カテゴリ:北海道・道東の春
北海道・道東の春(4) 滝上の春めいて明るい芝桜公園を後にして サロマ湖へと旅は続く。 北海道の宗谷岬から根室半島に至る オホーツク海沿岸の低地には 砂丘や砂州、その背後に大小の海跡湖や湿地帯が見られる。 そのひとつサロマ湖は 湖面の面積では日本で琵琶湖、霞ヶ浦についで 三番目に大きい。 サロマ湖の湖面も春めいて 柔らかな青 サロマ湖沿岸の常呂町(ところ)には 東大文学部の考古学研究施設がある。 その研究所の半生紀余の発掘調査によれば、 オホーツク海沿岸を中心に、5世紀~9世紀にかけて、 南樺太やアムール川下流域に故郷を持つ海洋民族が渡来し、 先住民のアイヌとは別のオホーツク文化圏を形成し、 生活していたという。 サロマ湖沿岸域は その中心的な活動場所であつたという。 本州が 飛鳥・奈良時代の稲作を中心とした農耕文化が 大王による統一国家へと歩み始めたとき、 日本のもう一方では、 船を縦横に操って、オホーツクの海で、海の生き物を捕らえて 生業としていた別の文化があったということは驚きである。 サロマ湖の湖岸流域には その土地独自の独立した文化が 連綿と古代より続いていのだ。 (この一帯は秋になるとアッケシソウ(別名・サンゴ草)が紅葉して、 湖岸は真っ赤な絨毯になる。) サロマ湖は 人々の暮らしを支える 豊かな自然の恵みに満ち満ちた海であった。 サロマ湖の道の駅の エゾヤマザクラの並木 満開 北の国のサクラ・エゾヤマザクラ 赤茶いろの若葉の展開が 芽吹き始めた木々のなかで 鮮やか 華やいだ彩りとなる。 長く厳しい冬から解き放された その開放感が 赤茶色の若葉や淡い紅の花びらに 凝縮され、 いのち静かに漲らせている エゾヤマザクラ 芽吹き始める知床の山 萌え始める山々 赤紫に煙る 萌え出ようとする 樹木のざわめきが聞こえるよう。 点々と ヤマザクラの紅も その内にエネルギー秘め 山々の彩となる 千年の古も 同じ景色であったろうか。 いよいよ秘境の地・知床半島へ、 その入口、 オシンコシンの滝。 オシンコシンの滝の源流は 知床半島の中央部に位置する 遠音別岳西側斜面にある。 激しく落ちる滝 その水しぶきを浴びて 蕗がぐんぐん伸びる 春 コロポックルの神が潜んでいそうな滝壺 芽吹かんとするその直前の木々は 紫紅に煙る。 その木々の間から 大きく2つに広がって流れる滝 その豪快さ その壮大さ 自然のおくりものは あくまで美しい エゾヤマザクラとオホーツク文化 エゾヤマザクラは オオヤマザクラの別名であるということを この記事を書く中で始めて知った。 大柄な花、大きな葉っぱ 濃いピンクなど オオヤマザクラの特徴である。 私の散歩道の途中の公園に オオヤマザクラが植栽された公園がある。 ソメイヨシノやヤマザクラより早く開花し、 一斉に開花して満開になると、 濃いピンクの塊となる。 その色は重すぎ、暑苦しい。 北国のエゾヤマザクラと同種のものとは とうてい思えない。 私の散歩道の公園のオオヤマザクラは 暖冬の地方でぬくぬくと育っている為か 園芸種として改良されているのか 原因はよくわからないが、 品格なく造花のようなサクラである。 所変われば、植物もここまで変わるものなのか。 サロマ湖を調べている時出会ったのが、 サロマ湖沿岸の町・常呂町(ところ)である。 ソルトレイクオリンピックの女子カーリングチーム・シムソンズは この町のチームであるという。 そして何よりも この町には 東大文学部の考古学研究施設が半世紀余に亘り在り、 この地域から縄文時代以来の遺物や建物跡などを多量に発掘し、 この地域の古代史に光をあてた。 その成果の一端が「オホーツク」という論文集にまとめられている。 私は、これらを興味深く読んで、とても深い感銘を覚えた。 日本が万世一系の天皇の国などという 歴史観の欺瞞性が浮き彫りにされる。 現代におけるオホーツク海文化圏というようなものへと 繋がる広がりも感じられ、北方領土問題を含めて考えさせられた。 今までとは異なる新鮮な世界観が広がるのを感じた。 興味のある方は、東大考古学研究室の論文集: OKHOTSK 北の異界(古代オホーツクと氷民文化) をぜひ読んで見て下さい。 司馬遼太郎も街道シリーズ・38で、 熱をこめてオホーツク文化 について語っています。 読みやすく手ごろな本として 司馬遼太郎著 「オホーツク街道」
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最終更新日
2011.06.18 17:08:17
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