カテゴリ:本・書籍
2014年7月25日(金)
七夕の日に、銀座YAMAHAホールで開催された、X-JAPANのToshiさんのコンサート。 6人の楽器奏者とともに、そののびやかな歌声をホールに響き渡らせたToshiさん、最後に本を書いたことを告知していました。 1997年X-JAPANを脱退後の12年間、自己啓発セミナーホームオブハート(以下HOHと略します)の広告塔として過ごした日々を、人間としてけじめをつけるために「洗脳」というタイトルで書いたというのです。 早速アマゾンに予約しておきましたら、本日お昼過ぎに届きました。 著作が本業の人ではないので、どうせ大した内容ではないのだろうとタカをくくって読んでいましたら、これがなかなかの内容です。 X-JAPANのヴォーカルとして、まさに絶頂期にいたTOSHI(現在はToshiと書いていますが、この当時は大文字表記でした)さんが、身の回りに次々と起きる事件に振り回され、X-JAPANのメンバーに謝罪を繰り返す日々にあったころ、 ロックオペラ「ハムレット」の主役の役が舞い込み、その相手女優がオーディションで選ばれ、それがのちの結婚相手「守谷香(もりたにかおる)」であったこと。 それが洗脳の日々の始まりであったことが、克明に描かれています。 またそのころ、YOSHIKIはX-JAPANの世界進出を企画しており、TOSHIさんは専門のトレーナーについて英語の発音の勉強をしていたが、満足のいく結果が得られないでいたのです。 「僕は発音以前のYOSHIKIの要求にも応えられないのに、さらに英語の発音を完全にすることなんて到底無理だと思っ ていた。(中略)僕は、YOSHIKIの要求に応えられない自分のふがいなさ、自分自身に憤り、またそんな要求をする YOSHIKIにも憤りを感じた。自分の歌のレベルがあまりにも低いことを痛感していた僕は、X-JAPANのヴォーカル として、メンバーとして、やっていく自信も、気力も、またその資格もない・・・・・・と思うようになっていっ た。」 さらに事務所の社長を任せていた長兄とのトラブルの中で、TOSHIさんがは精神的に追い詰められていました。 そんな時、アメリカにいる彼のところに守谷から優しい手紙が届きます。 手紙の間隔がどんどん狭くなり、3日に一度は届くようになり、いつの間にかその手紙だけが救いになっていき、帰国後守谷にすすめられるがままに、HOHのセミナーに参加してしまいます。 最初は違和感を覚えたそのセミナーも、違和感を覚える自分のほうが間違っているのだとだんだん思わされるようになり、追加のセミナーもうけ、セミナーの主催者のMASAYAと守谷との巧みな鞭と飴の使い分けでどんどん洗脳されていきます。 セミナーの内容も、詳しく書かれています。 常識で考えれば、不信を抱いて普通のことばかり。 けれども周囲が全部HOHのスタッフたちで、MASAYAに激しく心酔し、その一言一言に涙を流し身を震わせる集団の中で、まっとうな感覚は失われていきます。 守谷との結婚、X-JAPANへの決別。 マスコミをにぎわせた洗脳騒動の只中、MASAYAと守谷の「洗脳騒動でHOHは収入を失った、お金を作りなさい」の言葉で消費者金融に手をだし、友人知人から何千万円も借金をして、さらに「詩旅(うたたび)」と称していたるところで歌を歌いCDを売り、その売り上げは全部守谷が集金し管理していった様子も、丁寧に描かれています。 なぜ彼はそこから逃れようとしなかったのか? なぜ逃れることができなかったのか? もちろん、HOHの人間がマネージャーと称してピタリと張りついていたこともあるでしょうが、繰り返される暴力と罵倒の連続が、TOSHIさんの考える力や気力を奪っていったのでしょう。 私も暴力こそなかったのですが、激しい言葉の罵倒を1時間半にわたって上司から受けたとき、その後半年間は物を考えることができなくなってしまった経験がありますので、よくわかるのです。 たった一回の罵倒でもそれほどの支配があるのですから、絶えず罵倒を受け続け、それも携帯にまで絶えず入り、更にセミナーと称する暴力行為の中で、ただ罵倒されまい、MASAYAと守谷の気にいるようにしようとの行動になってしまったのです。 のちに弁護士の試算によれば、年に1億円もの金がTOSHIさんからHOHにわたり、12年間で少なくとも10億円という巨額のお金がHOHに入ったことになります。 その間TOSHIさんは、窓もないような最低のビジネスホテルに泊まり、食事は1食600円以内のコンビニ弁当という日が続いていたのだそうです。 余分なお金は一切持たせてもらえなかったので、「詩旅」で出会った人からの差し入れが唯一のうるおいであったというのです。 私は何度も、この「詩旅」時代のTOSHIさんのコンサートに出かけています。 歌は素晴らしかったけれど、彼は少しも楽しそうではなかった。 いつも一刻も早くこの場を逃れたい、そんな様子で歌っていました。 楽しく歌えなかったわけが、この本でよくわかりました。 そこに、HOHの児童虐待事件が起こります。 2004年4月、栃木県の児童相談所が当時那須に合ったHOHの施設に立ち入り調査に入ります。 HOHの元会員であった人たちからの告発を受け、紀藤正樹弁護士が日弁連に人権救済の申し立てを行い、刑事告発に踏み切ったのです。 その内容は、「乳児は段ボール箱に入れられ、児童らが育てており、児童らは肉体労働をさせられ、就学年齢に達しても通学させていない」というものでした。 TOSHIは今回も広告塔として、そんなことはあり得ないと否定の会見をさせられたのです。 MASAYAからは、TOSHIさんのホームページに反論文章を記載することを、求められます。 2006年、X-JAPAN再結成の誘いが以前TOSHIのマネージメントをしていた男性から入ります。 彼曰く、YOSHIKIがそれを望んでいるということ、再結成したら3億円出す。すぐに1億5千万円は支払えるというのです。 TOSHIは断りますが、それを耳にしたMASAYAと守谷は話を進めさせ1億5千万円を手に入れてしまいます。 TOSHIは、X-JAPANを「宇宙的犯罪者」とまで罵倒し続けたMASAYAが、結局金のために再結成を受け入れたことに疑念を抱くのですが、MASAYAの言動はすべて正しく疑念を抱いてはいけないと10年近くにわたって刷り込まれていたので、その疑念を打ち消そうとまでしてしまいます。 2006年10月、YOSHIKIの本心を確かめようとロスに電話を入れます。 YOSHIKIとまともに話をするのは、脱退を申し入れた1997年4月以来9年半ぶり。 HIDEの葬儀の席でも、ほとんど会話らしい会話はなかったのです。 そこで確認したのは、YOSHIKIはTOSHIが再結成したがっていると聞いているということ。 やはり元マネージャーが仕組んだことでした。 TOSHIさんの周りには、大きな利権をめぐって絶えずこういうことが起きていました。 しかし、その電話から数か月後、二人は再開します。 YOSHIKIが日本に帰国したとき、都内のレコード会社の応接室であったTOSHIは、少年のころに戻ってしまう不思議な自分を感じます。 二人は幼稚園時代に出会い親友となり、小学校・中学校・高校と一緒に学びバンド活動をしてきたのです。 二人はある意味家族だったのです。 2007年3月、ロスのYOSHIKIの邸宅で再度あったTOSHIは、そこでYOSHIKIが亡くなったHIDEのために書いた曲を聴きます。 「Without You」と題されたその曲を聴いて、ぜひ自分に歌わせてほしいと申し出でます。 YOSHIKIも、「この曲はTOSHIに歌ってほしかったんだよ」というのです。 そこですぐにYOSHIKIはグランドピアノの前に座り、TOSHIは歌いました。 ピアノを弾き終わったYOSHIKIは、「素晴らしいね」と! その後、MASAYAに疑念を膨らませることが多々あり、ついに逃亡を企てます。 2009年7月7日、レコーディングスタジオから逃亡を企て失敗。 守谷とHOHのメンバーに拉致され、移動の車の中で2時間半暴行を受け続けます。 MASAYAの豪華な居宅に連れ込まれ、「やくざに売り飛ばしてやる」と脅されながら暴行を受けます。 激しい痛みと呼吸困難で意識を失い、われに返ったときは恐怖でまたHOHで働くことを約束してしまいます。 と、まあ、映画に出もできそうなほどの内容の連続です。 このころ、新宿厚生年金会館で行われた、世界的超絶技巧のピアニストのコラボコンサートがあったのですが、私もその会場にいたんですよ! そんなことがあっただなんて、何も知らずにコンサートを楽しませてもらっていました。 2009年末、一日の休みもなく歌い続け、激しい暴行と罵倒の日々についに体が悲鳴を上げ、異変に気が付いた音楽の関係者や知人たちの手により脱出。 その知人のそのまた知人のもとに、匿われます。 携帯には、守谷から罵倒のメールが日に何回も入ります。 知人のそのまた知人の力を借りて、弁護士による法的手続きが取られることになります。 また、児童虐待問題を告発した紀藤弁護士と、その被害者たちとの面会がかないます。 自分は加害者側に加担した人間であるので、当然強い非難の言葉を浴びせられると覚悟をしていったToshiさんに、「よく抜けてこられたね、良かった、良かった」と優しい言葉が掛けられます。 それからは、X-JAPANのメンバーとして、YOSHIKIとともに活動を始めます。 またソロ活動も活発になり私たちファンは、本当に楽しそうに、心から歌えることを喜びとするToshiさんに出会えて、ますますファンになっていくのです。 いい大人が、なんで洗脳などされてしまうのだろうかと、不審に思われる方も多いとおもいます。 また、彼は加害者であり、広告塔として多くの人々を間違った道に導いたことも事実です。 言い訳できることではありません。 けれども紀藤弁護士は、巻末にこう書いていらっしゃいます。 「MASAYAの洗脳の手口が巧妙だということもあるでしょうが、それと同時に重要なことは、Toshiさん自身が当時、 仕事や家族の問題で深い悩みを抱えていたことにあります。カルトの加害者と被害者が出会っても、その時被害者に なる人が悩みを抱えていて精神的に不安定な状況でなければ、深入りする危険性はほとんどなかったと言えると思い ます」 誰もが、カルトの餌食になる可能性はあるのです。 Toshiさんは、金の卵を産む鶏でした。 その鶏を、周囲にいた大勢の人が奪い合ったり支配下に置きたがったりしたのです。 それは、HOHのMASAYAだけではなく、彼の身の回りにいた人の中にも多かったのです。 彼は、思いだすだけで精神に異常を感じてしまわなければならない日々を、あえて思い出して文章にしました。 失われた12年間、彼がどんな生活を送っていたのか、私たちファンは知ることができました。 これからもToshiさんの歌声にもっと耳を傾け、YOSHIKIさんやX-JAPANのメンバーたちとの演奏を楽しませていただこうと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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