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前回の続きを書こうと思っている内に、時間がどんどんたってしまった。
何か特別なことをしたわけでもないし、忙しくもないのに、残された(たぶん)少ない日々がどんどん減っていく。 おまけに、珍しいことに、理由もなく発熱して、数日間は元気がなかった。 熱は下がったけれど、後遺症として食欲がなくなってしまった。 料理やパン焼きはする気が起こるのに、食べたい気がしない。 前はおいしい料理のことを考えただけで、食べたい気持ちが起こったのに、今はいささか逆、食べ物のことを考えると気持ちが悪くなりそう、、、。 体重も減った(お腹は出たまま、体重だけが高校生の頃に戻った)。 こんなことを書こうと思ったのではなくて、フィクションとノンフィクションのことについて思う事の続きを書きたかった。 いろいろなプログを読んでいて、いつも思うのは、事実の重み。 実際にどこかの誰かが体験したことは、たとえそれがどんな些細なことでも、どんな平凡なことでも、刺激がある、説得力がある。 もし、小説の中で、プログに登場するような日常茶飯事や「こんなお料理ができた」「こういうパンを焼いた」といったことが細々書かれていても、たいていの場合は読者は退屈すると思う。 ところが、実際に存在する人がプログで身の回りの体験を報告すると、それが奇怪でも大きな出来事でもなくても、引き込まれる。そして、次はどんなことを体験するのかな、どんなお料理を作るのかな、ご家族はどんなことをしているのかな、などと楽しみになる。 これって、「覗き見」的な刺激なんだろうか。 前にも書いたけれど、小説はどんなに感動的でも、エキサイティングでも、ホラーでも、終わってしまうと、夢を見たあとのような空虚感に襲われる。 面白かったけれど、こんなことは実際には起こらなかったんだという、「がっかり感」。 そんじゃあ、わたしも実際に体験した諸々の冒険を赤裸々に書けばいいじゃん、と意気込んでは見るけれど、ちょっと書いてみて、恥ずかしくなるんだなー。なんだか露出狂みたいでね。 というわけで、キッチンをウロウロするだけで、日々は過ぎていく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/10/08 12:12:45 AM
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