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カテゴリ:旅行 福岡県
水城跡(みずき)
「西の都」と呼ばれた大宰府政庁は 7世紀の後半に始まったと考えられている 「白村江の戦い」の戦いで負けた倭国(日本) は内陸部にある大宰府を要塞化し外敵から 「西の都」を守った 特別史跡「水城跡」 水城は大宰府の全面(博多湾方面)に築かれた 土塁と堀で城壁として機能した。 大宰府への正面入り口の関所としても機能した 水城の東門があった場所 前方が博多湾方面 大宰府から伸びた「古代官道」は現在も主要幹線道路 「水城館」 土塁の下に造られた資料館 現在も一部の土塁跡が残っている 大きな木が生えている場所が土塁跡 土塁の真上に立っている風景 車が通っている道が昔の「古代官道」であり 関所になっていた「東門」があった場所 土塁の下にある資料館 小さいですが貴重な資料が多数展示されている (無料駐車場完備) 関所でもあった「東門」 今も基礎石が残ってい 航空写真からの「水城」 城壁となった「土塁」が今も残っている 右が博多湾方面、左が大宰府方面 今も交通の要所 当時の再現図 水城は長さ1.2km、幅80m、高さ10m 内側と外側には堀が構築された 周囲には古代山城も築かれ倭国防衛の 最前線であった 福岡平野の中で最も狭くなった場所をふさいだ 土塁は「版築工法」で作られた これは当時の中国や朝鮮の技術 岡山県総社市にある古代山城の「鬼の城」 には「版築工法」で作った土塁が再現されている ミルフィーユ状になった地層はコンクリート のように硬い 現代でも「高速道路」「国道」「JR九州」「西鉄」 が通る九州全域を結ぶ交通の要所 1400年前の正確な地図もなかった時代からこの立地 の重要性が理解できていた。 古代官道の東門ル―トは博多湾まで直線でつなぎ 諸外国とつながる 古代官道の西門ルートは迎賓施設であった「鴻臚館」 につながっている 「西の都」大宰府は水城の土塁を始め 全方位に古代山城を築き守りを固めた 古図「水城」 古代官道から関所である水城に向かう絵 水城周辺で発見された「鬼瓦」 大宰府周辺でよく発掘される 今回の旅では大宰府周辺の古代山城を中心に回った 大宰府を中心にした「古代官道」 「古代官道」沿いにできた古代の山城 九州全域で「大宰府」を守った 「白村江の戦い」 倭国(日本)は守りを固めたが 唐や新羅が攻めてくることはなかった 大野城(古代山城)の山頂から見た大宰府方面 曇りだったのでカメラでがはっきり見えないが 肉眼では遠方まで確認できる 昔し福岡に住んでいたが「水城」の地名や駅名は 知っていたがこのような歴史があるとは知らなかった たまたま訪問した山口県の「古代山城」でしたが そこから各地の古代山城を巡る中でいろんな歴史 を学ぶことができました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.11.02 00:10:11
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