以前、三橋TVで「財政破綻論」から「国民国家崩壊」までのプロセスについて解説したことがあります。
1.財政破綻論:政府は国の借金で破綻する。もはや「国民」のためにおカネを使うことはできない。といった虚偽情報の拡散、浸透、蔓延。
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2.自己責任論:政府は国民を救わない。全ては自己責任である。といった国家の機能を否定する論調の拡散、浸透、蔓延。
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3.非常時の国民の選別:非常事態が発生した際には、「政府はカネがない。全ての国民を救えない」というレトリックで国民の選別開始
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4.国民分断と国民国家崩壊:選挙結果を受け、勝者がおごらず、敗者が敗北を認めるための基盤であるナショナリズムが破壊され、民主制が成立しなくなり、「異なる政体」へと変わり、国民国家が崩壊する。
というわけで、わたくしは「国民の選別をするな」と、コロナ禍開始直後から訴え続けてきました。
興味深いのですが、財政破綻論と国民選別論はコインの裏表の関係にあります。つまりは、
「財政が破綻するから、国民を選別しなければならない」
というレトリックになっているのです。
他にも、
「財政が破綻するから、ゾンビ企業は退場させるべき」
「財政が破綻するから、救う地域と救えない地域を選別するべき」
などなど、色々とレパートリーがあるのですが、全て90年代後半以降に日本で猛威を振るったグローバリズム(新自由主義)を推進するレトリックです。すなわち、垂直統合モデルや東京一極集中を推進し、企業や地域の多様性を失わせる。
昨日取り上げた日経の記事も、財政破綻論に基づく、国民に対する「選択と集中」を主張していました。「困っている人を救え」ですが、そもそも「困っている人」の定義は示さない。
「困っている人を救え」論に基づく、支援の選択と集中を主張するということは、選択から漏れた人を「見殺しにしろ」と言っているのも同然であることに、多くの人は気が付かない。
無論、「支援」の選択と集中論者は、
「自分が決めた「困っている人」の定義から外れた国民は、見捨てま~す」
とは主張できないため、財政破綻論が利用されるというわけです。そして、「選別から漏れた国民を見捨てる」政策を、美辞麗句で包んでそれっぽく主張する。
記事タイトル: 国民を選別する日本経済新聞
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