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2024.11.02
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カテゴリ:旅行 福岡県
水城跡(みずき)

「西の都」と呼ばれた大宰府政庁は
7世紀の後半に始まったと考えられている

「白村江の戦い」の戦いで負けた倭国(日本)​
​は内陸部にある大宰府を要塞化し外敵から​
「西の都」を守った



特別史跡​「水城跡」​

水城は大宰府の全面(博多湾方面)に築かれた
土塁と堀で城壁として機能した。​

​大宰府への正面入り口の関所としても機能した​



水城の東門があった場所
前方が博多湾方面



​大宰府から伸びた「古代官道」は現在も主要幹線道路​



「水城館」
土塁の下に造られた資料館



現在も一部の土塁跡が残っている
大きな木が生えている場所が土塁跡



土塁の真上に立っている風景
車が通っている道が昔の「古代官道」であり
​​関所になっていた「東門」があった場所​​



土塁の下にある資料館
小さいですが貴重な資料が多数展示されている
(無料駐車場完備)



関所でもあった​「東門」​
今も基礎石が残ってい



航空写真からの「水城」
城壁となった「土塁」が今も残っている
右が博多湾方面、左が大宰府方面
今も交通の要所



当時の再現図

水城は長さ1.2km、幅80m、高さ10m
内側と外側には堀が構築された

周囲には古代山城も築かれ倭国防衛の
最前線であった



福岡平野の中で最も狭くなった場所をふさいだ



​土塁は「版築工法」で作られた​
これは当時の中国や朝鮮の技術



岡山県総社市にある古代山城の「鬼の城」
には「版築工法」で作った土塁が再現されている

ミルフィーユ状になった地層はコンクリート
のように硬い




現代でも「高速道路」「国道」「JR九州」「西鉄」
が通る​九州全域を結ぶ交通の要所​

1400年前の正確な地図もなかった時代からこの立地
の重要性が理解できていた。



古代官道の東門ル―トは博多湾まで直線でつなぎ
諸外国とつながる

古代官道の西門ルートは迎賓施設であった「鴻臚館」
につながっている



「西の都」大宰府は水城の土塁を始め
全方位に古代山城を築き守りを固めた



古図「水城」
古代官道から関所である水城に向かう絵



水城周辺で発見された​「鬼瓦」​
大宰府周辺でよく発掘される



今回の旅では大宰府周辺の古代山城を中心に回った



大宰府を中心にした​「古代官道」​



「古代官道」沿いにできた古代の山城
九州全域で「大宰府」を守った



「白村江の戦い」

倭国(日本)は守りを固めたが
唐や新羅が攻めてくることはなかった


大野城(古代山城)の山頂から見た大宰府方面
曇りだったのでカメラでがはっきり見えないが
肉眼では遠方まで確認できる




昔し福岡に住んでいたが「水城」の地名や駅名は
知っていたがこのような歴史があるとは知らなかった

たまたま訪問した山口県の「古代山城」でしたが
そこから各地の古代山城を巡る中でいろんな歴史
を学ぶことができました。





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最終更新日  2024.11.02 00:10:11
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