乃木館 陸上自衛隊善通寺駐屯地
善通寺 乃木館陸上自衛隊善通寺基地資料館に行ってきました基地内にあるので用件など聞かれた上、氏名住所など記帳して基地内に入ります乃木館に行く途中には旧型の戦車などが展示60式装甲車戦後に開発された国産初の装甲人員輸送車雲仙普賢岳の災害派遣さどでも使用された2006年に全社退役74式戦車61式戦車の後継機、三菱重工が開発を担当現在は90式戦車が主力でこの戦車は退役が進んでいるその他退役した車両OHー6ヘリコプター小型ながら飛行性能に優れている大型輸送機には4機載せる事が可能CH-46ヘリコプター大型輸送機、日航機墜落事故では負傷者を救出する映像が報道され有名になった。ここの部隊からもPKOとして世界で活躍されています。ちょうど自衛隊の訓練最中でした格闘実践訓練乃木館へとつづくアプローチ乃木館明治31年10月1日、旧陸軍第11師団が四国全域を管轄として編成された際、師団司令部として建てられた初代師団長には軍神と言われた乃木将軍が着任乃木将軍は明治31年10月から明治34年5月22日の2年8か月ここで務められたこれ以後昭和20年の終戦まで25代の師団長が着任戦後は郵政省保険局などに使用されていましたが昭和36年に陸上自衛隊に移管され現在は第14旅団の第14音楽隊として1階を活用し、2階を資料館として開放している正面玄関からみた中央階段当時の姿のまま建物の裏側訓練用の標的?乃木大将をはじめ歴代の師団長が執務していた実際の部屋中央の机も乃木将軍が実際に使用していた乃木将軍の2人の息子は日露戦争で亡くなっている東京乃木神社乃木将軍は明治天皇の後を慕って殉死する(夫人とともに)有名な「妻返しの松」乃木師団長の宿舎になっていた善通寺の金倉寺に乃木将軍の妻が東京から尋ねて来たが将軍は面会を拒否し、夫人は本堂の脇にあった松に思いにふけていた、その松を「妻返しの松」と呼ぶようになった。訪問しましたが現在は当時の松はなくなり2代目の松が植えられていました乃木将軍の人生の信条・常に反省すること・邪道にはいらないこと・心身ともに慎み誠の人となること・行動の上に天分を発揮し奉仕すること・他人に迷惑をかけぬこと日露戦争「水師営の会見」写真小国日本が大国ロシアの要塞を攻め落とした事で世界中のニュースとなった写真写真に写っているナツメの木は株分けされここ乃木館の前に植えてある本間 雅春 書太平洋戦争において米軍マッカーサーをフィリピンから追い出した山下 奉文 書「マレーの虎」太平洋戦争時に英国領であったマレーシアとシンガポールを攻略牛島 満 書最終は大将で沖縄戦において第32軍を指揮し激戦の末、摩文仁の丘にて自決沖縄 摩文仁の丘 慰霊塔 令和3年1月訪問この下方に自決されたガマ(洞窟)がありますまたこの周辺では今でも戦争で亡くなった方の遺骨が発見されます。歴代師団長の写真と経歴がかかれた部屋24人の写真が飾ってあります。(1人は重複)中央が乃木将軍善通寺駐屯部隊の歴史分かりやすい年表負の歴史満州・支・ビルマ・インド・グアム・ラバウルここ善通寺から世界各地に配置昭和20年終戦時まで本土決戦に向けた準備本当に全国民が玉砕するつもりだったのか?太平洋戦争以降新居浜・西条方面に向かいます。