カテゴリ:歴史/考古学/毛人
鞘戸原Ⅰ遺跡と鞘戸原Ⅱ遺跡は中高瀬観音山遺跡の東南東約2.5Kmに位置する。中高瀬観音山遺跡との間には目立った集落遺跡はないが、中高瀬観音山遺跡と同じ北山丘陵上に古墳前期の前方後方墳の茶臼山西古墳と、同じく古墳前期の円墳と推定される茶臼山古墳がある。このほか、北山丘陵と南後閑の辺りには、弥生後期から古墳前期の土器を出土している包蔵地が散在[1]しており、この時期このエリアに人が住んでいたことは間違いない。
鏑川上中流域のエリア区分 鏑川上中流域の弥生集落分布 鞘戸原Ⅰ・鞘戸原Ⅱ遺跡の土器分類結果 鞘戸原Ⅰ・鞘戸原Ⅱ 土器分類の類型(在来系は「おぢさん」シート、外来系は「成塚向山」シート参照) 鏑川上中流域弥生後期4期~古墳前期土器分類 甕は1点を除き在来系。頸部輪積痕を残すものが多い。施文は櫛描もあるが、縄文が圧倒的。 〔左〕Ⅱ-10号住居 甕2(B2Pa) 〔右上〕Ⅰ-8号住居 甕6(A'3) 〔右下〕Ⅰー7号住居 甕2(B4Ra) 短い頸部が弓なりに湾曲する〔右上〕の甕6のみ外来系と判断した。 壺も在来系が大半で、縄文施文が多く櫛描は少ない。 〔左上〕Ⅰ-1号住居 壺3(A2Pa) 〔右上〕Ⅱ-23号住居 壺4(IOa) 〔左下〕Ⅰ-1号住居 壺5(残存部少) 〔右下〕Ⅰ-7号住居 壺5(F1) Ⅰ-1号住居 壺3は上丹生屋敷山で多いタイプに似ている。羽状文?を結節縄文で区画したⅠ-1号住居 壺5とⅠー7号住居 壺5の長頸壺は外来系。Ⅱ-23号住居 筒状の花瓶のような形の壺4は同じような形のものがこの地域にあった筈だが、思い出せない。ただいま捜索中。 高坏は完形のものは少ないが傾向は読み取れる。大半が樽式を脱した古墳時代のものといった雰囲気だ。 〔左上〕Ⅱ-23号住居 高坏1(F4Oa) 〔右上〕Ⅰ-8号住居 高坏11(E5Oa) 〔左下〕Ⅰ-7号住居 高坏6(D??b) 〔右下〕Ⅰ-8号住居 高坏13(D3Oa) 左上の高坏は東海系か。高坏を全体的に眺めると、遠方の系統であったり、非常に整った形の椀型であったり、裾が大きく広がる脚部、丸い穿孔など、明らかに樽式の系統とは異なっている。 鉢は片口を含め3点、有孔鉢が1点、器台は下段の2点のみで完形のものはない。 〔左上〕Ⅱ-23号住居 鉢3(A1Mb) 〔右上〕Ⅰ-8号住居 鉢19(Fb) 〔左中〕Ⅰ-1号住居 有孔鉢9(A2) 〔右中〕Ⅰ-8号住居 鉢18(A1Ma) 〔左下〕Ⅰ-8号住居 器台16(F??a) 〔右下〕Ⅰ-8号住居 器台17(残存部少) 縦横比はやや異なるものの、左上の鉢3、左中の有孔鉢9、右中の鉢18のシルエットが似ているようにおぢさんは感じる。数が少ないので断定はできないが、やや小さく弱く突出する底部、弱く内湾する口縁という形態が当時の一般的な鉢の形だったのかもしれない。鉢19はおぢさんの使用している類型では分類不能だった。頸部輪積み、口縁部縄文の特徴から吉ヶ谷系と推定し、新類型、鉢Fとして分類し、赤彩を表す b を付した。鉢2点で赤彩が見られるのは、時代推定の手掛かりになりそうだ。全体の土器数が少ないためかもしれないが、器台はやや少なく、まだ定着していない段階だろうか。 [1] 詳細は p.5-6 1992 富岡市教育委員会『鞘戸原Ⅰ・鞘戸原Ⅱ・西平原遺跡発掘調査報告書』参照。 図版は同報告書より。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.08.12 12:41:30
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