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カテゴリ:政治経済
記事タイトル: 「民主制」対「権威主義」 国民主権国家「日本」を守る
▼ブログの続きを見る http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12684010314.html?frm_src=favoritemail 先日の日米共同声明では、 「海が日米両国を隔てているが、自由、民主主義、人権、法の支配、国際法、多国間主義、自由で公正な経済秩序を含む普遍的価値及び共通の原則に対するコミットメントが両国を結び付けている」 と、謳われ、 (※外務省の仮訳は「民主主義」となっていますが、「民主制じゃないの?」との疑問を持っていました。原文を確認すると、democracy だったので、やはり 民主制でした。何で、日本の役所(その他も)は民主制を「民主主義」と表現するのでしょうか? 民主制と民主主義は違います。民主制は「制度」ですが、民主主義は「価値観・主張」になってしまいます) G7サミットの共同声明でも、 「開かれた社会及び経済として結束し、また、民主主義、自由、平等、法の支配及び人権の尊重という共通の価値に導かれ、我々は、世界中で新型コロナウイルスに打ち勝ち、全ての人のためにより良い回復を図ることにコミットする」 (※恐らくこれも原文は「民主制」でしょう) と、宣言されました。(コミットとは、責任を伴う約束、という意味) もちろん、わたくしにしても自由、平等、民主制、法治主義、人権の尊重といった価値観が尊ばれる社会、国家で生きることを望みます。とはいえ、この種の価値観に普遍性があるかといえば、残念ながらそうではありません。 日米共同声明の方では、「普遍的価値」と書かれていますが、歴史的には違います。というか、わたくしは何らかの「普遍的な価値」を人類が持てるとは思っていません。「普遍的に近い価値」ならあり得るかも知れませんが、あくまで相対的な話です。 自由(※共同体内で人生の選択ができること)、法の下における平等、民主制といった概念は、古代ローマから「欧州」で受け継がれてきたものです。さらには、人権に至っては、フランス革命です。 特に重要なのが「民主制」ですが、議会制民主主義(厳密には議会制・間接選挙の民主制)は梅棹忠雄の「文明の生態史観」に従えば、ユーラシアの西と東、つまりは第一地域(西欧と日本)の「封建制」の延長線上にあるのです。 そして、ユーラシアステップ周囲の第二地域(帝国)には、権力の分散(つまりは封建制)は発展しませんでした。というか、皇帝の権力を他の者に分け与えた日には、あっという間に内戦が始まるか、帝国瓦解です。 【梅棹忠雄「文明の生態史観」 概略図】 というわけで、歴史的に見れば「民主制」は普遍的でも何でもありませんし、同時に昨日の「皇統」とは異なり「伝統」でもないのです。 さらに言えば、特に「非常事態」が発生した際に、民主制はその「弱さ」を露呈する。 同時に「帝国」的な国、いわゆる「権威主義」の国の政府は、非常事態への対応力が大きい。 ========================
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Last updated
2021.07.03 07:14:53
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