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三角猫の巣窟

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2021.06.19
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カテゴリ:教養書

絵画史上最高価格がついた「医師ガシェの肖像」がどう描かれて誰の手に渡ったのかを書いたノンフィクション。

●まとめ

ゴッホは1853年にオランダ南部の中流階級の家で生まれて、16歳で叔父がオーナーをしている画廊の見習い店員になると、古典的な絵よりも自然を描いたバルビゾン派の絵画にひかれる。パリに転勤になると画廊に不満を持つようになって23歳でくびになり、見習い牧師になってスケッチを描き始めて腕を上げ、27歳で画家になる決心をして印象派の絵画を見たことで色彩に注意を向けるようになり、印象派を擁護する画商の弟のテオの援助を受けながら絵を描いたものの無名だったので評価されなかった。アルルに移ると光と田園に触発されて、実物を描くことに固執して強烈な色や強い輪郭線を持つ独自のスタイルを確立した。35歳の時にゴッホはゴーガンと共同生活を始めたものの口論して耳を切り落として、精神病院に入って発作を起こしながら絵を描き、37歳で症状がよくなったときに退院する。その後で平凡な医者で素人画家のガシェの診療を受けて、自分のアイデンティティと医師のアイデンティティを結び付けて、患者であり芸術家、苦しむものであり癒すものであるという着想を得て、彼の肖像画を描くことにして、人間の心をさらけ出すためにフォルムと色彩を駆使した画期的な描き方で頬杖をついたメランコリックのポーズのガシェの肖像画を描いた。やがてゴッホは自らをリボルバーで撃って死んでしまう。
ゴッホの自殺で無名の絵を販売しにくくなり、テオは兄の絵を認めさせるために展覧会を開くものの一点も売れず、腎臓病を患って入院して精神病院に移されてゴッホの死の6か月後に死ぬ。テオの美術コレクションは妻のヨハンナの所有物になり、ヨハンナはゴッホの擁護者として絵を保存して高い評価を得るように努めて、ゴッホがテオに送った600通以上の手紙を編集してオランダのアムステルダムで絵を展示して、オランダでゴッホは批評家に殉教者扱いされて悲劇の天才画家のイメージになり、北ヨーロッパで高評価された。
印象派の評価が高まってくると、パリの画商のアンブロワーズ・ヴォラールはヨハンナと交渉して絵を数点入手して、1897年に「医師ガシェの肖像」を300フラン(1995年の1000ドル相当)で元画家で革新的な絵画の愛好者でユダヤ系中流階級のアリス・ルーベンに売る。アリスが友人の画家でデザイナーのモーエンス・バリンに「ガシェ」を渡すと、1904年にバリンは絵を売るためにベルリンの画商のパウル・カッシーラーに絵を送り、カッシーラーの友人のハリー・ケッスラー伯爵が私的コレクションとして1689マルク程(1995年の6744ドル相当)で買った。カッシーラーが前衛モダニズムを宣伝してゴッホがドイツの美術に影響を与え始めて、ドイツでコレクターが現れる。ケッスラーは自宅に絵を飾って文化人や政治家たちに「ガシェ」を紹介し、1908年に展覧会のために「ガシェ」を欲しがっていた画商のウージェーヌ・ドリューエに絵を委託してパリの市場に戻した。パリではフォーヴとキュビストの絵画が評価されたことでセザンヌなどの後期印象派の絵の値段も上がっていたものの展覧会で絵が売れず、1910年にケッスラーはボナールの絵を買うために14000フラン(1995年の44000ドル相当)でドリューエに「ガシェ」を売る。ロンドンのゴッホの個展では客に嘲笑されて理解されなかったので、ドリューエはフランクフルト美術館に20000フランで絵を売る。当時ドイツでは高いフランス絵画を買うことが国益と国民性を損ねるという画家からの批判があったが、美術館長のシュヴァルツェンスキーはモダニズムを擁護して、「ガシェ」が美術館に買われたことでデューラーなどの巨匠と並ぶ傑作として認知された。
1933年にヒトラーがドイツを掌握して、ヒトラーはゴッホが退廃芸術家のグループで国民の士気に危険を及ぼすとみなして反モダニズムだったので、シュヴァルツェンスキーは「ガシェ」などを展示室から外して屋根裏に隠した。ゲーリングはフランクフルト市長をナチ党員と交代させて、ユダヤ人のシュヴァルツェンスキーは停職処分になる。アドルフ・ツィーグラーが退廃芸術展の作品を選抜するために美術館の屋根裏を捜索したものの、「ガシェ」は法的には退廃芸術ではなかったので押収されずに済む。ゲッペルスはナチが見下している美術品をでたらめな配列で展示して公衆の侮蔑を引き起こすことを意図した退廃美術展を1937年に開催して、その一方で国民を称揚するための大ドイツ芸術展を開催して、「ガシェ」も押収される。ゲーリングはナチの領土拡大を美術品を集めるために利用して、歴史上最も貪欲な美術品泥棒になる。1938年にナチは外貨を稼ぐために押収した退廃芸術作品を売り始めて、「ガシェ」は銀行経営者のフランツ・ケーニヒスが53000ドル相当(1995年の57万ドル)で買った。ケーニヒスはオランダ在住の銀行家のクラマルスキーに絵を売るためにカッシーラー画廊に「ガシェ」を送り、絵はドイツからアムステルダムに移る。評価が定まった美術品は換金可能な資産として価値が高くなっていた。ケーニヒスは列車事故に見せかけて殺される。ケーニヒスから「ガシェ」を買ったクラマルスキーは美術品を守るためにコレクションの一部をアメリカに移して1939年にニューヨークに行く。亡命美術家たちがアメリカに来たことでニューヨークが近代美術の中心地になって、亡命学者のエルヴィン・パノフスキーは主題を研究するイコノグラフィーの研究方法でアメリカの美術史の研究を革新した。
1934年のアーヴィング・ストーンの小説「炎の人ゴッホ」がベストセラーになってアメリカではゴッホは最も知られている画家になり、大衆的な人気とともに絵の値段が上がって「ガシェ」は20万ドルの価値が見積もられて展示会で何度か展示される。1961年にクラマルスキーが肺がんで死んだのでフランクフルトの美術館が「ガシェ」を購入しようとしたものの、クラマルスキー夫人を怒らせて失敗する。1984年に夫人が病気になると「ガシェ」は無期限でメトロポリタン美術館に貸与されて、1980年代がゴッホ展の最盛期になる。マルキシズム、記号論、文学論、フェミニズムなどのアプローチでゴッホが研究されて弱者に同情的な聖人的な天才という従来のゴッホ像が覆されて、ゴッホの絵は狂気の所産でなくて真摯な芸術上の目的追及の所産という認識になる。1980年代に美術品市場がインフレして、アメリカでは絵を売れば得られる金を投資しないことで生じる損失が大きくなって裕福な家庭の子孫は印象派の絵画は高すぎて保持できなくなり、税制改革で美術館への寄贈が減ってオークションに出るようになって、日本はプラザ合意で低金利になって貸出が増えてバブルになったので日本人が美術品を買いあさって、1987年のオークションで安田火災海上は「ヒマワリ」を3990万ドルで買う。クラマルスキーの息子は絵を売ることを考え始めて、1990年のクリスティーズのオークションで「ガシェ」が売られて、絵の状態が悪かったものの銀座の画商の小林秀人が7500万ドル(1割の手数料を入れると8250万ドル、約124億円)で買って、大昭和製紙の斉藤了英が入手する。「ガシェ」の値段は1世紀で2万3千倍以上になった。斉藤は「わたしは、身のまわりの人間たちに、わたしが死んだら、〔あの絵を〕棺桶に入れて、燃やすようにいっているんだ」と記者会見で言ったことで人類の財産を私物化していると批判されて、絵を公開せずに倉庫で保管していることも批判される。数か月後にバブルがはじけて美術品の需要が薄れて印象派と近代絵画の値段が暴落する。斉藤はゴルフ場建設のために賄賂を贈って逮捕されて、大昭和製紙の株価が暴落して、1996年に斉藤が死ぬ。

●感想

たいていの人はゴッホが精神病を患って耳を切り落として評価されないまま死んだということは知っていても、その後絵がどう評価されてきたのかは知らないだろう。その大勢の人が知らない絵の買い手の部分に焦点を当てたのは面白いやり方で、ゴッホや絵に興味がある人は面白く読めると思う。バブルで絵画を買いあさった日本人の様子も興味深い。日本の金持ちは評価が定まった絵は高値で書いたがるけれど、若い芸術家を支援するわけでもないので、絵が好きなわけではなくて権威主義なのだろう。部分的には面白い所があるけれど物語と言うよりは説明が多いし、時系列順に書かれていない部分があって話のつながりがわかりにくいし、500ページ弱の文章は長いので私は途中で飽きてしまった。映画とかで物語形式で見るならもっと面白いかもしれない。

さて芸術について考えることにする。19世紀後半から20世紀前半のモダニズムの芸術家たちは、作家も画家も音楽家も古典の形式から抜け出して独自のテーマと技術を追及して個性的な作品を残してきて、私はこの時代が傑作が多く作られた芸術の最盛期だと思う。日本だと明治時代に美術が欧米の芸術の中心として扱われて、洋学といえば美術ということで小説家になりたい人が美術学校を勧められて美術の勉強をしたそうな。
この本からはいくらひとりで傑作を作ろうが、評価基準がなくて評価する人がいないと傑作扱いされないことがわかる。価値観が似たような芸術家がお互いに影響を与え合って〇〇派を作るようになると、〇〇派の作品の中で優劣が出てきて相対的な評価基準ができると個人のコレクター間で売買されるようになって、美術館が買うことで権威付けがされて評価が定まって、一般客にも作品が認知されるようになる。
逆に言えば、評価する人さえいれば傑作でないものでも高値をつける。デュシャンの「泉」みたいなのは技術の評価よりも概念的な一発芸みたいになっていて、美術の文脈を知らない門外漢には何を表現しているのか意味が分からない。そんなよくわからないものでも評価する人がいて高い値段がついている。最近はイタリアの芸術家のマウリツィオ・カテランの壁にバナナを粘着テープで貼った「コメディアン」という作品が1300万円で落札されたり、イタリアの芸術家のサルヴァトーレ・ガラウの目に見えない彫刻の「Io Sono」という作品が200万円で売れたりしていて、こういう技術がない作品はどんな値段がつこうが芸術としてたいして価値がないと思う。
文学はテクスト論として作品から作者を切り離して作品そのものを評価するのが主流だけれど、美術だとたいてい誰が作ったかで評価が変わる。都内で鼠の落書きを見つけてバンクシーの作品じゃないかと騒ぐのが典型的で、みんなが価値があると言っているから価値がわかるように装うアンデルセンの「裸の王様」みたいなものである。これは文学が複製可能な芸術であるのに対して、美術は複製が不可能なので作者の評価を含めた属人的な作品の評価になるのだろう。美術品は一点もので需要と供給のバランスが悪くて欲しがる人が二人以上いればオークションで高値になるけれど、高いからといって優れている作品というわけではないし、その値段で所有したがる人がいたというだけである。バブルの頃の日本のように富裕層が増えて使い道のない金が余るほど美術品の値段が上がって、値段が上がるから投機目的で買う人が出てきてさらに値段が上がって、有名な何某が作った作品だというだけで作品の出来と不釣り合いなほど高値になる。ラーメン屋の客が情報を食べていると揶揄されているように、現代美術は作品の内容を評価しているというより情報を買っているようなもんである。モダニズムまでの絵画は文学や音楽にも影響を与えたので私は絵画には興味があるけれど、現代美術は何かの思想があるわけではなくて文学に影響しないだろうし、絵よりも立体が主流になって技術の連続性もなくなったので、私は現代美術にはあまり興味がない。インスタレーションは体験したらそれなりに面白いのだろうけれど、それは作者の思想や感情の表現と言うよりはテーマパークみたいな商業的な見世物で客を驚かせる感じで、絵画や彫刻みたいに家に飾れるわけでもないし、自分の人生とは関係のないものに見える。
文学についても考えると、文学と美術の違いは複製可能かどうかという点だけでなくて展示方法にもある。美術館が何かのテーマで企画展をして作品の認知を高めて客の美的センスを鍛えるのに対して、文学の場合は図書館や本屋でなくて文芸誌がその役割を担うので、ページ数の都合で掲載作品が限られるし、美術と違って古典を掲載するわけにもいかなくて現役作家が優先されるし、影響力もないので、あまり客の育成につながっていない。あるいはテーマに沿った作品を収録したアンソロジーが出版されるけれど、これもページ数の都合で短編集になってしまって傑作揃いとはいかない。本来は本屋が企画を立てて古典から新刊までを幅広く販売すればいいのだろうけれど、本屋の店員が売っている本の内容を把握しているわけではないし、どの作家がどの作家に影響を与えたとかのアカデミックな知識があるわけでもないのでキュレーターとしてはあまり役に立たない。書店員が選ぶ本屋大賞も選定基準に一貫性がないので客の育成にならない。図書館は公共施設の側面が強くて館長や司書が誰だろうがどの図書館も変わり映えしなくて、何かに特化しているわけでもないのであまり存在感がない。ミステリ図書館とかの攻めた図書館を作って密室殺人展や孤島展をやったら面白そうだし、犯罪捜査や裁判の資料を充実させればミステリ作家の育成につながると思うのだけれど、私立図書館じゃないとそういうのはできないのだろう。特徴のない図書館よりも読書家や作家の書斎の方が面白いかもしれない。

★★★☆☆

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最終更新日  2021.06.19 16:02:06
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