ニックやギャツビーが戦時の回想を語る部分を見る際にもう一度検討しよう。訳者が採用した名辞の根拠については、不明のまま。「the First Division/第一師団」そのものについては、「第一歩兵師団1st Infantry Division」、というエントリーがある。
・・・
そう言う彼女の口調には、どこか「あたし、きっと人を殺したことのある男だと思うわ」と言った、あの娘の言葉を思い起こさせるものがあった。それがぼくの好奇心をかきたてた。ギャツビーがルイジアナの湿地帯の産だとか、ニューヨークのイースト・サイドの下層社会の出だとか言うのなら、ぼくは問題なく認容したと思うのだ。それなら納得できるのである。しかし、どこからともなく飄然と立ち現れた青年が、ロング・アイランド海峡に臨む大邸宅を買い取るなどということはありえない――すくなくとも田舎育ちの未経験なぼくには信じられないことだった。
Something in her tone reminded me of the other girl’s “I think he killed a man,” and had the effect of stimulating my curiosity. I would have accepted without question the information that Gatsby sprang from the swamps of Louisiana or from the lower East Side of New York. That was comprehensible. But young men didn’t—at least in my provincial inexperience I believed they didn’t—drift coolly out of nowhere and buy a palace on Long Island Sound.
「グレート・ギャツビー」フィツジェラルド/The Great Gatsby/F Scott Fitzgerald
上の会話のすぐ後、ギャツビーとはいったい何者なのか?とのニックの問いに、ジョーダン・ベイカーから、オックスフォード出だと言っているが、それは嘘だと思う、との答えを得たのちの述懐。「ルイジアナの湿地帯の産」という表現は、以下に見るように、単に、「南部の田舎者」といった揶揄的なニュアンスだけではなく、たとえば、ケイジャン、クレオールの系譜など、やはり、ある種「異種」のイメージを重ねているものと思われる・・・ニューヨークの「イースト・サイド」は、マンハッタン島の、東側、イースト・リヴァー沿いの広い範囲を指すが、ここでは原文が「lower」と小文字で始まっているから、このような訳文が採用されたのかもしれないが、おそらく、地名としての「ロワー・イースト・サイド/Lower East Side」であろうかと思う。マンハッタンの地名のつけ方として、「Upper/Lower」は、それぞれ「北/南」に対応するようで、「ロワー・イースト・サイド」は、マンハッタン島の、南東端の一角を指すことになる、19世紀末以降、東欧系ユダヤ人をはじめ、数多の移民が集住した土地で、「労働者階級の街区working class neighborhood」であることは確かだから、ある意味「下層社会」という訳語は、当たっているともいえるが。マイケル・ゴールドMichael Gold(1894-1967)、以下のアザール・ナフィシの論述にもあるように、正確に、フィッツジェラルドの同時代人の、ユダヤ人「プロレタリア作家」は、まさに、東欧からの移民の子としてこの街区に生まれた、「金のないユダヤ人たちJews Without Money(1930)」は、その町での幼少期を振り返った自伝的作品、ほんの、通り一つ二つを距てて、イタリア人地区、アイルランド人地区、中国人地区、等々が隣接し、それぞれの少年ギャングたちが、抗争するさまなどが活写されている。ならば、ここでのニックの連想にも、ある種の「異種」性、「他者」性、を、ギャツビーという得体のしれない「出自」の人間に、重ね合わせているのだろう、と読むことができると思う。
「金のないユダヤ人たち」、マイケル・ゴールド、という作家とともに、「ローワー・イースト・サイド」を歩いてみる
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ニューヨーク、ニューヘイヴンなど

ロングアイランド

ニューヨーク

アメリカ合衆国南部、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージア・・・ルイジアナ州ラファイエットと、ニュー・オーリンズの間あたりの、ミシシッピ川下流域に、「アチャファラヤ・スワンプAtchafalaya Swamp」と呼ばれる巨大な湿地帯が広がっているらしい、メキシコ湾岸の、この一帯は、また、同じく湿地をあらわす先住民の言葉に由来する「バイユー・カントリーBayou Country」とも呼ばれ、ケイジャンCajun、クレオールCreole文化と密接な関係を有している、といわれる・・・ここに、ケイジャンとは、北米大陸北東端、カナダのノヴァ・スコティア地方、アカディア地方Acadiaと呼ぶ、に入植したフランス人が、イギリス人によって追われ、ルイジアナ南部に移住した人たちの子孫を指し、また、ルイジアナにおけるクレオールは、フランス人入植者と、アフリカ系、あるいは、アメリカ先住民との混血、と定義されているらしい

マンハッタン、ロワー・イースト・サイドLower East Side・・・丸印を付した辺りが、マイク・ゴールドの住んでいた街区、すなわち、ユダヤ人地区、その西側に、「リトル・イタリーLittle Italy」、南西側に「チャイナタウンChinatown」が見える
「テヘランで『ロリータ』を読む」と、「ロリータ」を、同時に、読む
二人の「フロイト」、の、ウィーン・・・「ホテル・ニューハンプシャー」を読みなおす、あるいは、「ある晴れた朝one fine morning」、を永久に先送りする衝動、「ギャツビー」の、「アメリカン・ドリーム」資本主義(笑)
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芸術はもはや、上流階級を気取ったものでもなければ、怯懦でもない。それは、農民たちにはトラクターの使い方を教えてくれる、若き兵士たちには、詩的な言葉を与えてくれる、工場で働く女たちの着るものに意匠を与えてくれるし、工場の劇団に、喜劇の演目を付け加えてもくれるだろう、・・・、こんな風に、数えあげれば百通りもの有用な任務があるのだ。芸術は、バンと同じくらい有用なものなのだ。
このかなり長文の声明は、マイク・ゴールドのエッセイからの引用なのだが、この文は1929年に、急進的な雑誌「ニュー・マッセズ/新大衆」に掲載された。当時、このエッセイは、大変な評判となり、アメリカ文学の語彙の中に、一つの新たな用語を書き加えることとなった、すなわち「プロレタリア作家」、という用語を。このエッセイがそれほどの影響をもち、また、良心的な作家たちに、真面目に受け取られた、という事実こそが、時代の変化を伝えてくれる。「グレート・ギャツビー」が出版されたのが1925年で、「夜はやさし」が、1934年だ。この二つの偉大な小説の出版時を隔てる間の時間に、合衆国でもヨーロッパでも、さまざまなことが起こり、それによって、ゴールドが影響力を持つに至る一方で、フィッツジェラルドの重要性は減殺され、彼はもはや、社会的にも、文学の世界でも、取るに足らないものの如くに扱われるようになってしまったのだ。その間の時間には、たとえば、「大恐慌」があり、ファシズムの危機の接近が身近に感じられるようになり、そして、ソ連型マルクス主義の影響が、増大してきたのだった。
「テヘランでロリータを読む」アザール・ナフィシ
Art is no longer snobbish or cowardly. It teaches peasants to use tractors, gives lyrics to young soldiers, design textiles for factory women's dress, writes burlesque for factory theatres, does a hundred other useful tasks. Art is useful as bread.
This rather long statement, which comes from an essay by Mike Gold, "Toward Proletarian Art," was written in 1929 in the radical New Masses. The essay in its time attracted a great deal of attention and give birth to a new term in the annals of American literature: the proletarian writer. The fact that it could be influential and taken seriously by serious authors was a sign of changing times. The Great Gatsby was published in 1925 and Tender is the Night" in 1934. In between the publication of these two great novels, many things happened in the United States and Europe that made Gold influential for a while and deminished Fitzgerald's importance, making him almost irrelevant to the social and literary scene. There was the Depression, the increasing threat of fascism and the growing influence of Soviet Marxism.
Reading Lolita in Tehran/Azar Nafisi
「金のないユダヤ人たち」、マイケル・ゴールド、という作家とともに、「ローワー・イースト・サイド」を歩いてみる

Reading Lolita in Tehran/Azar Nafisi, Jews Without Money/Michael Gold
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Tender Is the Night(1933)/F. Scott Fitzgerald「夜はやさし」フィツジェラルド(角川文庫)
Tender Is the Night(1934)/F. Scott Fitzgerald
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“Mr. Afghan North— he is here?”
“What? No— he’s gone to America.”
...
“We have arrested a Negro. We are convinced we have at last arrested the correct Negro.”
“I assure you that I haven’t an idea what you’re talking about If it’s the Mr. Abraham North, the one we know, well, if he was in Paris last night we weren’t aware of it.”
...
“Dick, I’ve launched a race riot in Montmartre. I’m going over and get Freeman out of jail. If a Negro from Copenhagen that makes shoe polish— hello, can you hear me— well, look, if anybody comes there—” Once again the receiver was a chorus of innumerable melodies.
...
“You wish to see a colored fellow of the name Jules Peterson?”
“God! How did he find me?”
...
“Tell him Im not here—” As the chasseur turned away Abe asked: “Can he come in here?”
“I'll find out”
Receiving the question Paul glanced over his shoulder; he shook his head, then seeing Abe he came over.
“I’m sorry; I can t allow it ”
Abe got himself up with an eflEort and went out to the Rue Gambon.
...
Abe insisted that Rosemary come too and they crossed the hall to the Divers’ suite, Jules Peterson, a small, respectable Negro, on the suave model that heels the Republican party in the border States, followed.
...
In brief, Abe had succeeded in the space of an hour in entangling himself with the personal lives, consciences, and emotions of one Afro-European and three Afro-Americans inhabiting the French Latin quarter.
...
... Peterson was rather in the position of the friendly Indian who had helped a white. ...
...
... Certain points had become apparent to him in the moment following his examination of the body; first, that Abe’s first hostile Indian had tracked the friendly Indian and discovered him in the corridor, and when the latter had taken desperate refuge in Rosemary’s room, had himted down and slain him; ...
・・・
アフガン・ノース氏――おられますか?」
「なんですって?いいえ――アメリカへ帰りましたわ」
・・・
黒人を一人逮捕してあるんですがね。当の黒人を逮捕したことについては当方は絶対確信があるのです」
「なんのことをおっしゃってるのか、全然わかりません。もしわたくしたちの知っているエイブラハム・ノースさんのことだとしたら、とにかく、もしノースさんが昨夜パリにいたとしても、まったくわたくしたちの知らないことです」
・・・
「デッィク、ぼくはモンマルトルで民族闘争をはじめてしまったんだ。向うへ行って、フリーマンを牢屋から出してやるつもりだ。もしコペンハーゲンからきた黒人で、靴墨を作っている男が――もしもし、聞こえるかい――それでね、もしだれかがそちらへ行ったら――」またしても受話器は無数の音のコーラスとなった。
・・・
「ジュール・ピーターソンという黒人のかたにお会いになりますか?」
「なんだと!よくぼくの居所がわかったな?」
・・・
「ここにはいないといってくれ――」従業員が向こうへ行きかけると、エイブがたずねた。「ここへはいってきてもかまわないのか?」
「聞いてみます」
その質問をうけてポールが肩ごしにちらと一瞥し、頭を横にふり、エイブの姿を見つけてそばに寄ってきた
「恐縮ですが、お入れするわけにはいきませんので」
エイブはやっとのことで立ちあがり、カンボン街へ出て行った。
・・・
エイブはローズマリーにもきてくれるように言ってやまないので、みんなで廊下を横ぎって、ダイヴァー夫妻のスイートへ行った。あとに続いたジュールズ・ピーターソンは、小柄だが風采のいい黒人で、南部と北部の境目にある諸州で共和党に随いてまわっている連中にありがちな温厚なタイプの男だった。
・・・
要するにエイブは一時間ほどの間に、ラテン区に住む一人のアフリカ系ヨーロッパ人と三人のアフリカ系アメリカ人の私生活と良心と感情とに、次々とかかわり合いを持ってしまったのである。
・・・
・・・ピーターソンは白人を救った親切なインディアンの立場というところだ。
・・・
・・・死体を調べたあとで、いくつかの点が明らかになった。まず、エイブに最も敵意をいだいた黒人が、好意的であったこの黒人の跡を追ってきて、彼の姿を廊下で発見し、絶体絶命におちいった後者がローズマリーの部屋に逃げこんだとき、彼を追いつめて殺したこと。・・・
夜はやさし/フィッツジェラルドTender Is The Night/F. Scott Fitzgeerald
・・・
上で予告したように、「夜はやさし」にも、やはり唐突に、「黒人Negro」が登場する。これは、憶測すれば、統合失調症が寛解中のニコルが、再び激しい発作に見舞われるき・っ・か・け・として、殺人事件の目撃、という「センセーショナル」な事件が必・要・だった、なおその「センセーショナル」さを高めるための、「脇役」として、殺人事件の被害者が、何か「異質」な「他者」を象徴する者として、いや、このような推論自体が、すでにして「バイアス」を含んだものであることは認めざるを得ないが、・・・、「黒人」という存在が選・ば・れ・た・、という事情ではなかったろうか?
エイブ・ノースなるアメリカ人の作曲家、あるカフェで、一人の「黒人」に50フラン紙幣を一枚横領された、警察に訴え出て、捜索の過程で、一人の「黒人」が逮捕されたが、これは冤罪であることがほどなく発覚した、彼の逮捕の決め手となったのが、ジュール・ピーターソンなるコペンハーゲンからやって来た「黒人」の証言であったため、冤罪に巻き込まれた「黒人」と、その友人が、ピーターソンを逆恨みして、殺害に及んだ、一方警察は、そのカフェのオーナーであるフリーマン氏という「黒人」をも逮捕してしまったので、エイブはその釈放のために奔走することになる・・・「一人のアフリカ系ヨーロッパ人と三人のアフリカ系アメリカ人」なる表現は、おそらく、前者が、ジュール・ピーターソン、後者が、冤罪に遭った人とその友人、および、店主のフリーマン氏を指していると思われる。原文と訳文を対象してみて気づいたことをいくつか指摘すれば、警官をはじめ、もっぱら「白人」ばかりの登場人物たちは、「Negro」という言葉を用いているところ、ホテルの従業員は、婉曲表現であろう「黒人のかたcolored fellow」と言っている、・・・、「白人を救った親切なインディアンの立場」、これ自体、同じく唐突に無関係な「インディアン」、開拓時代に入植者の「白人」とアメリカ先住民との争闘の歴史を参照した上での「比喩表現」であろうが、なる用語を登場させ、筆者はこの「比喩」が気に入ったようで、そのあとも、ピーターソンとその殺害者たちを指すのに、それぞれ、「友好的、味方の『インディアン』friendly Indian/敵対的、敵方の『インディアン』hostile Indian」などと表示しているが、これではわかりにくいと判断したのであろう、訳者は、「好意的であったこの『黒人』/敵意をいだいた『黒人』」と訳し変えている、・・・、「南部と北部の境目にある諸州で共和党に随いてまわっている連中にありがちな温厚なタイプの男」なる表現の意味するところが、あまりよくわからないのだが、「共和党=奴隷廃止論者/アボリッショニスト」に追随して媚・を・売・る・「黒人」というニュアンスの、「共和党=アボリッショニスト≒北部人」と「黒人」ともどもに対する敵意が感じられる表現ではあると思える。さらに付け加えるならば、当初、フランス人の警官が、「エイブラハム・ノース」というアメリカ人の名前を「アフガン・ノース」と読み違えるのだが、「聖書」由来の「エイブラハム=アブラハム」の間違え方としては、やはり唐突、という印象であるし、またしても、なぜ、そこに、当時そんな用語はまだ存在していないが、「第三世界」の地名が参照されなければならないか?あまり趣味の良い冗談ではないのでは?との疑念も湧く、・・・、そういう目でばかり見ているからか、おそらく「アフリカ系」の人々の集うカフェが、パリに既に存在していたのであろう、そんな店の店主のファミリー・ネームが「フリーマン」であることも、何か意味ありげに見えてしまうが、「解放された奴隷」というニュアンスならば「Freedman」であることが多いようで、「Freeman」という名をもつ人物が、特に「黒人」を暗示するものでもなさそうであった。
補遺:この時代のアフガニスタンについては、以下参照↓
「日陰の街・女一人、カブールを歩くShadow City/A Woman Walks Kabul」
・・・
この作品の引用部分の舞台は、1925年ごろのフランス、に設定されている、その時代に、かくも多くの、つまり「白人」たちの視野に入ってくる形で、「黒人」、つまり、アフリカ系の人々が、ヨーロッパの都市に居住していたらしいことに、少し驚かされた、・・・、以下の記事に引用してあるが、「パン・アフリカニスト」のジャマイカ人、マーカス・ガーヴェイMarcus Garvey(1887-1940)、は1912年に、教育機会を求めて英国にやって来たが、当時イギリスには、黒人は数千人しか居住していなかった、と述べているそうである、南北戦争後、奴隷解放はなされても、なお「ジム・クロー」法制の下で、過酷な差別や、リンチの恐怖に直面していた人たちが、大挙して「北」をめざすのが、1910年代に始まる「グレート・マイグレーションGreat Migration」であったといわれる、例えば、リチャード・ライトが、テネシー州メンフィスからシカゴへと向かうのが、1927年であった、おそらくその同じ時期に、さらにヨーロッパへと、事情が許すならば活路を求めた人たちもあったのであろうか、・・・、フランスは、もとより、北アフリカにアルジェリアという直轄植民地、西アフリカと中央アフリカに広大な「フランス領」を有していたから、その地の人々が、やはり就業機会を求めて、「宗主国」の首都にやってくることもあったであろう、ただ、おそらく、「北アフリカ」のアラブ・ベルベル系に対して、「Negro」という言葉が用いられたかどうかは疑問ではある、・・・、ここでに登場する「黒人」たちのうち、ジュール・ピーターソン氏については、のちのエイブの台詞に以下のようなものがあるので、フランス領西アフリカ、セネガルの出身らしいことがうかがわれる、・・・、
・・・
“If I go to a hotel and get all steamed and curry-combed, and sleep awhile, and fight off these Senegalese— could I come and spend the evening by the fireside?”
「ぼくがホテルへ行って、風呂に入り、髪をとかし、一寝入りして、あのセネガルのやつらをたたき出したら――ここへきて、君らといっしょに夜をすごしていいかい?」
・・・
「セネガルのやつらthese Senegalese」と複数形になっているのが、「一人のアフリカ系ヨーロッパ人と三人のアフリカ系アメリカ人」に徴して、疑問は残るものの、・・・、ということは、他の三人は、やはり「グレート・マイグレーション」の流れでヨーロッパに渡って来た、アメリカ生まれのアフリカ人であったことになるだろう。フランスにおいても、また、「セグリゲーション/人種隔離政策」が採用されていたことが、上の引用部分、ポール、というのは、リッツ・ホテルRitzのバーの店主、・・・、なるほど、「オテル・リッツ・パリ」は、カンボン街Rue Cambon、どうもフィッツジェラルドの原文の「Rue Gambon」は誤植であるらしい、・・・、彼が、「黒人」の入店を拒絶することからもうかがわれる、・・・、想像するに、フリーマンが経営していたカフェは、そのような事情から、もっぱら「黒人」のたまり場であったのだろう、それがどうやらモンマルトルにあるらしいことが、「モンマルトルで民族闘争a race riot in Montmartre」などと言う表現からうかがわれる、それと「ラテン区に住む」アフリカ人たちという記述が、距離的には離れているようなので、齟齬するようにも思えるが、・・・。
「マングローブ」などと言う名を聞けば、他人事とは思えなくなるし(笑)、ヴァネッサ・レッドグレィヴ、漱石、ジョージ・オーウェル、ハニフ・クレイシも交えて、・・・草創期「英国ブラック・パンサー」闘士の回顧記事
リチャード・ライト「アメリカン・ハンガー」、を読む、・・・、前に、ロレーン・ハンズベリ、シドニー・ポワティエ、そして再びジェイムズ・ボールドウィン「私はあなたのネグロではない」、へと、話はまた、拡散する
前回から引き続き、というか、改めて、「ブラック・ボーイ」と「アメリカン・ハンガー」、リチャード・ライトを、読む、・・・、「アドヴェンティスト」の関連で、「マルコムX自伝」も読み直す
・・・
なお、フィッツジェラルドが生まれたのは、ミネソタ州、母親が、アイルランドからの移住者の血筋、父親は、メリーランド州、まさに「南部と北部の境目にある諸州」の出身で、イギリス、アイルランドの双方の系譜を引く、とのこと

南北戦争期のアメリカ
「カンボン街Rue Gambon」はセーヌ川右岸、つまり北岸、コンコルド広場の北側、そこからさらに1キロほど北が「モンマルトルMontmartre」、「ラテン区Latin quarter」すなわち「カルチェ・ラタンQuartier latin」は、左岸、コンコルド広場から見れば、南東に2キロ、というところ

パリ
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という訳で、「夜はやさし」が差し挟まったおかげで、予定していた「テヘランで・・・」の「ギャツビー裁判」は、またしても先送りとなった、それもよかろう、「読書百遍・・・」というが、不思議なことに、だんだん、フィッツジェラルド、という作家に対する好感が増してきていることに気付いて、我ながら、驚く、長々と検討した、おそらく弁解の余地のない「人種主義的」バイアス、にもかかわらず、だ。「ギャツビー裁判」で弁護人を買って出た「ノンポリ」風女子学生の、「この教室に、こんな論争を巻き起こすことができたこと自体、この小説が優れていることを示している」という言葉にあやかって言えば、こんなに「精読」できること自体、すでに私がこの作品を「愛して」しまっていることの証なんだろう(笑)。



「ムラサキ」、という名前の植物があるらしいことを知ったのは、古い日記を手繰ってみると(↓)、もう、十三年ほど前のことのようで、当地でも見られるありふれた「雑草」、キウリグサ、と、ハナイバナ、というのが、分類上、「ムラサキ科」にあたるらしい、というのがきっかけだった。もちろん、普通に(笑)、「二足歩行獣」的に(笑)道を歩いていたって見つけられっこない、しゃがみこんで目を凝らさなければ気付くこともないだろう、直径2ミリくらいの小さな花、・・・、「しゃがみこんで目を凝らさなければ」見えないようなものを「見る」、ことにしたのは、もちろん、差し迫った(笑)理由があって、人は、何かあるただ一つのことだ・け・を、決して言ってしまわないために饒舌になり、何か一つの言葉を耳に入れないために、周りを音で充たし、何か一つのものを、決して見てはならないからこそ、視界を別・の・対象で埋めておかなければならないのだ、「ポストモダン」などというちょっと困った(笑)時代を生きてきたんだから、それぐらい言えなきゃね(笑)!、・・・、だからもちろん、私が「バードウォッチャー」になったのも、「シュノーケラー」になったのも、「野草観察家」(笑)になったのも、すべて、何・か・見・て・は・い・け・な・い・も・の・、を決して見ないで済ますための、まあ、やむにやまれぬ「緊急避難」みたいなものだったわけです。
その「ムラサキ科」の名の由来となった、当の「ムラサキ」という植物は、岩手県花巻など、寒い地方の産で、すでに「希少種」でもあり、残念ながらこちらでは見ることができないこともわかったけれど、ほかならぬ「紫色」の染料植物として、きわめて重要なものであったらしいことの記述が、牧野富太郎にもあり、柳宗悦にもあり、その御子息である園芸家の柳宗民氏にも見つけることができた、・・・、「紫根染」で知られる、ムラサキ科ムラサキの根から採られる染料が、化学的組成としては、その名も「シコニンshikonin」、「ばったもん」ではあるが、一応「化学の先生」を生業としていた関係上、そういうことも調べていると、合衆国の政府関係のサイトで、物質名を入力するとたちどころに3Dの分子模型を見せてくれるようなのがあるのだが、別名「Tokyo Violet」とのこと、なんだか、「おしゃれ」っぽい(笑)、映画のタイトルか、パンク・バンドの名前みたいじゃない?、とはしゃいでいたところ、・・・、何のことはない、それって「江戸紫」ではないか?「高度成長期」の貧しい食卓の友(笑)、瓶詰の「海苔の佃煮」の商標名を、同時代人なら想起するであろう(笑)、おそらく、「ジャポニスム」がヨーロッパを席巻していた時代の「パリ万博(1878年)」に、その「トウキョウ」産の染色を施した着物が展示され、話題を呼んだ、という事情だったのでは、と想像しているが、・・・、ほかならぬ「紫根染」というタイトルの文章を、宮沢賢治が書いていることも知った、・・・、「工芸学校の先生」、というから、花巻農学校教師だった作家本人を思わせる語りで、その染色技術の由来を淡々と語っているのだが、いまや、失われたその染色技術について聞き出すのは、「山男」以外にあり得ない、と「西根山、山男殿」という宛先の招請状を出す、というあたりで、読者は、やっとこれが「童話」なのだ、ということに気付く、という秀逸な構成で、それまで決して「好み」とは言えなかったこの作家の「ファン」(笑)になるのも、この作品がきっかけだったかも知れない、・・・、宮沢賢治観の転換のきっかけとなったのは、佐藤隆一「宮沢賢治・あるサラリーマンの生と死」(集英社新書)、という書物で、・・・、花巻農学校教師の「安定」した地位をあっさり投げ捨て、「羅須地人協会」の「ユートピア」運動に「挫折」し、書き溜められた膨大な詩・童話は、存命中は少しも売れることはなく、・・・、しかし、困窮すると「資産家」の父に悪びれず金の無心をしてしまう、そんな宮沢賢治は、実は、本当に(!)、オロオロ歩くだけの、「デクノボー」、だったかも知れないではないか?、遅まきながらやはり、何も出来ない「デクノボー」以外の何者でもない自分に、ようやく気付きつつあった、重篤な「鬱」症状の期間(笑)、それは、一筋の「光明」でさえ、ありえたわけだね。
牧野富太郎を読み漁ったりしたのも、当然、ある種の「防衛機制」と解釈されるわけだが、この人は、たとえば、当地の「御嶽」にしばしば見られる、ビロウ(枇榔)(ヤシ科)、方言名「くば」、と、同じくヤシ科ではあるものの、こちらは、インドやビルマを舞台にした古い小説にはしばしば登場する、ビンロウジュ(檳榔樹)、とが古来混同されてきたことに対して、江戸時代の漢学者、小野嵐山、などを目の敵にするのだな、「漢籍」に掲載されている植物は、必ず日本にもあるに違いない、という思い込みが、そんな誤謬を帰結したというわけだが、正確に「同時代人」である柳田国男は、「野草雑記」をものするほど植物にも詳しいにもかかわらず、正反対の態度を採用している、それもそのはず、たとえば「カタツムリ」の方言名がいくつあるかを調査することの意義を強調する民俗学者が、「もの」とその「名」には、「一対一対応」がなければならないと断定しなければ仕事にならない植物学者と、相容れないのも、当然のことであった・・・。
「鬱病」患者の皆さんには、おそらく同意していただけるのではないかと想像するが、自分が「壊れている」ことを「受け入れる」次の段階として、どうして「壊れた」のか、という「原因」探しの「旅」を始め、多くは、「幼少期トラウマ学説」にたどりつくのである、私の場合もまさにそれで、自分がこんな病気になったのは、「母親」もまた患者だったからだ、もちろん「遺伝」のことを言っている訳ではない、子供は、親から、「言葉」を、「世界」に対する「身振り」を、学ぶしかない、・・・、「世界」に対する怨嗟を、延々と「愚痴」としてこぼし続ける母親と、一日の大半の時間を過ごすことになってしまった子供が、同じ「話法」を学んでしまわない訳はないだろう?しかし、そうやって「悪者」を特定し得たからといって、ちっとも「治癒」にはならない、今度は、対象を「悪者」化してしまったことへの「罪悪感」が浸潤しはじめる、という次第だ、・・・、母親についての、きわめて数少ない、不愉快ではな・い・記憶の一つに、女学校時代、牧野富太郎の学生版の植物図鑑をもっていて、その牧野氏自筆の絵に、牧野氏の説明文を読みながら、色鉛筆で彩色を施したものだ、という思い出話が残っている、・・・、それほど裕福ではないにしても、真宗大谷派寺院の娘に生まれ、ばあや、や、ねえや、に「蝶よ花よ」と育てられた少女時代こそが、後の夫婦関係の破綻、育児の失敗(笑)、の現状から振り返れば、ただひとつの「珠玉」であったろうことは想像に難くない、・・・、だから、私が、自分自身の「発病」後、牧野富太郎を読みはじめたのは、ある種、シンボリックな、「和解」の身振りをも含んでいたのであろう、・・・、いつもながら、ほとんどどうでもいい話に終始したが、ムラサキ、というまだ見ぬ植物の写真を、見せてくださった方があったので、やむにやまれず(笑)、書き始めてしまいました。
・・・
あ、もうひとつ、つまらない「うんちく」(笑)、「紫根染」がすたれたのは、西洋から安いアニリン色素が流入したからだ、と宮沢賢治にもあるが、その、アニリン(C6H5-NH2)合成の研究に手を染めていたのが、ジャン・アンリ・ファーブルで、しかし、ドイツのBASF社に、先に特許を取得されてしまった、という逸話。
参考文献(笑)↓
Tokyo_Violet
「トーキョー・バイオレット」、改め、「江戸紫」。
「トーキョー・バイオレット」再論、または、「山男」談義。
たとえば、風の中を自由に歩ける、こと、について・・・。
「染料植物について述べる」牧野富太郎(「植物記」所収)
「紫紺染について」宮沢賢治
「手仕事の日本/東北」柳宗悦

シコニン、分子構造

盛岡、花巻、花輪、遠野、西根山

「宮沢賢治・あるサラリーマンの生と死」佐藤隆一(集英社新書)/「手仕事の日本」柳宗悦 (岩波文庫)

「柳宗民の雑草ノオト」 (ちくま学芸文庫)/「柳宗民の雑草ノオト2」 (ちくま学芸文庫)

「植物記」牧野富太郎(ちくま学芸文庫)/「花物語―続植物記」牧野富太郎(ちくま学芸文庫)
・・・
補遺:江戸紫
京紫
これらは、岩手県、秋田県の産物である「南部紫」、「鹿角紫」ともども、ムラサキ科ムラサキの根、「紫根」を原料としているが、産地によって区別を図った名称、といわれる、・・・、ちなみに「桃屋」の海苔の佃煮、の大ヒット商品、「江戸むらさき」の発売開始は、1950年とのこと、佃煮に使用される醤油を、別名「ムラサキ」と呼ぶことから、染め物の名称「江戸紫」にかけた命名といわれる
貝紫色かいむらさきいろ/古代紫/Tyrian purple/Royal purple
アッキガイ科の巻貝、シリアツブリガイBolinus brandaris、が分泌する液を原料とする、古代フェニキアの都市、ティルス(Tyrus)、現・レバノン、スールTyre、に多く産した、とのこと

レバノン、ヨルダン川西岸、イスラエル、ヨルダン
・・・
・・・客車内の場面はこれからもしばしば出てくるし、というよりこの劇は、半分以上が客車内で終始するはずだが、つねに上手が上野、下手が青森である。
・・・
・・・花巻ィ、花巻ィ。この列車は大正七年十二月二十六日の青森始発上野行き上り急行二〇二列車です。当花巻駅からの発車時刻は午後八時二十六分であります。・・・
「イーハトーボの劇列車」井上ひさし(新潮文庫)
上手かみて」: 芝居の舞台の、客席から見て右の方
下手しもて」: 芝居の舞台の、客席から見て左の方
「芝居」というものをほとんど観たことがないから、こんな基本的な用語も知らなかった(笑)、たった一度だけ、あれは80年代末頃だったろうな、「黒テント」の「ブレヒト・三文オペラ」が、京都、岡崎公園で興行したのを、観に行った、大変感動、昂奮(笑)したが、それは、生まれてはじめて「芝居」を観た!(笑)という興奮であって、だから、内容は、ほとんど、覚えていないけれど、・・・、なるほど、客席から見て右手が、「上野」、左手が、「青森」、ということは、観客は、舞台の実際の配置にかかわらず、東に向かって座っている、という想像上の世界に入ることになるのだな、・・・、「大正七年」、はグレゴリオ暦1918年、その年の、確かに12月26日、賢治の妹、トシ、が帝国大学医学部付属病院小石川分院に入院した、との知らせを受けて、母とともに、上京、とwikipediaの伝記的記述にもある、賢治は、盛岡高等農林学校、現・岩手大学農学部、卒業を目前に控えていた、・・・、「紫根染について」が、いつ書かれたのかは、今、ちくま文庫の全集、どこにしまったか、わからなくなっているので(笑)、判明しない、「紫紺染が東京大博覧会で二等賞をとる」、という記述の「東京大博覧会」が、「東京大正博覧会」を指すとすれば、それは、1914年、上野公園で開催された、とのこと、・・・、この上野行き急行の「三等客室」に、発車間際に、「西根山の山男」が、乗りこんでくるのである、
山男 ・・・さで、気取ったごどばおきするようでごぜーますが、上野づどごさは、精養軒づ料理店がごぜーますか。
賢治 上野のお山にあるっす。盛岡高等農林の修学旅行のどぎ、みんなでオムレジ喰いました。・・・
「イーハトーボの劇列車」井上ひさし(新潮文庫)
「紫根染について」、では、紫根染の秘伝を聞き出そうと、山男を呼び出す場所が、「内丸西洋軒」、盛岡城の「内丸」であった地区が、現在も、市の中心街であるらしい、であるのに対して、井上ひさしは、これを上野「精養軒」に読み替えて、山男を、汽車に乗せることにしたのだろう
上野精養軒:1872年、築地に「西洋館ホテル」創業、1873年、「精養軒ホテル」と改称、「築地精養軒」となる、1876年、上野公園開設に伴い、「上野精養軒」開業、1923年、関東大震災による築地本店焼失により、「上野精養軒」が本店となる、1949年、ベーカリー部が独立して、「神田精養軒」となる、・・・

上野

「イーハトーボの劇列車」井上ひさし(新潮文庫)
「ミ・エスタス・『デクノボー』」、私は『デクノボー』です・・・井上ひさし「イーハトーボの劇列車」を読む
・・・

キウリグサ(ムラサキ科)
ムラサキ(ムラサキ科)の花の写真



そして、ある晴れた午後・・・And, one fine afternoon, ...




久しぶりの晴天、月を見る習慣が無くなっていた・・・そう、台風が来たしね、うん、「ミ○○ル」もあったからね!、いや、それは関係ないだろ?(笑)・・・太陽暦六月の満月は「蜂蜜酒の月」または「苺の月」

十六夜(十六夜)、のところに、ホオグロヤモリ(ヤモリ科)の鳴き声が、たまたま、きれいに録音されている「きょっ、きょ、きょ、きょ」、みたいな声、それから(笑)、十五夜には、うちの猫の声が入ってる!






旧暦四月四日の月、月の入二時間前

旧暦四月五日の月、月の入三時間前

旧暦四月七日の月、南中一時間後



旧暦四月七日の月、南中二時間後

旧暦四月七日の月、月の入二時間前







旧暦四月十五日の月、南中二時間前、・・・、「上弦」直前の七日月以来の晴天、月を見る習慣が無くなっていた。慌てて屋上に駆け上がると、すでに中天近い…そう、台風が来たしね、うん、「ミ○○ル」もあったからね!、いや、それは関係ないだろ?(笑)

旧暦四月十五日の月、南中二時間後

旧暦四月十五日の月、月の入一時間前

旧暦四月十六日の月「十六夜(いざよい)」、南中二時間前

旧暦四月十六日の月「十六夜(いざよい)」、月の入二時間前



旧暦四月十六日の月「十六夜(いざよい)」、月の入一時間前「有明」

旧暦四月十七日の月「立待」、月の出二時間後

旧暦四月十七日の月「立待」、南中









旧暦四月十七日の月「立待」、月の入二時間前「有明」



旧暦四月十八日の月「居待」、月の出三時間後

旧暦四月十八日の月「居待」、月の入二時間前「有明」







旧暦四月十九日の月「臥待」、南中「有明」

旧暦四月二十日の月「更待」、南中一時間前



旧暦四月二十日の月「更待」、南中一時間後「有明」

旧暦四月二十三日の月、月の出三時間後、この月を撮っているとき、以前、アカショウビン(カワセミ科)の声が聞こえてきたのと、同じ森だと思う、今度は、あの、「天辺、描けたか?」、ホトトギス(カッコウ科)、ではないか?慌ててヴィデオ・モードのスイッチを押したのだが、もう啼いてくれなかった(笑)
・・・



旧暦四月四日の月と、金星
5月23日(火)、月と金星が接近

旧暦四月五日の月、月の入三時間前、と、金星
・・・
1930年代に出版された「農民百科事典(年鑑)Farmers' Almanacs」には、アメリカ先住民、「インディアン」が、それぞれの満月に付した呼び名が記録されているらしい、それらの名称は、やがて、入植者のアメリカ人たちにも広がり、民話などの中にも取り込まれ、習俗の一部を形成するに至った、と言われる、当然にも、「月moon」と「月month」がちゃんと対応するのは、太陰暦ないし太陽太陰暦なのだが、太陽暦(ユリウス暦/グレゴリオ暦)に大まかに対応させたらしい、以下のような表が見つかった、これによると、今回の満月は、「ストロベリー・ムーン」に当たる、というより、そういう呼び名で書かれている記事をいくつか見かけたから、こんなことを調べてみたわけであるが・・・。

いくつか異同があるみたいだし、当然太陽暦と太陰暦の齟齬のせいで重複もあるようだが、ちょっと印象的なものを恣意的に選んで、日本語を当てはめてみると・・・
1月、Wolf Moon/Old Moon狼の月/古い月
2月、Snow Moon/Hunger Moon雪の月/ひもじい月
3月、Worm Moon/Crow Moon蛆虫(うじむし)の月/鴉(からす)の月
4月、Seed Moon/Pink Moon種(たね)の月/ピンクの月
5月、Milk Moon/Flower Moonミルクの月/花の月
6月、Mead Moon/Strawberry Moonはちみつ酒の月/苺の月
7月、Hay Moon/Buck Moon干し草の月/雄鹿の月
8月、Corn Moon/Sturgeon Moon玉蜀黍(玉蜀黍)の月/チョウザメの月
9月、Harvest Moon収穫の月
10月、Hunters' Moon/Sanguine Moon猟師たちの月/血の色の月
11月、Beaver Moon/Sponge Moonビーバーの月/海綿(スポンジ)の月
12月、Oak Moon/Cold Moon樫の木の月/冷たい月
※meadは、meadowの古形でもあるようだが、「はちみつ酒」のほうがふさわしそうかも。人類最古の酒とも言われ、「蜜月honey moon」の語源でもある、とのこと、蜂蜜の強壮効果、あるいは、ミツバチの多産にあやかる、という象徴的意味。
※Oakはブナ科コナラ亜科コナラ属の総称。ブナ科の樹木、ほとんど見分けが付けられないが、辛うじて、見たことがありそうなものをあげると、クリ属クリ、シイ属スダジイ、これは、「やんばる」の「ブロッコリー・フォレスト」の樹種だ、マテバシイ属マテバシイ、これも当地で見られるはず、など・・・。






ま、あたしの人生(笑)、ことごとく「ばったもん」、みたいなもんでしたからな・・・「ばったもん」バードウォッチャー談義

私は自分のことを、「ばったもん」の「バードウォッチャー」と思うことにしていて、だって、「鬱病」にかかって、「人間」の姿がうっかり目に入らないように、何か他・の・も・の・で、視界を埋めておく、なんて、そういう不・純・な・動機で、始めたんだからね、貧乏人だから、カメラだって安物だ、「探鳥」の「名所」みたいなところへ行くと、そう、なんかちょっと「ビール瓶」ほどもある(笑)、でっかい望遠レンズなど、装備一式を携えた人たちとすれ違う、レンズだけでも、私のカメラの何倍も値が張るんだろう?なかば以上やっかみの「反感」めいたものも感じなくもないが、小心者であるから(笑)、え?私?いえいえ、「バードウォッチャー」なんかじゃござんせん、たんなる通りすがりの者でごぜえやす、みたいな卑屈な(笑)態度に出てしまう。だから、大げさなことはしたくないんだが、「老衰」が一段と進んだか(笑)、海岸に立ったままカメラを構えるのも腰が痛かったりして辛く、手が震えてしまって、ますますぼけた絵になっる、で、一計を案じ、「三脚」をもっていくことにした、もちろん、それも安物で、しかも、金具がはずれたところをひもで補修してある、みたいな、見苦しい代物なのだが、なるべく平らなところに設置して、その手前にどっかと腰を下ろす、おお、なかなか、快適ではないか?・・・そんな時に限って、鳥たちもこちらの意を汲んでくれた、ってわけでもなかろうが(笑)、コアジサシ(カモメ科)も、シロチドリ(チドリ科)も、ごく近くにとまって、長々と羽繕いなどして、被写体となってくれたし、天気も上々、私の機嫌も、すっかりよくなってしまった・・・ところで「ばったもん」とは?私は生まれも育ちも関西だけど、大阪弁が「母語/マザー・タン」ではない、両親は、田舎から出てきて、無理して「標準語」らしきものを何とか使おうとしていた人たちだったからね、だから、例えば、「ばったもん」とかいう表現も、他人様が使っているのを、あまり意味も分からず、まねしているだけだった、関西の古道具屋業界の用語だそうで、「バタバタ」倒産した会社の製品を投げ売りするから、とか、「バナナ売り」が、商品を並べた題を「張り扇(はりせん)」で「バタバタ」叩くから、とか、語源には諸説あるらしい、若い人たちは、「パチもん」というほうが普通だったかな、・・・、英語の「pack/包む」に当たるドイツ語が「packen」、そこからおそらく旧制高校の人たちが、「万引き」をあらわす符牒として「パクる」という用語ができ、「パチる」は、いわば、その「音韻変化」(笑)ではなかろうか、と想像している。ま、別に「バードウォッチャー」としてのみならず、予備校の「先生」とかいう職業生活上も、いつまでも「こだわって」いる、とか称する、「左翼活動家」としてもまた、つねに私は、「ばったもん」、「パチもん」だったのだろう、と思い当たり、むしろ、この用語に「親しみ」さえ感ずるようにもなって来たのだ(笑)。
・・・
さっきまでコアジサシが休んでいた岩のすぐ近く、いましも、「水浴」から上がったばかりで、ひょいと飛び上がって、こちらのカメラの視界に入って来たのだ。翼を開いたり閉じたり、身震いしたり、そうやって、水滴を払おうとしている、その程度で、すぐにでも飛び立つことができるくらい乾いてしまうのだから、鳥の羽毛というのは、よほど「撥水性」に優れた素材でできているものらしい、全身が「けば立った」ように見えるのは、そのせいだ、・・・、「鳥肌が立つ」という比喩表現があるけれども、人間が、恐怖を感じたり、あるいはとんでもなく感動したり、とか、の場面で、毛穴が収縮して、そこに植わっている、人間の場合だったら、ごく短い「産毛」のようなものにすぎないが、皮膚の面に対して直立するようになる、それ自体、寒さを検知したときに、毛穴を閉じて、発汗による放熱を防いで体温を維持する、という「反応」の、「転用」とも思われるが、いずれにしても、私たちは、「鳥肌を立て」よう、と思って「立て」られるものではない、その意味で、これは、「不随意」的なものなのであろうが、どうも、鳥たちを眺めていると、ほら、こうして、延々と羽繕いしているあいだ中、羽毛が「立った」ままであるように思われる、老廃物とか、塵とか、あるいは寄生虫とか、そういった夾雑物を、ふるい落としたり、あるいは、くちばしでつまみ取ったりするのに、都合がよいからであろうが、ちゃんと「意図的」に、そうしている、つまり、「随意的」に、「鳥肌を立て」ることができるのだろう、と想像されるのである、・・・、ま、そりゃそうだ、だって、「鳥」だもの(笑)


そ・れ・を、「ランドスケープ」の中に取り込んでしまうための「時間」が、彼らの方が、はるかにたくさんあったのだ。

列車の車窓から眺めると、ほとんど等間隔に並ぶ電信柱の間に懸け渡された何本かの電線が、柱と柱の中間ではそれぞれ異なったたわみ方をするので、互いに平行線を描き、だが、柱に近づくと再び一点に交わり合う、その繰り返し、・・・、革命後のロシアを脱出し、ヨーロッパへ向かう汽車旅の記憶を綴った、ウラディミール・ナボコフVladimir Nabokov(1899-1977)、の回想記だったんだと思う、・・・、い・わ・ゆ・る・「学生運動」に「挫折」して、今から思えば、あれは、「うつ病」の最初の症候だったのかもと思うが、まったく無気力な日々を送り、力仕事のアルバイトにだけは精を出して、「プロレタリアートにな・る・んだ」などとうそぶいていたくせに、四回生にもなると、急に「世の中」に「未練」が出てきて、慌てて「卒業単位」を、かき集めにかかった、・・・、年若い「級友」に混じって受講した、「英語英文学中級」、「え?haveの過去形って、なんだったっけ?」というくらいまで(笑)、錆びつきつくした感のある「英語力」だったにもかかわらず、そのテキストの文章を、「なんて美しいんだろう!」と感嘆した記憶だけが、いまだに残っている、その出典を探そうとしても、ナボコフはきわめて多産な作家だったようで、見つからない、・・・、ここで鉄道線路に平行に張りめぐらされている「電線」は、文字通り「電信線」、鉄道の運行には、駅相互間での通信が必須であろうから、まず、それは鉄道建設と同時に敷設され、こうして、それ以外の目的の一般の「電信網」も、鉄道に沿ってひろがるようになったのだろうと想像される、・・・、イギリスでは、1839年、パディントン駅Paddingtonから、ウェスト・ドレインWest Draytonにいたる、グレート・ウェスタン鉄道Great Western Railwayの21キロにわたる路線沿いに敷設されたものが、最初の商業化、アメリカでも、ワシントンDC/WashingtonD.C.、アナポリスAnnapolis間に実験的な電信線が敷設されたのが、1844年、とのこと、・・・、ということは、「電線」というものが、世界中、ヨーロッパやアメリカ等「先進国」のみならず、その広大な「植民地」においても、「ランドスケープ」の一部として定着するのは、19世紀末、ないし、20世紀初頭を待たねばならなかったのだろうと思われる、・・・、いや、それだけの話だ(笑)、こうして、サトウキビ畑沿いの「電線」、それは、家庭用電力の送電線だったり、電話線だったり、あるいはケーブル・テレビ、だったりもするのだろうが、をしばし眺めてみれば、ほとんど、「入れ替わり立ち代わり」の如くに、こうして鳥たちが、訪れ、そこにしばし休んで、歌ってみたり、羽繕いをしてみたりしている光景に出会うことができる、「彼ら」は、細い木の枝にとまるのと同じように、こんなゆらゆら揺れる、きっとすべりやすいに違いない材質にも、その足指でつかんでしっかり身体を支え、臆するところがないように見える、羽繕いの最中、片足を挙げて首を掻く、などと言う「芸当」を見せてくれることもしばしば、・・・、彼らが、いわば、何の「違和感」をも示さずに、このような「人工物」を、自分達の「環世界」の中に、易々と位置付けてしまっていることが、伝統的な「自然/人工」という二項対立に毒・さ・れ・た・眼差しから見ると、ちょっと不思議に思えたのだ。鳥は、毎年夏が「繁殖期」なのだから、その「一世代」の長さは、「一年」とみてよかろう、対する人間は、成人するのに「二十年」かかるのだから、この数字を採用するとすれば、「電線」なる「人工物」が、風景の一部を構成するようになってから百五十年ばかりの間に、鳥ならば、150世代、人間ならば、7.5世代、怪しい議論ではあるが(笑)、「突然変異」の発生確率が同じだったとしても、二十倍の速度で、それが蓄積されるのだから、例えば「電線」のあ・る・環境に、種として「馴致する」のも、私たちより、「彼ら」の方が、ずっとたやすかった、といってもいいのだろう、などと言う、例のごとく、どうでもいいことを、考えてしまったので(笑)。

ロンドンPaddington、パディントンはロンドン中心部、ウェスト・ドレインWest Draytonは、ロンドン西郊

アメリカ東海岸、アナポリスAnnapolis、は、ワシントンDC/WashingtonD.C.、から東に50キロほど、海沿いの町

グレート・ウェスタン鉄道Great Western Railway路線図
・・・

イソヒヨドリ(ツグミ科)

ヒヨドリ(ヒヨドリ科)





ヒヨドリ(ヒヨドリ科)

セッカ(ウグイス科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)



リュウキュウツバメ(ツバメ科)

スズメ(ハタオリドリ科)



オオハマボウ(アオイ科)



ヒメトンボ(トンボ科)

コアジサシ(カモメ科)

ダイサギ(サギ科)

オオバン(クイナ科)、ハシビロガモ(カモ科)・メス

キアシシギ(シギ科)



バン(クイナ科)、「渡り鳥」である同科の、オオバン、とは異なって、この「留鳥」は、ヤンバルクイナ同様、「飛べない鳥」のはず、もちろん、数メートル程度の低空滑降は、するけれども、ここは、海岸ではあるものの、淡水の泉が湧き出ている場所なので、川を好むこの鳥がいてもおかしくない、どこから、どうやって、やって来たのかは、謎ではあるけれど・・・。

ヒバリシギ(シギ科)


老い先、そう、長くはないんだし(笑)、貧乏なんだし(笑)、高望みは、しない。

私はカメラについては、いや(笑)、カメラのみならず、およそ「人生」にかかわるあらゆることについても、「素人」なので、「バードウォッチャー」と言っても、そんなに高価でもない普通のカメラ、ちょっと倍率高めのズームレンズが付いている、で、オートフォーカス機能に頼って、ただシャッターを切っているだけだから、そんなに上手に撮れるとは限らない、デジタル化した今どきのことだから、安心して何枚でも無駄なものを撮影できるけど、一昔前、36枚撮りのフィルムが千円くらいして、現像、焼き付けにまた二千円くらいかかる、なんて時代には想像もできなかったことだ、だから、素直に(笑)有難く思って、慎ましくあろうと、つねづね、自らを戒めることになる、・・・、海岸に座り込み、同じく、その先の岩の上にとまった鳥たちを「狙う」のだから、仰角がとても小さく、したがって、オートフォーカス機能が、被写体としたい鳥ではなく、その手前の岩などに焦点を合わせてしまうことが、しばしば生じるのだな、うちに帰ってコンピュータの前で開いてみると、どれもこれもぼけたものばかり、とため息をついてしまう時などには特にね。あんた(笑)、「人生」そのもの、諦・め・て・ん・だろ?いまさら、写真如きがどうだっていうのさ!って感じでね。










コアジサシ(カモメ科)



イソヒヨドリ(ツグミ科)

リュウキュウツバメ(ツバメ科)

ヒヨドリ(ヒヨドリ科)


足もとばかり「見つめて」いた「人生」、だったはずなのに(笑)、不覚だ。

その名の通り、「陸生」のオカヤドカリ科の一種、と思われるものが、波打ち際をのぞき込んでみると、たくさん、何やら忙しげに動いているのに気づいた。オカヤドカリは、「陸生」とは言っても、必ず、海のそばで暮らす、メスが卵を体内に宿し、それが孵化すると、海に向かって歩いてゆき、幼生を、水中に放つ、そうして「子供たち」は、まず、プランクトンの一種としての、水中生活を、その一生の前半として、送るらしい、その「放卵」が、行われるのが、きまって「大潮」の時だ、と言われている。まだ、沖縄に来たばかりのころ、名護の東海岸の浜辺で一夜、「泡盛」を浴びるほど飲んで、過ごしたことがあるが、きっと、「満月」だったのだと思う、姿を目撃したのだかどうだかは、もう、記憶がはっきりしないのだが、辺り一面から聞こえてくる、その音色もどんなだったか、思い出せないが、「ざっ、ざっ」みたいな感じのが、大地を揺るがす、というほどのものではないものの、かなりの音量で聞こえてきて、それが、なんと、おそらく、何千、あるいは、何万、という数の、オカヤドカリたちが、一斉に、海に向かって歩き、貝殻が、砂にこすれて立てる音なのだ、とわかった時の驚き、と言ったら!ほとんど「神々しい」感じさえ持ったものだった・・・。でも、この日は、旧暦四月五日、「大潮」ではないし、オカヤドカリは、小さいものなら、ここに映っているように、数ミリ程度、大きくなれば、十数センチほどもあって、当地に生息する巨大なカタツムリである、アフリカマイマイの殻を住居に使用していたりする、つまり、成長して、身体が大きくなれば、それに見合った貝殻を探して、「宿替え」しなければならないはずだろう?どうも、眺めていると、それを探す目的で、今日は、水辺に降りているらしく思われる。見つけた貝殻をめぐって、「争い」なども、生じているらしい、なるほど、こんなにしばしば海辺に来ているのに、遠くの方の鳥たちばかりに気をとられて、こんな風に足元をのぞき込んでみることをしなかったからだな、初めて目撃した光景だったのだ。


オカヤドカリ科の一種
・・・

がうなはちひさき貝をこのむ、これよく身をしるによりてなり。みさごは荒磯に居る、則ち人をおそるゝが故なり(「方丈記」鴨長明)、って、そんなこと断定されてもね(笑)?

とんびの滑翔かっしょうする高さは通例どのくらいであるか知らないが、目測した視角と、鳥のおおよその身長から判断して百メートル二百メートルの程度ではないかと思われる。そんな高さからでもこの鳥の目は地上のねずみをねずみとして判別するのだという在来の説はどうもはなはだ疑わしく思われる。かりにねずみの身長を十五センチメートルとし、それを百五十メートルの距離から見るとんびの目の焦点距離を、少し大きく見積もって五ミリメートルとすると、網膜に映じたねずみの映像の長さは五ミクロンとなる。それが死んだねずみであるか石塊であるかを弁別する事には少なくもその長さの十分一すなわち〇・五ミクロン程度の尺度で測られるような形態の異同を判断することが必要であると思われる。しかるに〇・五ミクロンはもはや黄色光波の波長と同程度で、網膜の細胞構造の微細度いかんを問わずともはなはだ困難であることが推定される。
「とんびと油揚」寺田寅彦
・・・
「ねずみの身長を十五センチメートル」:l=15×10-2
「百五十メートルの距離から見る」:a=150
「とんびの目の焦点距離を、五ミリメートル」:f=5×10-3
独立な条件式は、2つ、未知数は、a,b,f,ll'、の5つ、ここに、3個の未知数の値が与えられたから、残りの2つを解くことができる
「ミクロンμ」は、今日的には、「マイクロメートルμm」、すなわち、
10-6[m]
・・・
可視光線の波長は、
7.8×10-7~3.8×10-7[m]
この範囲に、順に、「赤橙黄緑青藍紫」、が並ぶのである、なるほど、たしかに(笑)、「黄色」なら、
5.0×10-7[m]
ぐらいかもしれない!

・・・
最初、読み間違えて、「とんび」の網膜に映る「ねずみ」の像、そのものが、〇・五ミクロン、だ、とおっしゃっていると勘違いして、こりゃ、大変なことになった、「ばったもん」の、元・「物理の先生」が(笑)、明治時代の、この国の物理学の草分け、の「計算ミス」を発見してしまったのか?まさか?、と動転してしまったが、そうではないね、像の大きさが、5ミクロン、ならば、それが、何であるか、をいわば「解像」するには、少なくともその十分の一の長さの識別ができなければならない、とおっしゃっているのだな、つまり、見えているものを、10個の点の配列に見立てるならば、そのそれぞれの色合いとか、大きさとか、弁別できなければ、配列全体の様相を把握することができない、ってことだろう?それは、もう、すっかりしょぼしょぼの(笑)老眼で、隆起サンゴ礁の岩場に、見事な保護色で潜んでいるシギ、チドリたちにカメラを向けてみるものの、どれが鳥やら、どれが岩やら、全然わからなくて、つねづね情けない思いをしているから、よくわかる気がする。・・・いずれにせよ、こののち議論は、視覚的に判別できないなら、臭いはどうだ、ということで、流体力学上の知見を駆使しておられるのだが、水という極めて親和性の高い溶媒にかこまれているものの臭気が、大気中に立ちのぼる、ということは、考えにくいから、水中の魚に狙いを定めるミサゴの場合では、それは問題にならないだろう、・・・、寺田虎彦氏に「楯突く」(笑)のは心苦しいが、この鳥、ミサゴが、上空の一点に、翼を広げて、滞空、いわゆるホバリング、しかる後、海面の一点に向けて、今度は、翼をすぼめて、急降下する、着水寸前のところで、ふたたび翼を広げ、安定を取り戻し、あの凄い足の爪でもって、かなり巨大な魚を、文字通り「鷲づかみ」にする、もちろん、失敗することもある、失敗の方が多いかもしれない、でも、数回に一度は、今度は、片足の爪で、「獲物」をしっかりつかんだまま、悠然と飛び去って、どこか岩の上とか、枝とかに、残りの片足だけで、着地するのだ、捕まってしまった魚の「気持ち」を想像すれば、身も縮む思いだが、でも、その、「優雅」とでも形容すべき動きを、遠くから眺めていると、どう見ても、彼らには、ちゃんと魚影を「見えて」いて、それに明確に目標を定めて、急降下してくるのだ、としか思えないからね。

・・・
がうなはちひさき貝をこのむ、これよく身をしるによりてなり。みさごは荒磯に居る、則ち人をおそるゝが故なり。
「方丈記」鴨長明
「がうな」はヤドカリ、当地には、一生を海で暮らすヤドカリ科も、幼生の時代だけ海で暮らし、成長後は海岸近くの陸地に住むオカヤドカリ科、も、ともに棲息するが、鴨長明は、もっぱら海のない都、京都に住んでいたはずだが、たとえば、源実朝との面会のために、鎌倉へ旅したときとか、その地の浜辺で目撃することができたヤドカリは、前者、ヤドカリ科のものであったろうかと想像される。ひょっとしたら、高校の古文の教科書とかにも、載っていた一節かもしれないが、「がうな」はもとより、「みさご」などと言う鳥の名前、何の記憶もない、・・・、たしかに、ミサゴ(タカ科)は、「荒磯に居る」わけだが(笑)、それをただちに「人をおそるゝが故」などと言ってしまうのは、もちろん、「人間中心主義」に過ぎるであろう。
「方丈」、とは?
「がうな」、と、「みさご」、談義
・・・
「猛禽類の名称を冠した軍用機」について論ず↓
他・の・生き物を「見る」ためには、相手の警戒を解除するためには、こちらの「存在」を消去しなければならない、という発見、哺乳類のくせに鳥類に「憧憬」する「ヒト」という種、キツネアザミのララバイ(笑)、ダーウィンとヴィトゲンシュタイン、とか

猛禽類の分類
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「オスプレイ」というのは、魚食性の猛禽類ミサゴ、「鶚」、の英語名なんだよ!風の流れに乗って上空をゆっくり旋回していたのが、魚影を見つけたんだろう、いきなり翼をたたみ、弾丸のように、いや、弾丸が飛ぶとこ、って見たことないけど、急降下して、海面すれすれのところで、ふたたび翼を大きく広げて、安定を取り戻し、その強力な爪を用いて、もちろん、うまくいけばの話だが、かなり大きな魚をつかみ取り、悠然と上昇しつつ去っていく、・・・、捕まえられてしまった魚の気持ちを想像すると、身も縮む思いだけれど、その姿は、やはり、「優雅」と呼ぶにふさわしく、命名者は、「垂直上昇/下降」ができる、という類似性から、選んだのだろうけれど、似ても似つかない、などと、立腹してしまうのは、べつに私が、「反基地派」だから、というわけだけでもない、・・・、などと、得意そうに喋るのも、もう、すっかり飽きてしまった(笑)、・・・、当初は、「物珍しさ」も手伝って、あの、ヘリコプターとも輸送機とも異なる、特徴的な騒音が聞こえてくるたび、カメラをつかんで、屋上に駆け上がったりしていたものだ、空を飛ぶものには、何でも「筒先」を向けてしまう、というのは、「バードウォッチャー」の習性、というよりは、もっとアルカイックな「狩猟者」の心性が、呼び起こされているのかも、などとも思う、・・・、あとで、写真のタイムスタンプを調べると、ほぼ正確に、13分間隔で、このあたりを、南から北へと通り抜ける、普天間基地がもう近いから、ローターを上に向けた「ヘリ・モード」に、すでに変わっている、ネットで探した「巡航速度」とか、ほかの場所で目撃した記憶とかをたどって、「試算」してみると、どうも、普天間からまず東へ、中城湾に出、そののち、時計回りの円弧を描いて、知念半島を回り、玉城あたりで、ふたたび陸の上空に入り、以降、普天間に戻る途中で、当地那覇市の上空を通過する、と想定すれば、つじつまが合う、玉城で目撃したときは、ローターを前に向けた「飛行モード」だったから、モードの変更は、それ以降の地上の上空で行われているらしい、・・・、などと言うひまつぶしの「研究」さえ、してみたこともあった、そんな自分の振る舞いを「診断」してみて、不思議に思う、本当は、不快で、見たくないのだ、見えないふりをしていたいのだが、これまたおなじみの、「トラウマ」経験に対する「躁的防衛」の一種であろう、「見えないふり」を採用することが、事実上不可能になってしまうと、人は、むしろ、進んで、「見よう」とし始めるものらしい、「見る」ことのストレスを、「見ないでいる」ことのストレスの方が、凌駕してしまう、ということだろうかね、・・・、でも、「慣れ」というのは凄いもので、いまや、「見えないふり」など、無理してしてみなくとも、本当に、見えなくなって、いや、見なくてもか・ま・わ・な・く・、なってきた感がある、もはや、あれもまた、この島の「サウンド・スケープ」、「ランド・スケープ」に、溶け込んでしまった、ということなんだろうか、もちろん、「溶け込んでしまった」ことが、「トラウマ」からの「治癒」を意味するわけではない、・・・、予備校教師だった頃、クーラーを節約して窓を開け放っていると、戦闘機の爆音で、授業ができなくなってしまうことは、しばしばあった、もちろん、私は、ことさらな「舌打ち」などして見せることなく、黙って窓を閉める、それは、「基地反対派」であることがバ・レ・る・のを心配しているからではなくて、この爆音のな・い・時間を、生まれてからこのかた、一度も経験したことのない、したがって、そのような「静穏」を、想像することすらできないかもしれない、彼ら、生徒さんたちに対して、そんな振る舞いは、「特権」的立場を誇示する礼譲を欠いた行為だ、と思ったからだけど、・・・、自分達だ・け・が、このような空の下に住んでいるらしい、と、彼らが「発見」したとき、それが「トラウマ」経験でなかったはずがない、誤ってはならないのは、「傷ついた」のは、「基地反対派」だ・け・だ、などと推認してしまうこと、「○○諸島を守ってくれる米軍に感謝」などと唱和する人たちでさえ、東京に住む官僚や代議士でない限り、この島に住む人々は、等・し・く・、「傷」を受けている、そのような言葉さえ、またしても「躁的防衛」に伴う攻撃性なのだ、と理解できないのならば、多少なりとも「精神分析」をかじった意味がなかろう、というものだ。私自身が、この、ミサゴ(タカ科)、という美しい鳥を見るたびに、思わず「オスプレイ」という言葉を当然にも思い起こし、何か、落ち着かない気持ちにさせられてしまうのは、やはり、もう少し別の、「罪悪感」に根差している。「サバイバーズ・ギルト/生き残った者が感じる罪悪感」という言葉があるけれど、それに近いだろうね、2012年だったろうか、普天間基地に、この航空機が配備されたとき、各ゲートの前に座り込んだり、自家用車を止めたりして、妨害する、という大きな運動があったことを、いくら新聞もとらず、ネットも見ず、「外界」からの情報を遮断していたとはいえ、週に何度かは、国道330号線で沖縄市まで通勤していたのだから、気付かぬはずはなかったのだが、やはり、「見えないふり」を採用していたのだろう、・・・、思い起こせば、今になっても「真相」はわからずじまいなのだが、そのころは、職場で「うちなーんちゅ」の同僚から、執拗な「ハラスメント」まがいの行為を受けている、もちろん、単なる「被害妄想」である恐れなしとしない、みたいな状況で、ほぼ「うつ病」再・発・に近い状態だった、もちろん、現実には、その同僚を、口汚く罵ったりもしたのだけれど、一方で私が「病気」に退行した機制は、わりと分かりやすくて、お前は、「基地反対運動」のた・め・にこの地にやってきたのに、「運動」から逃亡した、だから、こ・こ・にいる意味、「アイデンティティー」を失ってしまったようなものだ、この上、「うちなーんちゅ」の誰彼を、「逆恨み」してしまったら、もう、お前には、「立つ瀬」が無くなってしまうぞ!だから、フロイトが言うとおり、「他の誰かを攻撃してしまわないた・め・に、人は、『病気』にな・る・」、いわば、自己処罰、自傷行為、なのである。ずっと後、高江の工事が始まって、私が17年ぶりに、「現場」に少しだけ「復帰」したとき、その、普天間包囲行動のドキュメント・フィルムを観る機会があって、画面に映し出されている人たちが、そのころにはもう、お名前も存じ上げている見慣れた方たちばかりだったから、それは、大変、「羞恥」に似た、いたたまれなさを感じたものだった、・・・、お前はそ・こ・に居るべ・き・だったにもかかわらず、居なかった、という悔恨が、「サバイバーズ・ギルト」を形成する、その感覚は、神戸の震災以来、おなじみのものだった。「オスプレイ」という言葉を初めて耳にしたのは、もっとさかのぼり、まだ、「運動」から「逃亡」する以前、2000年の「サミット」直前に、はじめて作った英文のウェッブ・サイトに、はじめてアクセスしてくれた、という縁で知り合った、ハワイ大学のハーフ・オキナワンの学生さん、P君が何から何までおぜん立てしてくれて、名護東海岸在住の女性二人の、ハワイ講演旅行が実現した、通訳もできないくせに、私は、その、「添乗員」よろしくついて行ったのだけれど、当時、まだ、「海上ヘリ基地」と呼ばれていたものの米軍サイドの計画書に、その航空機を、ハワイから移駐させる予定、と書かれている、と指摘してくださった方があって、その御教示にしたがって、ホノルル北東10キロくらいのところにある、カネオヘKaneohe航空基地、に実際に見に行ったのだったかどうだったか、もう、記憶があやふやになってしまっているけれど、そのとき、同じ大学の日本人留学生の皆さんが、通訳を引き受けてくださっていたのだけれど、彼ら同士の会話のなかで、「ね、オスプレイ、って何よ?」、「知らない、なんか、鳥でしょ?」、と言葉が交わされていたのを、何故だが、今でも明瞭に思いだせる。もちろん、当時、まだ「バードウォッチャー」でなかった私は、「バードウォッチャー」である必・要・がなかった、ということだが、その日本語名が「みさご」である、と聞かされても、何も思い浮かばなかっただろうけれど・・・。ほらね、「オスプレイ」という言葉に触れただけで、これだけ喋らなければ気が済まないのも、私自身の「症状」なのである、あんな武骨な軍用機と同じ名前にされてしまっている、この鳥には、だから、ある種、申し訳ない(笑)、気持ちがしている、・・・、もっとも、「空を飛ぶ」ことを夢見た人類が、考えることは単純のようで、「戦争」に航空機が使用され始め、敵/味方双方の戦闘員の間に、「撃てば、撃たれる」、という「互酬性」に代わって、圧倒的な「非対称性」、「空」を制しているものの方が、その技術如何にかかわらず、ただ、「重力ポテンシャル」をわがものとしている、というだけの理由で、「強・い・」のである、が、持ち込まれたたのは、第一次大戦後、おそらく、「スペイン内戦」で、フランコ派を支援するドイツ、イタリアが、それぞれ、ハインケル社、フィアット社製などの機材を空爆に用いたのを嚆矢とするのであろうが、以来、タカ目、ハヤブサ目の猛禽類の名称を冠した軍用機は後を絶たないようである、イーグル/鷲、ファルコン/隼(はやぶさ)、ホーク/鷹、ハリアー/沢鵟(ちゅうひ)などなど、なわけだし、むろん、当の「ミサゴ」本人は、そんなことを気にかけたりはしないであろうが(笑)、・・・。
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ルネ・マグリットが描いた「ゲルニカ空爆」の絵から、ドイツ、イタリアの複葉戦闘機を探し当てる↓
延安の、洞窟の家の扉に貼られていたかもしれないスペイン共和国のポスター、アグネス・スメドレー、「『味方』の戦線内部の『敵』/エネミー・ウィズィン」という話型について、など、「老トロツキスト」の饒舌は続いて
「12分間隔」研究↓
歴史は二度、繰り返す。但し、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として、と言ったのは?

おそらく、それは、「見たくないものを、見せつけられ続けている」という、「苦痛」に対する、正当な、身体の「応答」なのである。
当時の記録↓、を今参照してみたが、クアロア・ビーチKualoa Beachから、湾をはさんだ対岸、カネオヘ半島Kaneohe、を望み、現在は、「MCBH/Marine Corps Base Hawaii」という名称だが、当時は、「カネオヘ航空基地Kaneohe Air Station」だったを、遠くから眺めただけで、しかも当時は、まだ、オスプレイ配備が「予定」の段階だったようで、機影を見たような印象があるのは、「記憶の偽造」であることがわかった
ハワイアン・チルダイ

ハワイ、オアフ島
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ミサゴ(タカ科)

ヒドリガモ(カモ科)・オス

ヒドリガモ(カモ科)・メス

ヒドリガモ(カモ科)、メス、オス

ヒバリシギ(シギ科)



リュウキュウツバメ(ツバメ科)

セッカ(ウグイス科)

シロチドリ(チドリ科)

セイタカシギ(セイタカシギ科)

キアシシギ(シギ科)

コアジサシ(カモメ科)





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Last updated  2023.06.20 04:33:50



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