カテゴリ:Oの人生論
「昔は・・・」 なんて話をし始めると、 若い人は嫌な顔をする。 ぼくも若いころはそうだった。 父親の昔話が始まると、 「ふん、ふん」といい加減にうなづいていたものだ。 だけど、 今になって、 故郷の村のことに興味が出てきて、 いろいろ調べていくと、 父親が物知りで、 村のことは一番よく知っていたことがわかってきた。 確かに、 わずかだけれども、 父が村の歴史について書き残したものがあるが、 それを読むと、 「このこともっと聞いておけば良かった」 と思える記述がいくつもあるのだ。 学歴もなく、 一生を百姓と職人で過ごした父だったが、 知識欲は強かった。 子どものころ、 「上の学校へ行かせてくれ」と親に泣いて頼んだそうだ。 しかし、 「百姓はあほでもできる」と言われて、 断念したという悔しさがあった。 だから、 息子であるぼくには、 勉強をさせて、大学へ行かせて、 知的な仕事につかそうとしたのだ。 父がとっくに知っていた村の歴史を、 ぼくは今になって掘り起こそうとしている。 父から素直に話を聞いておけば、 もっとスムーズにいろいろなことがわかったはずだ。 でも、 そのころは、 ぼくはまったく村のことに興味がなかった。 実は、ぼくの生まれた村は、 20数軒の小さなところで、 高齢者がほとんどの、 いわゆる限界集落だ。 調べていくと面白いことがわかった。 大デパートの松坂屋。 その創始者が、我が村から出ているのだ。 「『松坂屋百年史』(松坂屋 2010年)p.15に、上野広小路の松坂屋は、宝永年間に伊勢白子出身の太田利兵衛が創業したもので、明和5年(1768年)に伊藤家が買収した時には、3代目であったとの記述がある。 『伊藤家伝』(岡戸武平著 中部経済新聞社 1957年)p.54に、利兵衛は伊勢白子在山越知(やまおち)の人で、姓を太田といい宝永四年に江戸へ出て、下谷広小路で呉服店を開いた、との記述がある。 『国史大辞典13巻』(吉川弘文館 1992年)P.116の「松坂屋」の項に、宝永四年(1707)、伊勢国白子(三重県鈴鹿市)在の太田利兵衛が江戸上野に開業した呉服店に始まる、との記述がある。」 ネットにあったこの記事をもとに、 『伊藤家伝』を見つけて取り寄せたところ、 確かにp54に伊勢白子在山越知とあった。 山越知というのが、ぼくの故郷の村だ。 松坂屋の広報に出向いて、 太田利兵衛の生まれた家までは突き止めた。 そこまではやった。 たぶん、父は知っていたと思う。 そんな話をちらっと聞いた覚えもある。 父と一緒に、 その先を調べてみたら楽しかったかもしれない。 今さら言っても仕方のないことなので、 たぶん、 利兵衛さんは松阪市の商人のもとに丁稚奉公に行き、 そこで才能を発揮して江戸へ出たのだろうと推測される。 三越も松阪の出だ。 店を出すに当たって、 手助けをしてもらったかもしれない。 父が大好きだった村だ。 今は、 娘夫婦が住んでくれている。 空き家になってしまうところを、 若い2人が救ってくれた。 間違いなくいい流れにきている。 我が家のご先祖様だけでなく、 この村で暮らした人たち魂も、 喜んでくれてるはずだ。 そう信じて、 少しでも村の役に立てることを、 娘夫婦と一緒にやっていこうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023年11月05日 10時34分16秒
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