カテゴリ:歴史/考古学/毛人
鏑川上中流域弥生末期~古墳前期土器編年見直しの準備として、甕の分類を試行している。
鏑川上中流域弥生末期~古墳前期土器編年見直し試行ー甕の分類1(南蛇井増光寺C区) 鏑川上中流域弥生末期~古墳前期土器編年見直し試行ー甕の分類2(南蛇井増光寺C区) 南蛇井増光寺遺跡のみでは、偏りが心配なので、上丹生屋敷山遺跡の甕類の分類を試みた。両遺跡は3km程しか離れていない。南蛇井増光寺遺跡は4期以降断絶しているのに対して、上丹生屋敷山遺跡はその後も存続しており、分類も古墳時代前期後半まで含めて行なった。 『丹生エリアの土器』(おぢさん) 前回同様、在来系の櫛描文施文土器(樽系)と縄文施文土器(吉ヶ谷系)についてはおぢさん独自分類を適用した。今回の分類では以下の点を変更した。 櫛描文施文土器のみ3細分していたが、バランスが悪いので1分類とした。櫛描と縄文の折衷は樽式地域に対する吉ヶ谷の影響という点を重視して縄文施文土器の分類に含めた。 在来系の土器以外については「太田地域における古墳時代前期の土器編年試案」[1]に従い分類作業を行った。下記リンクの「成塚向山」シート参照。 鏑川上中流域弥生後期4期~古墳前期土器分類 上丹生屋敷山遺跡の4期から古墳時代前期後半に属すると思われる19軒の住居から出土した甕45点を分類した結果は以下の様になった。大きさによる分類は別途行いたいと思い中・大型甕と小型甕は今回は分けていない。 甕F3の10点が突出しているがこれはS字甕。以下に例を示す。 〔左〕119住1、〔右〕245住2[2] 甕F3は横刷毛が失われた段階のもの。 在来系では A1Pa と B1Pa が多い。Bは輪積あり、Pは縄文施文ということで吉ヶ谷系の影響と思われる。 〔左〕208住1(B1Pa)、〔右〕208住2(A1Pa)[3] 今回悩んだのが「4.斜めに弱く開く頸部。」の分類で、目安が欲しいと感じた。元々この分類は吉ヶ谷式土器の頸部のくびれが殆どない甕からの影響を想定したものだ。 吉ヶ谷遺跡の甕(東松山市埋蔵文化財センター) 上の写真の甕では頸部をくびれさせるという意識があまりないと分かるが、胴部から頸部の形態は多様で、くびれが弱いといっても実際に分類するとなると迷いが生ずる。下は判断に迷ったものの例。 〔左上〕112住1〔中上〕152住1〔右上〕253住1 〔左下〕159住1〔中下〕191住1〔右下〕206住1[4] ラインの左側を「1.やや開く頸部」、右側を「4.斜めに弱く開く頸部。」に分類した。実際ほとんど差はないが、左の方がくびれを作る意識が強いようだ。 頸部と口縁部の差が小さい事、頸部に明確な屈曲部をもたない事をポイントとして、この図を目安に判断することとする。 そのうち全ての分類について模式図と実例を掲げたいと考えている。 先に述べたように南蛇井増光寺遺跡と上丹生屋敷山遺跡は3km程しか離れていないにも関わらず、上丹生屋敷山遺跡では縄文施文が多いことや、甕の頸部が垂直に立ち上がるものが見られるなど南蛇井増光寺遺跡とはかなり違う個性があるように見受けられた。 [1] 深澤敦仁 2008「太田地域における古墳時代前期の土器編年試案」 群埋文『成塚向山古墳群』 [2][3][4] 富岡市教育委員会 2009『丹生地区遺跡群』《図版編》 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.06.04 20:55:05
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