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カテゴリ:制度あるいは教育論
わかるとわからないの<間>。
「ガラパゴス通信リターンズ」さんの記事は、主張のポイントがどこなのかわかりにくいのだけれど(笑)、いつもたいへんおもしろいし啓発的である。 ある日の記事を拝読して、おもしろいなぁと思った。記事の前半部分が本当は大切なところなのかもしれないのだけれど、俺は後半部分に惹かれてしまった(恐らく加齢御飯さんの狙い通り)。 そうした由来をもつこの団地には、「黒人兵の幽霊が出る」という噂が絶えない。戦争で命を落とすのは、常に貧しい人たちだ。ベトナム戦争で死んだのは、圧倒的に黒人である。団地に住む奥さんで霊感の強い人がいる。彼女は黒人兵に突然、肩をつかまれたといっていた。その他にも幽霊の目撃情報はかずしれず。住民たちは公団にお祓いをするよう申し出た。それに対する公団の回答がふるっている。お祓いは神道の儀式だから、黒人には効かないだろうというのだ。 なるほど。一理ある。「信教の自由」を持ち出すより説得力があるような気もする。それでは黒人霊歌でもみなで歌えばよいのだろうか。ウイシャル・オーバーカムとか、アメージンググレースとか…。しかし下手に歌うと、鎮魂どころか幽霊が暴れだすのではないかと、心配になる。 皆さん、こんな文章を書く大学教授が世の中にはいるんですよ。 俺の大学には、こんなにおもしろく物事を語る教授がいただろうか?(あまり行っていなかったのでわからない。) もちろん、引用部分の前半だって、たいへん問題意識を感じさせられることなのだが、やっぱり、加齢御飯さんの「狙い」の方に俺は引っ掛かってしまった。 ちょっと、コメント欄での、足踏堂(学生役)と加齢御飯さん(教師役)のやりとりを引用。 >お祓いは神道の儀式だから、黒人には効かないだろう ふるってますねぇ。 こうした感覚をお持ちの方々には、宗教っていうのは普遍的なものではないんですね。おもしろい。 しかし、幽霊の方は普遍的。普遍的なものに対して、特殊的なもので対応しなければならないというのは、なかなか骨の折れることですね。笑えました。 お祓いというのはきっと宗教儀礼ではなく、呪術なのでしょうね。だから「特殊」になってしまう。しかしたしかに幽霊は通文化的に姿をみせる(つまり普遍)なのに呪術の方は文化的制約を受けるというのは、おっしゃるとおりなんともけったいな感じをもちます。 さて、俺の日記は、この問題についてもう少し書くことを目的とする。 いろんな方向に広がる可能性がある話なのだが、ここでは、いくつか覚書的に。 ■幽霊はいるのか? まず、子どもみたいな疑問(笑)。 ええと、初めて見るものを「幽霊」と認識できるためには、「幽霊」をまず知っていないといけない。知らなきゃ、もし<幽霊>を見たって、それが「幽霊」ってことがわからないわけで。 まずは、そういう認識論的問題がある。 だから、団地の由来を聞いて初めて、「幽霊」が見えるようになった方々もいらっしゃるんじゃないかと思えてしまう。 まあ、こりゃ、どうでもいいとも言えるし、実は後に続くところで重要ともいえる。 ■神道は普遍ぢゃない お祓いは黒人には効かないと。 しかし、黒人ってのは人種的分類であって、宗教的分類と同視していいんだろうか? あるいは、神道なるものが、<日本niphon>人だけを対象にしたものだという、政治的言説を過剰に含ませたものなのだろうか? 俺は神道を全く信仰してないんだけど、俺の幽霊はお祓い効くのかな? 「日本人なら靖国参拝するべきだ」「日本人なら君が代を歌うべきだ」に続けて「日本人ならお祓いで成仏(?)するべきだ」みたいの無しよ。 しかし、俺はあまり加齢先生の仰られることを理解できていないようなのだが、加齢先生は「神道は宗教じゃなくて、ただの呪術だよ」って言いたいのかな?(笑) ■幽霊の何が怖いの? また、子どもみたいな疑問(笑)。 幽霊を怖がる人は多いんだけど、何がそんなに怖いのだろう。呪い殺されたって人は映画とかにはあっても、あんまり身近にいらっしゃらない。 加齢御飯さんが記事で書かれているご婦人ように、肩をつかまれたりすると、ちょっと困る、たしかに。遅刻しそうで急いでいるときに、肩つかまれたら、そりゃ困ります。 でも、まあ、肩つかまれるだけなら、とも思ってしまう(笑)。 ■通文化的な「幽霊」 「幽霊は普遍的」って書いてみた足踏堂に対して、加齢先生は「通文化的」と言い直していらっしゃる。これはけっこう重要なのかもしれない。 さっきの、幽霊はいるのか?において、認識論的問題って言ったけど、「幽霊」の存在を教えてくれるのは、個体に先行する「文化」であって、もしそれが普遍に近いのであれば、どの文化も「幽霊」を存在として認識してるってことになるのだろうかね。 で、その存在は、たぶんどこの文化でも「怖いもの」。違うとこもあるかもしれんけど。 「幽霊」って、人間関係に関係するものなのかもしれんね。アリストテレスがただしければ、人間関係が人間の本質であって、んで、だからこそ、<他者>が怖くて、<他者>を最もよく表象するものとして「幽霊」がどこの文化にも存在する、なんていうのは、深読みもいいとこか。 ■普遍 普遍ってのはどこまで突き詰められるものなのだろう。つぎ、この疑問。恐らく、どこかに議論の礎というか、立脚点を持たなきゃならんのじゃないかと思う。 でも、立脚点を持った時点で「特殊」になっちゃう。これはこれで怖い。 キャサリン・マッキノンが、人権の普遍性をいくら訴えても戦時において「敵は人間ではない」と信じ込んでいる者たちには理解不能だ、みたいなことを書いていたけど、「人間」って言葉だって「特殊」理解が可能なわけで、こりゃ難しい。 でも、普遍的な方向でも、「人間って何?」って問いに答えられるほど、俺はものを知らない。堕胎の権利を認める認めないで争っている現状を考えれば、皆が簡単に一致できる「人間」なんてないことくらいすぐわかる。 ってことは、やっぱり、どっかに立脚点は持つわけで、これが本当に難しいところ。 ■黒人兵 戦争で命を落とすのは、常に貧しい人たちだ。ベトナム戦争で死んだのは、圧倒的に黒人である。 恐らく、アメリカの田舎者な白人たちは、黒人を自分たちとは別と考えている可能性がある。だから、戦争反対なんて言わない。自民党の世襲議員たちが、戦争してもいいと思っているのと全く同じ論理。 同様に、われわれはどっかで線引きしてる。普遍を志向したって、やっぱり線引きしてる。特殊な存在なはず。 にしても、どうせ出るなら、ペンタゴンのお偉いさんのところとか、戦争を起こして金儲けしてるやつらのところに出るべきだぞ、幽霊君たち! ■死刑 死刑についてもそう。被害者に対しては感情移入できる。自分の家族が殺されたらやっぱりそう思うだろうと。 しかし、もちろん、いろんな偶然の組み合わせで、自分が酷い性格の犯罪者になった可能性だって考えうるはずだ。でも、そういう可能性は頭から捨象されている。 それは線引きしているから。自分はまともな方に入っていると無意識に思っているから。恵まれて育ったから。差別しているから。ネオリベラリズムを誘導しているから。 被害者のことはわかるから。犯罪者のことはわからないから。 「わかる」なんて相対的なものなのに、普遍を装って特殊を生きている人たち。 ■俺が考えつく、普遍への唯一可能な態度 やっぱり、俺らはある程度わかるし、ある程度わからない。そういうもの。被害者の心情もわからなければ、犯罪者の心情もわからない。そういう存在だとまず認めないといけないんじゃないかと思う。 特殊な枠に入り込んでいる自分を自覚しつつ(絶えざる自己反省!)、普遍を志向するってことしかないような気がする。 じゃなきゃ、骨が折れすぎる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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拙い文章に丁寧なコメントをつけていただき非常に恐縮しております。ところで幽霊といえば、池袋のサンシャイン・プリンスホテルは、巣鴨プリズンの跡地に立っているはずですよね。すると夜な夜なA級戦犯の幽霊が出ているに違いありません。いまは霊能力番組が全盛なので、スピリチュアルカウンセラーか何かを使って、巣鴨プリズンの幽霊たちをテレビ出演させるというのはいかがでしょうか。そして左右の論客・日韓の学者たちと議論をさせる。それぐらい度胸のあるテレビマンガ、いてもいいのに、と思います。
(2006.06.28 11:04:55)
加齢御飯さま、わざわざのご来訪ありがとうございます。
なるほどA級戦犯の幽霊ですか。その幽霊たちは、同じくA級戦犯の容疑者でありながら、アメリカと取引して罪を免れた人間をどう思ってるのかも興味深いところですねぇ。 A級戦犯にもなり切れず、国を捨ててCIAに魂を売り、ついでにカルト宗教にまで心を売った人間をどう思ってるんでしょうかねぇ。そんなやつを祖父に持つ次期首相候補に聞いてみてもわかりませんかねぇ。 しかし、巣鴨プリズンといえば、あの康次郎くんですね。私思うのですが、堤家というのは、恐らく相当に、霊感が弱いんだと思うんです。ウヨウヨまわりに漂っていても気付かない。それくらいでないと、金持ちにはなれません。 というか、彼が亡者だったんですかね、すでに。 (2006.06.29 00:50:47) |