カテゴリ:歴史/考古学/毛人
鏑川上中流域古墳前期土器の編年作業のために、当初分析を予定した住居の土器をほぼ検討し終えた。
ここで、分類した土器をすべて類型別に集計して編年作業に入ろうかと思ったが、2つの問題が浮かび上がった。まず検討した住居だけでは、S字甕の調整が刷毛目からケズリに移行する段階以降が非常に少なくなってしまうことが分かった。もう一つは、いままで検討対象を住居から出土した土器に限っていたが、壺は住居より墓から出土する場合が多く、また完形のものが少ないので、墳墓の土器も検討対象にすることが必須と思われた。まずは雄川以東にも範囲を広げて土器の検討を行い、最終的な編年をまとめることにする。 雄川以東は土器の様相が異なるという情報もあるが、雄川以西の鏑川流域でも遺跡ごとにかなり個性があることが分かったので、そこは気にしないことにした。また壺については、甕をベースに編年を纏めたのちに墳墓の土器を対象に加えて、編年の中に組み込んでいきたい。 ひとまず、この段階で暫定版として鏑川上中流域の主な遺跡の土器を編年しておくこととした。 主にS字甕と器台に注目し、その有無とタイプで主な遺跡を0期~5期の6つの期に段階分けした。多々、問題はあるかも知れないが、気になる点が一つある。1期を外来系土器(特に北陸系)の割合の高さを重要なキーとして0期とは分けたのだが、実際には0期と同時期の在来土器圏外からの移住者の住居または集落を1期として分けた可能性があることだ。ここは判断がつかなかった。 編年作業をしていて確信したのは、在来系土器と外来系土器はかなり長い期間併存していたということと、在来系土器と外来系土器の比率は住居毎、集落毎でかなり違っていたということだ。例えば一ノ宮押出遺跡の2期では在来系土器は検出されないのに対して、上丹生屋敷山の2期ではほぼ在来系のみという具合だ。 今回時系列で並べた土器の図をあらためて見てみると、外来系として移入され異彩を放っていた土器は、漸次その特徴が在来系土器に取り入れられているような印象を受ける。 各期の主な遺跡(数字は住居番号)と土器の特徴 鏑川上中流域古墳前期土器編年図ー甕(暫定版) ※縮小されているのでファイルに保存すると大きく見えます。 土器図版転載元 群馬県埋蔵文化財調査事業団 1997『南蛇井増光寺遺跡Ⅴ』 富岡市教育委員会 2009『丹生地区遺跡群』 富岡市教育委員会 1994『一ノ宮押出遺跡』 富岡市教育委員会 1997『東八木遺跡、阿曽岡・権現堂遺跡』 群馬県埋蔵文化財調査事業団 1995『中高瀬観音山遺跡』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.11.02 15:31:53
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