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2009.10.28
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カテゴリ:歴史と文化
 ボスニア人の定義は難しい。ユーゴスラビア政府は、ボスニア地域に住む人々をボスニア人と定義しようとしたが、各民族の抵抗の前に通用しなかった。ボスニア地域には、カトリックのクロアチア人、正教徒のセルビア人、イスラム教徒のムスリム人が数百年間にわたって共同生活を行っていた。オスマントルコ帝国時代には、イスラム教徒が優遇されたので、イスラム教に改宗した人々が多数生まれた。その集団をムスリムと呼ぶ。自分たちの信念で改宗を拒否した人々が、クロアチア人とセルビア人になる。
 もともとは一つの民族なので、外観や言葉で3つの民族を区別することはできない。違いは、どこまでも宗教的な価値観にある。かつてのユーゴスラビア政府は、民族意識が民族対立につながることを恐れて、3者を平等に扱ってきた。一番人口が多いのがムスリム人であり、次がセルビア人になる。不利な立場に立たされていたクロアチア人たちは、セルビア人に対抗するために、ムスリム人と手を握る。少数派に転落したセルビア人は、ボスニア地域に独立した自治政府を建設する。この自治共和国を巡って、残酷な戦いが勃発した。 
 ボスニア紛争で悪者にされたのがセルビア人になる。民族浄化を行ったという罪に問われて、11年の刑を受けたのが「鉄の女」ビリャナ・ブラブシッチだった。セルビア人の首脳として、国際世論の批判の的になり、戦争責任を問われて受刑していた。現在になってみると、民族浄化を行っていたのはセルビア人だけではないことが明らかになっているが、それでセルビア人の罪が消えるわけではない。殺戮と監禁と凌辱という悲劇がボスニアの地で繰り返された。その憎しみの激しさは限りなく強く、修復することは不可能に近い。
 ボスニア紛争は、何が真実なのかを鋭く問いかける紛争になった。TVで流れる映像は断片的なものに過ぎず、一部しか浮かび上がらせない。真実はずっと深く、知られることなく隠されている場合が多い。数百年間にわたって隣人として暮らしてきた人々が、憎悪と復讐の思いに駆られて武器を握り、隣人をにらみながら生きていくのはつらい。国際社会は、そのボスニアを黙ってみているしかない。長年、大国に支配されてきた民族の思いを理解できる人間などそういない。数百年たつと、おそらく憎しみが消え、友人として暮らす社会が成立するかもしれない。





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Last updated  2009.10.30 11:11:42
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