テーマ:九州発見♪(525)
カテゴリ:九州ぐらし
久留米の町の中をちょっとさるいてみました。
「さるく」とは歩くの意味の筑後地方の方言です。 通外町にある「五穀神社」を訪れてみました。この道は、国道322号線(地元では文化センター通りとよんでいます)から続く参道です。 しめ縄の先が五穀神社の境内です。五穀神社は、久留米藩第七代藩主で和算家(江戸時代の数学)としても有名で、当時最高水準の和算書『拾璣算法』を著したことでも知られる有馬頼徸(ありま よりゆき)により、創建された神社です。 また、この看板にあるように「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた東芝の創業者である田中久重ゆかりの神社でもあるそうです。 田中久重の幼名は儀右衛門といい、幼い頃から才能を発揮し、五穀神社の祭礼でにおいて、当時流行していたからくり人形の新しい仕掛けを次々と考案して大評判となったことから「からくり儀右衛門」と呼ばれるようになったそうです。 神社の境内にある放生池という池です。訪れた時は桜が咲いていました。 下の写真が本殿となります。 五穀神社の名前のとおり、食物・穀物を司る女神である豊宇気比売神(とようけひめのかみ)を主祭神としています。伊勢神宮外宮の主祭神も豊宇気比売神であり、五穀神社は伊勢神宮外宮の分霊とされて、五穀豊穣、商売繁昌の神様として信仰を集めています。 また、境内の中には「郷学の森」と呼ばれるには久留米市出身の著名人6人の胸像が設置されています。 まず、久留米絣の創始者として名高い井上伝(→→→こちら)です、 からくり儀右衛門として知られる東芝創始者の田中久重(→→→こちら)です。また、この田中久重は井上伝の頼みに応え、紺の中に、花や鳥のような模様を織るための糸の染め方の「板締め技法」を考案したそうです。 久留米といえばブリヂストンタイヤ発祥の地、その創業者がこの石橋正二郎(→→→こちら)です。 ブリヂストンタイヤの前身はゴム底の地下足袋をつくると日本足袋株式会社(現・株式会社アサヒコーポレーション)です、その社長を務めたのが、石橋正二郎の兄であるこの石橋徳次郎(→→→こちら)です。 靴メーカーのアサヒコーポレーションとくれば、久留米には、ムーンスター(旧月星ゴム)という靴メーカーもあります。その初代社長がこの倉田泰蔵(→→→こちら)です。 6人の胸像があるはずでしたが、見落として5人しか撮影していませんでした。もう1人は、運輸大臣を努めた政治家の楢橋 渡(→→→こちら)です。 【了】 人気ブログランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[九州ぐらし] カテゴリの最新記事
|
|