心あたたかな病院
遠藤順子さんの「夫の宿題」を読んでいたら、盛んに「心あたたかな病院」という言葉が出てきた。遠藤先生は、しょっちゅう病院に入っていた人で、患者という立場で病院を見てきて、いろいろと感じることが多かったようだ。順子夫人も、先生に付き添っている中で、どうして? ということがたくさんあったようだ。いつの時代からかわからないけど、病人というのはやっかいものという見方がされていたのではないだろうか。働けないし、痛いとか苦しいというネガティブな雰囲気を発しているし、人としての価値は低く見られていたはずだ。伝染病にかかった人には、だれも近づきたくなかったはずだ。だから、どこかへ隔離してしまおう。そんな発想が出てくる。そんなことから病院というのができたのではないだろうか。病院というのは、公の座敷牢、みたなものというのがはじまりかもしれない。医者というのは、もともと牢獄の見張り番のような存在だったかもしれない。「心あたたか」というのがもっとも似合わない場所であり、人たちだったんじゃないかなあ。病人の立場はずいぶんと変わってきたかもしれないけど、やっかいものの収容所みたいな考え方というのは、そう簡単には払拭できない。遠藤先生の提唱した「心あたたかな病院」というのが具体的にはどういうものか、僕にはわからないけど、今の医療の中に、ものすごく求められていることのような気がする。だれもが病気をし、だれもが死ぬのだから、病院が収容所とか牢獄で、医師がその監督官だとしたら、人生、さみしくなってしまう。ごくろさま、よくがんばったね、すばらしい人生だねと、その人の生き様が認知される場所になったら、どんなにかすてきだろうと思う。僕が遠藤先生にお会いしたときは、「がんを治す大事典」という本が出てしばらくしたころだったかな(僕は取材を担当しました)。「こういう本を出すと、いろいろ言われて大変ですよ」と、ちょっと寂しそうな表情で言われたのをよく覚えている。遠藤先生は、「こんな治療法もある」という本を講談社から出している。代替療法の紹介だ。1989年初版とあるから、まだ代替療法なんて言葉も知られてないし、怪しいとしか評価されていなかった時代だ。そこで紹介した治療法のひとつに、治療者のウソがあったりしたことが、確か新聞でも取り上げられたことがある。先生もずいぶんと批難され、辛い思いをしたようだ。代替療法の必要性を強く感じてこの本を書いたのに、その先生の思いを裏切るようなことを治療者がやったのだからたまらない。心あたたかな病院に代替療法は欠かせないのに。