カテゴリ:旅日記(九州)
<3日目>’12/1/9 晴れ
さあ、今日も忙しい。 今日はなんたって、今回の2大萌えスポットのうちの1つに行くのだ。 まず船で門司港へ渡る。 朝早い時間なので、ガラ空き。 今日もあまり揺れてる感じはしなかったけど、降りたら真っ直ぐ歩けなかったので、 結構揺れてたのかも(笑)。 レトロな門司港駅の駅舎の中に入ると、中も当然レトロ。 私は先を急ぐので、駅舎の中はゆっくり見なかったけど、 昔使われてた物とかが色々保存・展示されてるらしい。 改札を入ると、目の前には「0マイル標」がある。 明治21年に九州鉄道会社(現在のJR九州)が設立され、 その3年後には一番列車が門司駅(現在の門司港駅)を発車。 このとき以来、門司は九州の鉄道の起点となったゆえ、 九州の鉄道起点を示す0哩(マイル)標が置かれたんだと。 今日はこれに乗って、小倉の先まで。 鹿児島本線の車内はこんな。 外も赤だけど、車内も赤。 関東の方とも畿内あたりともまた違ってて、 別の土地に来てるんだな~って感じる。 どうせ小倉まで行くんだから、小倉城とか見に行っちゃおうかな~とも ちょっと思ったけど、それじゃあんまりだから、今回はお目当てだけにしておく。 これにひたすら乗ってれば、島津さんちにも着くんだよな~ なんて思いも頭をよぎるけど。 さて、降りたのは「スペースワールド駅」。 駅を出ると、いきなりロケットが出迎えてくれる。 友達に写メを送ろうとケータイで撮ったけど、写真消しちゃったみたいで 残ってません。 すいません。 今日観に来たのはこれ。 そう、私の大好きな、大内さんちの企画展 「今度戦国ものの企画やるんで、大内さんも参加しませんか?」 じゃなくて、 「大内さんの企画をやらせて頂きますので!!」 なんだよ~! 地元ならではの企画でしょ~ ファンの私が言うのもなんだけど、東京じゃあり得ないもんね。 集客数の関係で(笑)。 西国一の大大名なのに、 ちょっこし滅亡するのが早かったがために、 マイナー武将と言われて幾星霜・・・ 後々アップしますが、去年の夏に山口市に行った時、 さすがに「私達の殿様」って感じで大内氏に詳しい人はそれなりにいたけど、 その人達にさえ、 「県外で大内氏が好きな人なんて、珍しいですね」 と言われたくらいだし 博物館様のサイトには、会期前から展示品のリストが公開されてて、 それはそれは(私にとっては)素晴らしい品の数々。 これを観に行かない手はないってことで、 一旦決まった計画を急遽練り直し、 門司の山城と教経様の奥様の墓参りをカットしてねじ込んだ(笑)。 まあ、図録の写真を転載する訳にもいかないし、 ほとんどの人が知らないであろう品について感想をつらつら書いても仕方ないので (できるだけ)簡単な紹介だけにとどめますが。 ほぼ開館と同時に入ったので、まだ人は少ない。 今回の展示品は、全85点。 うち19点が入れ替えのため、私が観たのは66点。 企画展示室内は撮影禁止。 この中に、重文16点、県指定文化財12点、市指定文化財5点が含まれる。 国立・県立博物館の他、大内氏に詳しい人ならたぶん知ってるであろう、 洞春寺・乗福寺・龍福寺・築山神社・興隆寺・長門住吉神社、 それから毛利博物館などからの出品もあった。 これらのお寺はほぼ全部行ったけど、所蔵してるからって 観られる訳じゃないしね。 中にはよそに寄託してる場合もあるし。 そんな品々が一堂に会する、とても幸せな企画展でした。 この企画展を知ったのは、ホントのホントにたまたまで、 これのために下関行きを決めた訳じゃないし、 マジでラッキーだったと思う。 夏の山口市の時は、悪天候とかもあって行かれないところも いくつもあったんだけど、充分取り返したってカンジ では、貴重な品々の中からちょっとだけ展示品をご紹介。 まず、洞春寺(山口市)所蔵の大内義弘坐像と大内盛見坐像があった。 盛見さんは義弘さんの弟で、私の好きな武将なんだけど、やっと会えた~ それから、和布刈神社と甲宗八幡神社に残る書状もここで見られた。 会期も後の方になると、蒔絵の美しい箱なんかも展示されるんだけど、 それよりは書状とかの方が私は観たいので、これもラッキーだったな。 初公開の品もあった。 大内氏は、義弘さん(1356-1400)の頃から百済の聖明王の第3王子である 琳聖太子(りんしょうたいし)の後裔を称するようになった。 琳聖太子が日本に渡り、周防の多々良(たたら)浜に着岸したことから 「多々良」と名乗り、のち大内村に居住したことから大内を名字としたというもの。 その琳聖太子像が今回初めての公開ということだった。 像を所蔵する乗福寺(山口市)には、琳聖太子のお墓もある。 ちなみに乗福寺の土塀は現在はこんなんなっちゃってて、 寺社経営も大変だよね 大内氏と海は切っても切り離せませんが、 大内氏と直接的な関連はないものの、今回は特別公開として倭寇ものがあった。 「倭寇図巻」は東京大学史料編纂所の所蔵で、 倭寇のイメージを描いた唯一の資料とされているらしいけど、 最近になって、中国国家博物館にもそれとよく似た「抗倭図巻」というものが あることが判明したそうな。 【画面構成がほぼ同様であるばかりでなく、図柄の趣向も類似点が多く、 互いに密接な関係にあると推定されたため、中国国家博物館と東京大学史料編纂所は 2010年、覚書を締結し、両絵巻についての共同研究を開始した。 この際、中国国家博物館から贈られたのが本複製である。】 (「大内文化と北九州」図録より) ということで、「倭寇図巻」と中国から贈られた「抗倭図巻」の複製が 飾られてた。 朝鮮通信使のところで少し宗氏について書いたけど、 彼らも結構悪いことしてるみたいだし(笑)、 倭寇も面白そうだな・・・ってちょっと興味が湧いてきた。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年01月19日 19時22分53秒
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