カテゴリ:家族
ポッチと押してくれると喜びます 我が家はエル(L)字型の建物なの。 下の曲がった所が私の住居で、 上の真っ直ぐな所が長男家の住居よ ベランダもそれに沿ってエル字型にあって、私のベランダは東向きで長いベランダは南向きです 前が広い駐車場だから日当たりは最高よ 6間(約12メートル)のうち… 私の部屋の前1間半のベランダには 干し物は干したくないの(超我儘) たいした眺めではないけど、空も見えるし、スズメも来るので大事な空間よ。 残りの長男家の前にあるベランダを 半分づつ使ってます。 嫁は洗濯物を広げて干さないので十分足りてるわ。 私は昔方式で竿に広げて、2間の長さの竿2本に、目一杯空に旗めかせるの 母親から教わった通り ・裏返しにして ・ポケットなどがある厚地の方を前に 向けて ・ゴム部分も必ず上部に ・下着は後ろの竿の他人様から見えない 場所に… 生地が傷むので、乾いたら直ぐ取り込み 長時間太陽に晒さないように…等々 こうして、干し終わった時の清々しさ。 まさに、今日はそんな日だったわ。 二所帯住宅で暮らし始めた頃は、 雨が降ってくると「雨が降ってきたわよ~」 と嫁に声を掛けたけど、豪雨でも外に干す人だった事に気が付いて、言わない事に決めたわ。 午後1時、すべての洗濯物がカラっと乾きました 天日干しって何て気持ちがよい デンドロビウム 兄(86才)からの電話 高齢の兄からの電話が鳴るとドキっとするのよね 84歳の義姉との二人暮らし 実際は長男も同居してるけど、 居ないより居た方が良い程度 高校を中退して、音楽活動をすると言って 4~5年間家を出ていたけど、 自活出来なくて実家に戻り、イベント会社に就職して落ち着いたかな~ と思った矢先に、クモ膜下出血で 生死をさ迷ったのが27歳。 奇跡の生還をして暫く実家の世話になり 再び実家を離れて自活の道を選んだものの クモ膜下出血の後遺症で、てんかん症状が出たの。 連絡が取れないのを心配した義姉が アパートで倒れているのを発見。 それ以降実家で暮らし、病気の事を理解して貰った会社で短時間のパート勤務をしている状態です。 てんかんは薬で抑えられているのに 母親が車椅子生活になったら、家事を手伝うどころか、 自分の食事はコンビニ弁当で済ませてしまうのよ。 以前「息子が同居してるんだから頼りにしたら!」 と言ったら「あいつは変わってるから頼めないんだよ」って。 もう一人の息子も家に寄り付かなくて 何処に住んでるのかも知らないそうよ。 30年以上前だけど、家を新築した時に 「息子が結婚したら同居したいんだ~」 何~て、夢のような話をしてたけど… 夫婦共、子供が大好きで他人の子を見ると 可愛がっていたわ。 息子は二人共独身。 嫁の話も、孫の話も無し。 それはそれで良いけれどね 話が逸れたけど、兄からすると妹が クモ膜下出血で倒れて2か月。 心配してるのよ。 「84歳になって、2か月意識が戻らないんだから 予後は厳しいんじゃないの」と言ったら 「そうだよな~」と寂しそう、 「みるこはどうなんだ?」 元気で居る事を話し(時々、逢ってるんだけど) 「今年中に来てくれよな」 「うん!行くね」 などなど、たわいのない話だけど30分ぐらい話したかしら。 お互いに、電話の最初の声よりだんだん元気な声になって… 7歳までの同居の記憶しかなくて、20年後に兄が結婚して 兄嫁の計らいで正月は兄宅に集まるようになって 始めて、兄妹の付き合いが始まり… 手探りだったけど、最後は固く結ばれた兄妹になれて 幸せ。 お互いを思いやり、身体を気使い 相手を尊重すれば、自分と違う生き方も受け入れられるはず。 姉・私・娘・兄…義姉が写真を撮ったの この写真は25年ぐらい前 5人でスイスを10日間 回った仲良し兄妹です。 旅行は私が誘いました。 楽しかった~ ポチっと押してくれると喜びます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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