朝9時に母をクルマに乗せて、投票してきました。
投票場は家から1キロ程度の距離にある中学校なのですが、
高令の母にとって徒歩での往復2キロは難儀なものがあります。
行きはゆっくり歩いて行けても、どこかで一休みしなくては、
さらに歩いて帰ってくるのが辛いと言います。
クルマのない高齢者は、投票することも困難ということになりましょう。
こうして母を見ていると、年よりが一人で暮らしていくことの困難を、
しみじみ実感するのです。
視力の衰えから、ちょっとした段差や床材の違いでも、
つまずいたり滑ったりしやすく、
買い物してもお財布から小銭を出せずにもたつき、
レジで迷惑をかけるからとついお札ばかりを出すので、
小銭ばかりが溜まってしまいます。
食料品のパックを開けようとすると、
透明なテープがあちこちに貼ってあって、なかなか開けられません。
インスタント食品の作り方は文字が小さくて読めませんし、
力の衰えのために瓶の口を開けることさえ困難です。
現代社会はレジでも銀行でも、
サービスの為に「待たせる・待たされる」ことをしなくなっています。
それだけ加速度的にスピード化しているのですが、
高齢者は若い頃と違って、身体の動きも神経の反射も鈍くなっていて、
それが今の社会についていけず、
周りからおいてけぼりにされているように感じ、憐れになるのです。
けれど母の姿は明日の我が身です。
すてきに歳を重ねたいは思っても、
現実はなかなか理想通りにいかないものだと思います。