カテゴリ:歴史/考古学/毛人
鏑川上中流域弥生末期~古墳前期土器編年作業の準備が整ったので編年作業に着手する。第1弾は丹生エリアの上丹生屋敷山遺跡。
鏑川上中流域のエリア区分 鏑川上中流域の弥生集落分布 「鏑川上中流域弥生末期~古墳前期土器編年見直し」について 鏑川上中流域弥生末期~古墳前期土器編年見直し 上丹生屋敷山については矢じり分析で以前取り上げた。 鏑川流域(丹生エリア)の鏃分析 まず上丹生屋敷山遺跡の土器を1点づつ類型分類した。共伴関係を得るため出土土器数が少ない住居は除外した。ある程度残存部が確保され類型分類可能と思われる土器を対象とした。結果38軒265点の土器を類型分類した。 分類結果 「上丹生屋敷山」 土器分類の類型(在来系は「おぢさん」シート、外来系は「成塚向山」シート参照) 鏑川上中流域弥生後期4期~古墳前期土器分類 上丹生屋敷山遺跡は弥生時代後期の環濠集落で既に報告書によって住居ごとの編年もなされている[1]。報告書では弥生時代後期を1・2段階、古墳時代前期を3・4・5・6の段階に分けている。 1・2段階の住居からは古墳時代前期の土器片は出土していないこと、3・4・5・6段階の住居からは古墳時代前期とみられる土器が確認されていることによって大別されている。 この大別では、おぢさんが検討対象とした住居38軒中19軒づつがそれぞれ弥生時代後期と古墳時代前期に分類される。 以下は樽式に元々見られず明らかに後出的と思われるS字甕と器台の検出数を住居毎に示したもの。(「上丹生屋敷山」の「住居段階推定」シート参照) 報告書で弥生住居とされている表の左側の住居ではS字甕と器台は検出されていない。古墳時代住居とされる右側の住居では、そのほとんどからS字甕か器台のいずれかが検出されている。YA159からはS字甕や器台は出土していないが、有段高坏と瓢壺が出土している。これも後出的な東海傾向と捉えることが可能だろう。報告書の時期大別はS字甕と器台という明らかに後出的な器種の有無に対応しており明確なものだとわかる。 報告書によると、この大別の前の段階では環濠の内側に住居があり、後の段階では環濠の外側に住居がある。ここでは前後の段階をそれぞれ、環濠内段階、環濠外段階と呼称する。 環濠内段階と環濠外段階それぞれどのような甕がどれだけ検出されたか集計した。 環濠内段階で最も多い類型は頸部輪積みがなくやや開く口縁で櫛描施文の A1Ra である。次いで A1Ra とほぼ同じだが無文の A1Oa と輪積みの B1Ra がその次に多い類型となっている。以下にその例を示す。 〔左〕301号住居1〔右上〕307号住居1〔右下〕327号住居1[2] 〔左上〕323号住居2〔左下〕376号住居10〔右上〕301号住居2〔右下〕317号住居1 環濠外段階で最も多い類型はS字甕で横刷毛の失われた段階の F3 である。縄文施文の A1Pa、B1Pa がそれに続く。 〔左〕119号住居1〔右〕152号住居7 〔左〕152号住居1〔右〕208号住居1 環濠内段階と環濠外段階の変化をグラフ化した。※小型甕を除く。 S字甕を赤、縄文(吉ヶ谷系)を緑系統、無文を紫系統、櫛描(樽系)を黄系統、その他を灰で表した。 環濠内段階には樽式が過半を占め無文化もある程度進んでいた。環濠外段階になると環濠内段階には全く見られなかったS字甕(赤)が出現し最も頻度の高い甕となる。在来系甕では樽式と吉ヶ谷式の割合が逆転する。この間、無文の在来系甕はむしろ減少する。 S字甕が存在感を増した間、在来甕はどう変化するだろうか。櫛描から縄文へという施文以外に変化を確認できるだろうか。頸部の輪積みを見てみよう。 輪積みの割合は6割方輪積みなしで特に変化はない。輪積みは吉ヶ谷式からの影響とみられるので、同じく吉ヶ谷式の影響とみられる縄文施文が増加することからするとやや意外だ。輪積み傾向が早い段階から既に流入していたことを物語っていると考えられるだろうか。次に頸部の形態を見てみよう。 元々樽式に多い、やや開く頸部が高い頻度でみられるのは変わらない。環濠外段階では垂直に立ち上がる頸部や、吉ヶ谷式に多い頸部の括れが弱い形態の割合がやや増えている。 [1] p.271-277 富岡市教育委員会 2009「上丹生屋敷山遺跡における弥生時代環濠集落・古墳時代集落の検討」『丹生地区遺跡群』《本文編》を参照。 [2] 図版は 富岡市教育委員会 2009『丹生地区遺跡群』《図版編》から採った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.06.30 22:52:09
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