カテゴリ:歴史/考古学/毛人
今回は、東八木遺跡、阿曽岡・権現堂遺跡の北陸系の系統に属すると思われる住居の土器を観察する。住居毎に見てみいく。縮尺は統一していない。
参考: 東八木、阿曽岡・権現堂(阿曽岡・権現堂エリア)古墳前期土器編年―甕(在地系1) 土器の例を挙げた遺跡の位置 地図データ ©2018 ZENRIN ①東八木遺跡、阿曽岡・権現堂遺跡 ②栗林遺跡 ③六反田南遺跡 ④県・県西南部遺跡 ⑤下佐野遺跡 ⑥愛宕遺跡 ⑦小林遺跡 北陸系住居 阿曽岡11、阿曽岡33、権現堂Ⅲ区143の各住居が該当し、阿曽岡40、権現堂Ⅲ区141も同系統だと推測する。 《阿曽岡11号住居》 阿曽岡11号住居の土器[1] 面を持ちわずかに上下に伸長する口縁端部と肩が張り尖った底部が推測される器形や、胴部のハケ調整が施された甕2,3は、千種甕の系統。また、5の器台も明らかに北陸系のもの。以下に類例を北陸と科野から挙げる。 阿曽岡11号住居土器の類例 〔左上〕栗林遺跡第33号住居7 〔右上〕六反田南遺跡SK218-11 〔左下〕六反田南遺跡SD213-36 〔右下〕栗林遺跡第29号住居57 《阿曽岡33号住居》 阿曽岡33号住居の土器 阿曽岡33号住居の甕も明らかに北陸系と思われる。頸部内側の段差も北陸系の甕によくみられる。 阿曽岡33号住居の土器の類例 〔上段〕六反田南遺跡SD196 〔下段〕県・県西南部遺跡1号住居 《権現堂Ⅲ区143号住居》 権現堂Ⅲ区143号住居の土器 球胴化傾向とハケ調整が全体的に顕著。甕1は頸部の輪積みが吉ヶ谷系にみえる。胴部がハケ調整になっており、吉ヶ谷系と北陸系が融合しているように見える。北陸系器台も出ている。 〔左〕下佐野遺跡SZ9-81 〔中〕愛宕遺跡SD404B-153、愛宕遺跡SK23B-154、愛宕遺跡SD103B‐155 〔右〕小林遺跡SX01-447、下佐野遺跡井波地区SI02‐3119 下佐野遺跡SZ9-81の壺?の短いピッチのハケはいかにも北陸らしい。図では頸部に輪積痕が残っているように見える。底部の突出も権現堂Ⅲ区143号住居壺2に対応している。輪積みはたまたまかも知れないが結果的に似ている。短い頸部が直立する甕は多くは無いが珍しくもないようだ。器台も高坏もピッタリ一致ではないが似ているといえそうだ。よく探せばもっと似ているものがありそうだ。 このように、図化された土器のすべてが北陸系に見える住居があるほか、阿曽岡47号、阿曽岡65号などは北陸系と思われる土器を含んでおり、北陸の影響が遺跡全体としても強く認められる。 [1] 各遺跡の土器の図は、以下報告書より採った。 東八木遺跡、阿曽岡・権現堂遺跡 富岡市教育委員会 1997『東八木遺跡、阿曽岡・権現堂遺跡』 栗林遺跡 長野県埋蔵文化財センター 1994『長野県中野市内 : 栗林遺跡・七瀬遺跡』 六反田南遺跡 新潟県教育委員会 2008『六反田南遺跡・前波南遺跡』 県・県西南部遺跡 長野県埋蔵文化財センター 1998『軽井沢町内・御代田町内・佐久市内・浅科村内 : 県遺跡・県西南部遺跡・池尻遺跡・小田井城南部台地遺跡・唄坂遺跡・金井城跡・中金井遺跡群・栗毛坂遺跡群・下蟹沢遺跡・長土呂遺跡群・常田居屋敷遺跡群・前田遺跡群・砂原遺跡・中平・田中島遺跡・土合遺跡』 下佐野遺跡 富山県教育委員会 2013『下黒田遺跡・下佐野遺跡・諏訪遺跡・蔵野町東遺跡・蔵野町遺跡・駒方南遺跡発掘調査報告』 愛宕遺跡 富山県教育委員会 2013『白石遺跡・大江東遺跡・大江遺跡・愛宕遺跡・今開発東遺跡・今開発遺跡・三ヶ・本開発遺跡発掘調査報告』 小林遺跡 大島町教育委員会 2003『小林遺跡』 下佐野遺跡井波地区 高岡市教育委員会 1992『市内遺跡調査概報 I』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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