カテゴリ:歴史/考古学/毛人
南蛇井増光寺B区の土器を分析した。
鏑川上中流域のエリア区分 鏑川上中流域の弥生集落分布 分類結果 南蛇井増光寺エリアB区の土器 土器分類の類型(在来系は「おぢさん」シート、外来系は「成塚向山」シート参照) 鏑川上中流域弥生後期4期~古墳前期土器分類 縄文施文はやや少なく櫛描施文が多い。滑らかな頸部の形や文様などに科野的なものがたまに見られる。全体的な傾向は、南蛇井増光寺C区と同じだ。 問題は、なんといっても南蛇井増光寺遺跡では唯一となるS字甕だろう。B168号住居(上表では「台付甕 F2」)から出土している。S字甕は口縁部破片と台部破片を同一個体とみなし、台部のハケメがなで消されていないことからF2として分類した。復元すると高さ30cm程度のS字甕になるだろう。出土位置は他の土器の多くが床密着か低い層位からの出土の中、口縁部は覆土からの出土し、台部は床面+5cmで出土している。この住居の図化されている土器は9点で、あまり多くないうえに完形のものはない。 B-168号住居のS字甕 B-168号住居の土器 S字甕が出たB168号住居の他の土器を見ると、櫛描波状文の樽式の3期以降で特に新しいものという印象はないものの、よく見ると少し特徴がある。左上の甕2は頸部は簾状文ではなく波状文が3連止めとなっている。また櫛は多めの9本単位となっている。右上の甕3は簾状文はなく波状文のみだが、珍しいものではない。甕4は頸部輪積で波状文が頸部に施文されている。6は高坏の杯部で口縁部の水平の広がりはない。7は無形壺的な形のミニチュア土器。 今回分析対象とした住居はすべて、南蛇井増光寺遺跡の報告書でV期とされている住居である[1]。Ⅴ期は外来系特に北陸系土器の共伴が目立つ時期とされている。おぢさんは正直なところ、在来系の土器はいわゆる樽式の3期の段階とあまり区別がつかない。ということでこの段階の樽式土器を少し観察しておきたい。 B-22号住居の土器 2は無節の縄文。この時代、無節の縄文がやや多い印象がある。4は頸部に2連止めの簾状文が施されているが、櫛の一単位が異様に太い。細かく本数の多い櫛と、このように太い櫛が共存している。5は乱れて疎らな波状文。 B-61号住居の土器 1は簾状文がやや離れて2段になっている。上は4連止め、下は2~5連止めの不規則な簾状文が施されている。4は吉ヶ谷式の系統らしく頸部の括れがほぼない。似たような形の高坏が2点(7、8)出土している。樽式によくある深い杯部と、後の時代に典型的な大きく広がる杯部の中間的な形をしている。この中間的な形がこの時代に一般的であったとすれば時系列的に違和感がない。 [1] 以下参照。 群埋文 199X『南蛇井増光寺遺跡Ⅰ』 全体図 群埋文 1997『南蛇井増光寺遺跡V C区・縄文・弥生時代 本文編』p.722 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.08.23 22:44:53
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