カテゴリ:歴史/考古学/毛人
南蛇井増光寺C区の土器106点の分類を試行している。甕に続いて壺21点の分類を行った。
『南蛇井増光寺エリアの土器』(おぢさん) 「太田地域における古墳時代前期の土器編年試案」[1](以下「太田地域編年」)では櫛描文施文壺は「壺A」、縄文施文壺は「壺B」に分類されている。おぢさんの分類ではこれら在来系壺の分類を変えて「壺A…通常の在来系壺」「壺B…短頸壺」とする。短頸壺とは以下のようなものを指す。 南蛇井増光寺遺跡C39号住居 短頸壺19 殆ど甕のような器形で比熱痕がなく赤彩されるという特徴を持つ。南蛇井増光寺遺跡の報告書でも短頸壺として分類されている。 在来系壺は以下の分類基準を使って分類する。 「I無頸壺」は分類作業の結果を受けて追加したもので、分類集計では分類不能としている。 壺C~Hは太田地域編年に従う。太田地域編年の分類は、以下リンクの「成塚向山」シートを参照。 鏑川上中流域弥生後期4期~古墳前期土器分類 21点の壺の分類集計結果。 一番多かったのは大きく開く単口縁で櫛描文が施された A1Ra の壺。 〔左〕39住4 〔右上〕81住1 〔右下〕39住5 次いで多かったのは同じ器形で羽状文、矢羽状文、T字文などの科野方面からの影響と思われる文様が施された A1Ua の壺である。但し、T字文は長野盆地から群馬県北部へ[2]、羽状文は佐久盆地からのルートを想定する見解がある。 〔左〕22住1 〔右〕39住1 上記分類では分類できなかった壺を検討する。器種の呼称は南蛇井増光寺報告書による。 左上のC22住21の小形扁平壺は、上述の短頸壺と類縁のものとして壺に分類されているのかもしれないが、 左下のC22住33はミニチュア壺である。ミニチュア土器は細分せずに「ミニチュア壺」「ミニチュア甕」程度の分類とする。下段中のC22住34の小形無頸壺は鉢のようでもあるが、右のC38住9の台付壺と比べてみるとよく似た体部をしていることが分かる。今回の試行によりこの手の形があることが分かったので「壺I」無頸壺の分類を追加することとした。 [1] p.448-471、深澤敦仁 2008「太田地域における古墳時代前期の土器編年試案」 群埋文『成塚向山古墳群』 [2] p.46、小山岳夫 2015「長野県各地の後期弥生土器と隣接地域間交流」 かみつけの里博物館『第24回特別展 ゆくものくるもの』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.04.22 09:30:46
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