カテゴリ: 長崎
長崎旅行 グラバー園 長崎 2/3 からのの続きです 旧スチイル記念学校 はい大正時代の 校舎です 中は あっさりしてます 写真少ないです``r(^^;)ポリポリ 暖炉 小さいながら細かくデザインされています とても素敵なタイル 異国から運ばれてきたのかなぁ 本当に 写真が少なくて r( ̄_ ̄;)スマンスマン さて やっと ここにたどり着きました 旧グラバー住宅 スコットランド出身の商人トーマス・グラバーが 親子二代に渡り暮らした
ところどころに 日本瓦や土壁(漆喰)を使っていて 木造菱格子の天井を持つ広いベランダが特徴的 半円形ならではの 作りというのが 室内からもよくわかります 造船・採炭・生糸・香辛料・製茶・武器等の貿易を通して 我が国の近代化に貢献した あの五代友厚率いる薩摩藩の19名の藩士も グラバーの援助で 英国留学を果たし 彼らは帰国後には 日本の近代化に貢献しました そうそう 日本初の 蒸気機関車もグラバーが長崎で走らせました 廊下も 採光が入るようにデザインされてます おツレの方 いたくこのデザインが気に入ったご様子 ぜひ 次に建てるお家に 取り入れてくださいな (いつのことかわかんないけど((^┰^))ゞ テヘヘ ) どこを見ても 素敵なグラバー住宅 トーマス・グラバーは1859年(安政6) 21歳の時に長崎へ来航 外国人居留地として定められた南山手に自邸を建てました 大きな松の木のすぐ横に建てたので「IPPONMATSU」という愛称をつけ 周囲からも「一本松邸」と呼ばれたそうな グラバーが1862年(文久2)に設立した会社「グラバー商会」が 1870年(明治3)に倒産し 住宅は弟のアルフレッドに譲渡 アルフレッドは管理人として 居留地の人々に貸し出しました アルフレッドの死後 グラバーの息子の倉場富三郎夫妻が この住宅の権利を取得 住居としました 息子の 倉場 富三郎も 日本に多大なる貢献をしています 我が国にトロール漁法を導入したり 紳士クラブ「長崎内外倶楽部」を設立 当時 外国人専用のゴルフ場が多かった中 日本人も利用可能としたコースを作ったり ゴルフを通して日本人と外国人の交流の場を作りました 終戦後はアメリカ進駐軍の接収を経て1950年(昭和32)に長崎造船所開設100周年を記念し 長崎市へ寄贈され 翌年から一般公開に至りました 燦々と降り注ぐ陽の光と 窓の向こうの眼下に長崎港がよく見えます そして 1939年(昭和14)第二次世界大戦が勃発この住居からの絶景ゆえに 戦艦武蔵の建造機密保持という理由で退去 日本で生まれ育った富三郎なのですが 外国人の血を引くということで スパイ容疑がかかり 官憲の監視下に置かれることになります 富三郎は 戦後すぐの 1945年8月26日に 自殺をしました 2年前に妻のワカに 先立たれ傷心の折 スパイ容疑が・・・ なんとも 悲しいお話です と 帰り道の坂の途中 すごい 人だかりのお店 南山手プリンを発見 (人混みが去った瞬間撮りました(^_-)v ) プリン専門店の 南山手プリン ステンドグラスです とっても 美味しゅうございました(๑´ڡ`๑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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