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2009.10.12
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カテゴリ:現代社会
 アルメニアとトルコの国交が成立した。これは歴史的な外交事件だろう。アルメニアは、第一次大戦中にトルコによって大虐殺事件を起こされている。オスマントルコ政府は数十万人のアルメニア人を虐殺したと批判されてきた。犠牲者が多数発生したことは明らかなのだが、歴史的な事実関係が不透明になっているため、真相は明らかになっていない。アルメニア人たちの宿敵トルコ人に対する憎悪はすさまじく、二つの国が外交関係を樹立することはあり得ないと考えられていた。調印式にはアメリカとロシアの外相が立ち会っていることを見ても、国際政治の圧力で成立した和睦にすぎないことが理解できる。
 アルメニア側は、トルコ政府が責任を認めて謝罪せよという立場を崩さない。これには国境線の変更も含まれる。トルコ側は大虐殺の事実はないという主張を崩さない。事件の真相な何かと追究しようとしても、数十年前の話なので証拠が少ない。トルコ政府が大虐殺を否定するのは、意図してそのような事件が起きたわけではないことを訴える狙いらしい。アルメニア人であることを理由にして、多数の人間が殺されたアルメニア人たちは、この出来事を民族大虐殺と呼ぶ。犠牲者の数を除いて、国際的な判断もそれに近い。
 第一次大戦中、オスマン・トルコ政府は独立の動きを企てていたアナトリア東部アルメニア人を砂漠地帯に強制移住させることにした。民族的にも、宗教的にも異なるアルメニア人を街から追い出して、砂漠に移住させるという発想そのものが、オスマン帝国の本質を表している。古代からのイスラム帝国は、多民族の融和と異宗教への寛容を旨にしていたのに、オスマン帝国はそれを踏み外してしまった。故郷の家を奪われて、砂漠への退去を命じられたアルメニア人たちがトルコ政府にに抵抗したのも当然だろう。この過程で多くの犠牲者が生まれた。
 強制移住させられた場所には、食糧もなく、病院などの公共設備もない。砂漠地帯に移住させられた人々は、飢えや病気によって犠牲者が続出した。トルコ政府は意図的に民族浄化を行ったことはないと主張するけれど、結果的に砂漠への強制移住で何十万人の生命が奪われてしまった。この出来事を大虐殺と呼ぶかで論議が続いている。
 アルメニア人がこの屈辱を忘れるわけがない。そこで、アルメニアが独立国になるとトルコとの国境線は一触即発の火薬庫になってしまった。トルコはNATOであり、アルメニアはロシア側に属している。予期せぬ戦争が起きる可能性があった。アメリカとロシアが和睦を進めた理由も明らかだろう。アルメニア人たちはキリスト教徒、トルコ人はイスラム教徒という宗教の違いから、欧州各国は虐殺を認めないトルコ政府に批判的になっている。トルコと東ローマ帝国の中心地であり、欧州地域であることを自負している。EUがトルコの排除に乗り出している理由の一つにアルメニア問題があることは事実だろう。





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Last updated  2009.10.12 09:43:23
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