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○カフェの始まりは東京日本橋小網町に出現した
「メーゾン鴻の巣」とされていますが、 実際的な店は、明治44年にフランスから帰朝し た洋画家・松山省三の「カフェー・プランタン」。 しかし大正初期まで開店した店は、バー、ビヤホ ール、レストラン、カフェー、西洋料理店、洋食 屋、喫茶など、ばらばら。 大震災後にできたカフェ。そこには美しい女給が 客をもてなす大人の世界。 私事ながら、私が千本支店に配属された折、千本 丸太町上った所に「天久」という時代物の店がま だありました。 真暗闇に近い暗さ、着物に割烹着の女給さん、7 8回転のSP蓄音機、 天井から市場の飾り付けのような偽造紅葉が垂れ 下がっていました。。 1960年、鎌倉在住の漫画家・永井龍男宅に夜 分京都から酔客の電話が鳴りました。 小説家・永井龍男、井伏鱒二、仏文学者・河盛好 蔵らからの電話で、場所はカフェ「天球」だった そうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
千本の『天久』へは、よく連れて行って貰いました。
女九さんは かなりの年配の人ばかり 理容師と知って『お化粧ちゃんと乗ってますか?』と聞かれ 『枯れ木に石灰』と言ったら 皆から 頭を小突かれました。懐かしい思い出です。 (2024.03.14 15:34:14)
柳居子さんへ
コメントありがとう御座いました。 (2024.03.27 18:39:47) |