|
テーマ:戦争反対(1187)
カテゴリ:雑記
日々の平和に感謝しつつ、犠牲となられた方々のご冥福をお祈りします
世界全体が平和になりますよう 《追記》毎年同じ内容ですが、忘れないように、忘れられないようにUPします 20130806 posted by (C)usausadiary 昭和20年8月5日。 祖母は親戚の葬儀に参列するため、1歳になる幼い伯父を背負って広島の姉妹のところに居ました。 「今日はもう遅いから泊っていけば?」 という誘いを断り、広島駅で切符を求める長蛇の列に並び、やっとのことでその日のうちに自宅のある呉へ帰りました。 翌朝、8時15分。 凄まじい地響きに驚いて空を見上げると広島の上空に原爆によるきのこ雲が見えたそうです。広島から呉へ入ってくる列車には怪我人ばかり乗っており、これは大変と、幼い伯父を背負い、翌日に広島入りした祖母。 必死になって姉妹を探しまわり、八丁堀でトラックの荷台に遺体として投げ込まれているのを見つけ、家に連れて帰ったそうです。無数の遺体だらけで息があろうがなかろうが構わずトラックの荷台に投げ込まれていたらしく、幸いにして祖母の姉妹は、祖母が見つけたおかげで一命をとりとめて助かりました。 祖母の姉妹は今現在も日常生活に支障なく健在です。 もし、あのとき。 祖母が広島に泊まっていたら。広島駅で呉行きの切符が買えなかったら。 祖母はもちろん、わずか1歳だった伯父もどうなっていたかわかりません。 祖母の運命を左右した8月5日は、祖母の命日・・・なにかの縁を感じます。 人は、1人でいきなり生まれてくるわけではありません。 父親そして母親が居ないと生まれてくることができません。 もし、あのとき。 祖母がなくなっていたら、私の母親も叔父たちも生まれてはいませんでした。私の母親が生まれていないということは、父親と出会うこともなかっただろうし、もちろん私も弟も生まれていなかったと思います。 当時1歳だった伯父もなくなっていたら、奥さんとも出会っていなかったし、従姉妹も生まれていなかった。従姉妹も旦那様と出会うこともないし、子供も生まれていなかった・・・。 自分を起点に親をさかのぼっていくと、わずか3代前でもすごい人数が生きて出会わなければ生まれてこなかったことになります。 そう考えると、現在身の回りの人たちとこうして顔をあわせることができる奇跡。 御縁というものはスゴイことなのだと伯父が話してくれました。 あの日、8月6日に何事もなければ本当はどこかで出会っていたかもしれない、誰か。 あの日のヒロシマにかかわった人たちのためにも、平和を祈りたい。 人の頭上に原子爆弾が落ちてくることのない平和な世の中でありますように ブログランキング にほんブログ村 人気blogランキング ふぉと お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.06 04:00:31
コメント(0) | コメントを書く |