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カテゴリ:疾病
死ぬ時の延命治療はいらないが、家族や知り合いに見取られて死にたいというのが、大半の人の思いではなかろうか。 管に繋がれたまま苦痛を伴い意識混濁のまま生きながらえるよりも余程よい死に方である。 家族の少ない人の場合、特別養護老人ホーム(特養)のスタッフがその代役をできるのは大変すばらしいことである。 ほのぼのとした空気が漂う小国診療所の待合。気さくな会話が交わされる 長岡市の小国(おぐに)診療所の廊下では、お年寄りたちが世間話に花を咲かせる。「最期の過ごし方」も話題の一つだ。 農業を営む野田武二さん(74)は2002年6月、母親を家でみとった。小国では当時最高齢の100歳だった。父親は60歳で亡くなったが、自宅で寝たきりになったのは1週間だけだった。 「私も穏やかに逝きたいね」。野田さんがそう切り出すと、ひ孫を含む5人で暮らす山崎弥生さん(86)は、「自然がええ。のほほんと死にてぃ」と相づちを打った。 戦前まで小国では、数えの還暦(62歳)を「木の又(また)年」と呼んだ。家族に迷惑をかけないため、木の又で「手じまい(自死)」の準備をする、という心構えを示す言葉だ。高度成長と共に豊かになり、そうした言葉は過去のものになったが、都市部に移り住む人も増えていった。 小国の大家族も、50歳以下の人の大半は長岡市街などで働いており、日中は家にいない。高齢化が進み、90歳代の親の面倒を70歳代の子どもがみていたり、老夫婦だけだったりする世帯には、介護で共倒れする不安がつきまとう。近所とのきずなが深い一人住まいの高齢者も、介護まで近隣に頼むことはできない。 介護力が低下する中で、1993年4月、診療所の横に開設された特別養護老人ホーム「おごしの里」(定員50人)が、小国の「大往生」を支える新たな場所になりつつある。大家族の代役を果たしているのだ。 地元出身者が多いスタッフは入所者の半生や細かなエピソードに通じ、おしゃべりを欠かさない。地域の人が多い入所者同士のコミュニケーションも良く、誰かが亡くなれば、入所者十数人が見送りに立つ。 スタッフは、入所者の容体の変化を家族に逐一伝え、「24時間いつでも面会できます。顔を見に来てください」と促す。死に向かう時間を家族が共有できるよう、演出も心がける。 西野スミさん(83)は今年3月、58年間連れ添った夫、良治さん(当時81歳)を、この施設でみとった。4人の子どもたちが巣立ってからは35年間、夫婦二人の暮らしだった。 2年余の入所期間中、「1日おきに見舞ったが、施設の人は家族の一員。延命治療なんて、考えもしねぇ。みんなに見守られ、(夫は)ええ死に方だったんじゃないだろか」と、スミさんは振り返った。 「オラ、最期は、おめさんがたにみてもらうすけいい(みてもらうからいい)から」。身寄りのない入所者の女性も、そう言って笑った。 [提供:読売新聞] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月02日 06時26分16秒
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