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カテゴリ:雑感
私は、ずっと自己嫌悪というか、自分に自信がないので、どこへ行っても、どちらかというと低姿勢で、例えばレストランに入るときなんか、妻に「もっと堂々としなさい」と言われる。
兵庫県知事のように偉そうにできない。 私は偉い人は、偉そうにしないと思う。 例えば大谷翔平が、他人に怒鳴り散らす光景が思い浮かぶだろうか。 指導者としての栗山監督もそうだ。 最たるものは天皇だ。天皇が怒っている光景が思い浮かぶだろうか。 (昭和の戦前戦時中にはあったみたいだが) 自分には思い浮かばないが、「偉そうにする人」の心理とはどういうものだろうか。 合理的に考えた場合は、相手になめられないようにするというのがある。 あまり低姿勢だと、この人は何しても怒らないからいい加減にしようと思うかもしれない。 つまり自分に人徳がないのを認めているようなものだ。 それと怒られないとしないという組織は最低である。主体性がない。 子供と同じである。 非合理に考えた場合、知事はなんでもできると思っている。確かに人事権で部下の首根っこをつかんでいるので、権力は絶大だ。 斎藤知事の場合は、これに憧れて知事になり、夢にまでみた「偉そうにする」ことができると思っていないか。前職の総務省が同じような世界で今まで散々偉そうにされたから「偉そうにする」側に立って仕返ししているのではないか。 しかし、前にも言ったように人事権などの権限は組織が混乱した時でも、いい方向にもっていくために強権を発動できる権限であって、警察官のピストルと同じで私利私欲で乱用するものではない。 偉そうにしないと通用しないのは徳がなく、人望がない証拠なので、もう続かない。 ここまでくると再就職もできないから粘っているのだろう。 大谷翔平の両親は大谷に怒ったことがないらしい。「何せい、これせい」と一切言わなかったらしい。両親自ら行動して背中を見せて無言で「こんな風にするといいよ」と促しているだけだったそうだ。もちろん子ども自身に素質があったからかもしれないが、理想ではある。 にほんブログ村」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.09.09 23:12:05
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