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2024.06.22
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カテゴリ:旅行 台湾
台北 蒋介石記念館訪問

今回宿泊のホテル入口「RESAND HOTEL」
台北駅から徒歩5分の立地
一つのビルの中にいくつものホテルが入っている
正面の看板だけ探していたらたどり着けない




正面にもホテルフロントがあるが
違うホテル
予約したホテルフロントは2階

2階のフロントも2つのホテル掛け持ち

違うホテル名の看板がかかっていたが
よく見ると「RESAND HOTEL」の小さな
プレートがカウンターに置いてある



フロントの女性従業員は過去一番の無愛想
こちらが声掛けしても無視、他に客もいないが
デスクで書類に記入中、顔を上げず手で「待て」
の指示で一言も発しない。

2024年の現代でこのような体験ができた事
は逆に思い出になった。(笑えた)
台北の「RESAND HOTEL」面白すぎ

台北の宿泊費は高騰しており1泊1万円以上でも安い

今回は6千円台でしたのでこれぐらいの対応でした。

部屋は日本のビジネスタイプで清潔、問題なし



バスタブなしシャワー室別タイプ



早朝ホテルをチェックアウト
夕方から新幹線で台南に向かうため台北駅の
コインロッカーに荷物をいれます

駅中で食堂を探すもこのお店しかオープンしていなかった

「UCC上島珈琲」さん



トーストセット1000円



街中では昼食用か?
テイクアウトのお店が大繁盛



御粥や各種惣菜屋さん



古い建物が並ぶ裏通り



蒋介石記念館にタクシーで向かいました
代金安いので2人の場合電車よりコスパよし

「国立中正記念堂」

初代台湾総統の蒋介石の顕彰施設

台湾では蒋介石を蒋中正と呼ぶ



蒋介石(1887年~1975年)

孫文に師事、国民党入党、革命軍の指揮官として北伐を成功させ
中国(中華民国)の統一し国家主席となる
第二次大戦後に中国共産党との内戦に敗れ1949年台湾に撤退した



蒋介石の車
防弾ガラスや各種安全装置を装備
重量3トン




展示室内



国民党の党員名簿102番に蒋志清(蒋介石)
の名前がある、1913年10月上海で入党



1911年孫文の辛亥革命に参加した蒋介石



1937年7月7日盧溝橋事変の写真
日中戦争のきっかけとなった事件
1945年の終戦まで日本と蒋介石率いる
中華民国との戦争で支那事変と呼ばれる



インドのガンジーとの写真



蒋介石が着ていた外套



1943年国民政府主席となった蒋介石と夫人
陸海空軍の大元帥、軍事委員会委員長、行政委員長も兼ねた



1943年11月22日カイロ会議の写真
蒋介石、ルーズベルト大統領、チャーチル首相、蒋介石夫人
夫人は国民政府立法委員など政府の要職に就く




第二次世界大戦後はじめて訪問した台湾
多くの民衆に歓迎される

中国本土では辛亥革命、共産党との戦いなど敵も
多かったが台湾では独立を勝ち取った英雄として迎えられた

このことが内戦に負けた国民党の台湾撤退に繋がる




​この記念館訪問の目的はこの花瓶を見る為​


展示はそれほど大きく扱ってはいないが
日本人にとっては国宝級のお宝




1947年蒋介石は外国の賓客や友好国への贈答品
として3対の花瓶を作らせた。

1対はイギリスのエリザベス王女の成婚に

1対は日本の皇室に

残った1対は蒋介石の執務室に置いて大切にしていた
その片方がこの記念館に展示されている
​そしてもう片方は日本人の根本博に贈られた​



根本 博(旧陸軍中将)​

北支那方面軍、駐蒙軍司令官
戦争中は蒋介石と戦っていた
8月15日終戦後蒙古の駐在日本人4万人
日本人軍人40万人を守る為、南下する
ソ連軍と激戦、蒋介石の庇護のもと日本人
を無地帰国することが出来る

戦後台湾に逃れた蒋介石率いる国民党と中国共産党

との激しい戦争が起こる。

台湾に逃れてからも中国共産党の攻撃が激化し国民党は

敗北を重ねていた。

台湾人から根本に援助の要請してきたのがかつての
敵である蒋介石だった。

根本中将は極秘で台湾に渡り名前も替え軍事顧問として

戦いの最前線であった金門島の戦いに参加、金門島を
死守する事に成功する。(現在も金門島は台湾が実行支配)

花瓶の片方は日本に帰る根本中将に贈られた

蒋介石は根本に
「これはあなたと私がいつもいっしょにいるということです。
 お互いを忘れないために、これも贈ります」

命を懸けて台湾や蒋介石を救ってくれた根本への「礼」





1950年6月朝鮮戦争勃発7月31日、日本から
援韓最高司令官マッカーサーが台湾を訪問



1952年最前線である金門島を訪問する蒋介石



1952年中華民国と日本は平和条約に調印
日本代表は河田烈



1958年10月22日
米国務長官ダレスと会談



1960年6月米アイゼンハワー大統領と会談
共に共産勢力と立ち向かう事で合意



1961年には米ジョンソン副大統領と会談




1964年2月23日日本の吉田茂前日本首相
5度会談した



1963年タイのプミポン国王との会談



1967年には内閣総理大臣の佐藤栄作が訪台



蒋介石の妻 宋美齢と彼女が制作した作品



記念堂の最上階部分



蒋介石の大きな銅像



天井にも飾りが?
何のマークかは不明





多くの台湾人が訪問していました
ここは蒋介石の墓もあるかと思っていたが

蒋介石の遺体は桃園の方にあり今も防腐処置
されて
臨時安置されている。

蒋介石は中国本土の故郷に埋葬されること
を希望していたが未だに実現できていない。



次の台北観光​に向かいます





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最終更新日  2024.06.22 06:47:43
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