2064544 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2012年10月03日
XML
カテゴリ:旅日記(中国)
神社に摂社はつきもの。
てことで、今回も境内に沢山ある摂社をご紹介~。


      三原・大島神社13


      三原・大島神社14



      三原・大島神社15



      三原・大島神社16



      三原・大島神社17


      三原・大島神社18



      三原・大島神社19


沢山あるっしょ。 
いくつかは柱に神社の名前が書いてあるのもあったけど、
それもまともに読めなかった雫 

大島稲荷と同じように、三原城初期の小島にあった小島稲荷も
ここに移されてるってことだったし、
あと隆景が信仰していた久井稲荷もここにあるって聞いてたんだけど、
残念ながらどれがそうかわからなかった。

まあ、摂社は全部写真に収めてきたから、
どれかがそうなんだと思うけど。


さて、境内をぐるりと回り込むと、最後にこんな建物があった。


       三原・大島神社21



何だか、色んなものがごたごたと・・・(笑)。
おっと、これは先代の扁額と千木かな?


       三原・大島神社22


物置き場みたいだから、そのままスルーしようとして
横を向いた目のはしに、人影が映った。


       三原・大島神社25



なに、この絵・・・
一瞬、隆景ちゃんかと思った~雫

よくよくこの内部を見まわしてみると、こんな絵が沢山飾ってあった。


       三原・大島神社23



       三原・大島神社24


わ~お・・・
この建物といい、この絵といい、京都の今宮神社を思い出すな。
(今宮神社は近日公開予定です・・・たぶん。
三原編が早く終わればあっかんべー

中にはかなり色あせてるのもあったので、
全部は撮らなかったけど、女の人もいた。

かなり沢山あったので、一体何の絵なんだろうと思って
目を凝らしてみたけど、知らない名前の人ばかりだったので
結局わからなかった。

でも、写真を見ると山部赤人か?壬生忠峯かな?
てことは、やっぱり三十六歌仙か何かだったのかな・・・


今宮神社でも思ったけど、なんでこーゆー絵を
屋外に置いておくんだろう・・・よくわからん雫



境内にベンチはなかったけど、マジで疲れてたので、
拝殿の石段に腰掛けて(すみません)ちょっとおやつを食べながら休憩・・・

早く帰りたいのはヤマヤマだけど、ここまで来たら
西町エリアはあと2つ。
もうちょっと頑張って、全クリアしたいなダッシュ


境内から見える風景はこんなの。


       三原・大島神社27


写真のちょうど真ん中へんが三原駅。
写真じゃわかりにくいけど、いちおう天守台も見える。
昔はいい眺めだったんだろうな~。




大島神社を出て、お次は妙正寺(場所はこちら)。


       三原・妙正寺3


       三原・妙正寺5


今回は結構あちこちで、木に泣かされましてねえ・・・
建物がきちんと撮れなかったところが多かったな。
ここもそう。


 【三原市重要文化財 
  妙正寺6棟 附棟札9枚 祈祷札1枚

  妙正寺は、三原浅野氏の菩提寺として延宝2年(1674)に米田山麓に
  創建され、享保8年(1723)から現在地に移された。

  本堂は、『無量山妙正寺略記』によると、延宝2年に創建された堂を享保9年に
  移築したものである。棟札によると、その時に規模を拡大し、屋根を二重とするなど、
  現在の姿となった。内部に僅かながら延宝創建時の部材や享保移築時の改変の
  痕跡が残るが、ほとんどの部材が享保移築時のものと考えられる。

  正面や両側面の廻縁上に設けられた海老虹梁や向背の虹梁頭貫といった部材は、
  享保頃の特徴をよく表している。

  本堂のほか、庫裏・鐘桜堂・最上殿(番神社)・山門・墓所門といった
  主要な建物がすべて残っており、棟札等により建立年代が正確に判明し、
  享保年間(18世紀初期)で統一されていることが高く評価され、また
  現存例の乏しい日蓮宗寺院の遺構としても貴重である。

  なお、棟札は建立年代を知る上で重要な資料となるため、附けたりとして
  指定されている。】
  (現地解説板より原文のまま。漢数字は戦国ジジイが変換)


他にも色々三原市の指定文化財を所蔵しているそうですが、
その中にはこんなのもあります。

 【紙本著色浅野忠真像

  三原城主3代浅野忠真は、元和4年(1618)紀州に生まれ、元禄7年(1694)
  77歳で広島で没した。
  この画像は、僧形になっているので、忠真が天和3年(1683)剃髪し、
  道仙と号した66歳のときの出世像と思われる。
  妙正寺は忠真の創建になり、三原浅野家の菩提寺である。】

この名前・・・覚えてますか?
月姫様が江戸で一目ぼれしたっていう、あの忠真さんですよ(笑)。
忘れた方は、「三原編(23)」でおさらいして下さいね。

どんだけイケメンだったんだって興味津々だけど(笑)、
三原市のホームページにも画像は載ってないしな。残念。
まあ、66歳の、それも僧形じゃね・・・

月姫様を虜にした面影も、果たして残っているのかどうか・・・
って思いっきり失礼だな。
すみません雫えへへへ。


にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年10月05日 21時57分24秒
[旅日記(中国)] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

カテゴリ

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ]
価格:2916円(税込、送料無料)







PVアクセスランキング にほんブログ村

お気に入りブログ

ほげほげと えびねっこさん

© Rakuten Group, Inc.