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カテゴリ:成長
たー坊の芸(?)がまた増えました。
名前を呼ぶと、「あ」と言って手を挙げます。 「○○たつきくん」「あ」 元気よく、笑顔で返事をしてくれます。 「○○たつきくん」「あ」 たまに、両手を挙げて返事をするので、笑えます。 ただ、あんまり何回も呼ぶと、もうやってくれなくなります。 麦茶のポットを持って、コップに注ごうとします。 大人がやっているのを見て真似をしだしたようです。 最初は空っぽのポットでコップに注ぐ真似をし、空っぽなのに飲む仕草をしていました。 そしてそのうち、入っているポットを持って、注ごうとします。 さすがに重たいので、持ち上げることはできません。 それでも私が支えてやると、「だー(じゃー?)」と言いながら、コップに注いで、麦茶を飲みます。 一口飲んでは、「だー」、一口飲んでは「だー」。 きりがありません。 すごく嬉しそうにやっているので、止めようにもできません。 そして、この頃、自我が強くなってきたようで、自分のしてやりたいことがはっきりをしてきたようです。 でも、自分が「やりたいこと」と「できること」、自分が「やって欲しいこと」と大人に「やってもらうこと」がうまくかみ合わなくて、もどかしいようです。 自分のやりたいことがあるのに、まだ体が思う様に動かない。 自分はこうして欲しいのに、周りの大人は全然見当はずれなことをしてくれる。 すごくもどかしくて、イライラして、挙句、癇癪を起こして泣き出します。 「こうしてよ~」って言ってるのはわかるのですが、「何をして欲しいのか」がわかりません。 ああ、やっぱり「翻訳こんにゃく」が欲しい~。 「ドラえも~ん、子供が何をいいたいのかわからないんだよ~」 「(ぱぱぱぱっぱぱ~)はい、翻訳こんにゃく」(もちろん声は、大山のぶ代さんで) まあ、言ってることがわかるようになったらなったで、それはそれでまた大変か・・・ こういうもどかしさが、言葉を引き出すのかもしれないし。 だって、何でもかんでも要求が満たされたら、何も言う必要がないもの。 「ああ、こんなとき、なんと言えばいいのでしょーか」(by かんださんよう) 自分の気持ちを伝えるためには、言葉を使わなければならない、そのためには言葉を覚えなければならない。 そうして人は、言葉を覚え、それを使えるようになるのでしょう。 と、まあ、坊の芸はどんどん増えています。 本当に、ものすごい吸収力です。 赤ちゃんの能力って、無限なんですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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