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人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。
愚者は悪口を言って、その斧によって自分を切り裂くのである。 言葉の暴力は、他人だけではなく、自分も傷つけることになるのでしょうか? 「言葉は○○」というCMがありますが、私は「言葉は後付け」だと思います。 心が沈んでしまってはいけない。またやたらに多くのことを考えてはいけない。 生臭い臭気なく、こだわることなく、清らかな行いを究極の理想とせよ。 無理。 およそ苦しみが生じるのは、すべて識別作用に縁って起こるのである。 識別作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起するということはありえない。 これも無理。というかある意味「死ね」ということでしょうか? 識別作用が消滅するって・・・空になることでしょうかね。 以上、太字部分「ブッダのことば」より。 有り難い言葉の数々ですが、分かっちゃいるけどやめられないのが人間の性でして・・・ 悟るための実践方法としては、坐禅、学問、戒律を守るなどのカリキュラムやら 五戒やら八正道やらを守ると良いらしいのですが それすらも、お釈迦様お得意の方便だったりして・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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