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個人がプライベート的にインターネット上に自己表現する形態としては、今のところ、ホームページ、ブログ、掲示板、ツイッターというのが主力になっているかと思います。
最も有力視されているものを時系列的に並べると、HP→ブログ→ツイッターということになるかと思います。 この主力の変遷を見ますと、次第に手軽で即時性の高いものへと移ってきているのが分かります。 HPでは、恒常的な内容のページを構築し、それを適宜更新していくという形になります。ブログは、基本的には日記という形態を取り、日々更新され、同時に古い内容は自然と見られなくなります。ツイッターにおいては、「つぶやき」という形で、瞬間瞬間の物事が短く表現されていきます。 インターネット界においては、内容の新鮮さ=即時性が求められるという観点からすれば、こうした流れは自然な事だと言うことができるでしょう。 けれども私は、この流れに少し危険なものを感じています。それは、一文の表現毎の、その元となる思考の量の減少です。 私が自分のHPを一生懸命書いていた頃は、一つの文面を作るのに、とても時間がかかりました。もちろんHTMLとかの書き出しに手間がかかっていたのが主な原因ですが、それと同時に、コンテンツが恒久的なものになることを前提としていたので、非常に多くの時間をかけて文面を考えていたように思います。 ブログを書くようになってからは、HTMLの書き出しの手間がなくなったので、より手軽にコンテンツの作成ができるようになりました。けれども、それと同時に、文面が比較的衝動的なもの=あまり考えてない文章になってきているような気がしています。 「どうせすぐに流れて行って、古いものは人に見られなくなるから・・・。」という無意識の甘えが出てきてしまっているのだろうと思っています。 更に、この頃、たまに各種の「つぶやき」を書くようにもなっています。「つぶやき」になると、もはや思考などというものは存在せず、完全に衝動的に感情を表出してしまっているように思います。 このように、一文にかける思考(論理的思考)が減少してくると、表現される文面も浅薄なものになるのは当然です。 浅薄な文面は浅薄なりに即座に消えたり、せまい領域でしか見られなかったりすれば良いのですが、ネット上では、そうではありません。全てが一定以上の期間残り、しかも全世界から見ることができます。ネット上に、浅薄な文面≒情報が蔓延するという事態になるわけです。 これは非常に危険な状態だと私は考えています。 ただでさえ、ネット上では新鮮な情報が求められています。その新鮮な情報の最先端が「つぶやき」ということになると、深い思考を伴わない文面がネット情報の主力になるという事態に陥ります。 「考えてない文章」あるいは「衝動的な文章」が蔓延すると、人々は「それでいいんだ」と自然に思うようになるのではないでしょうか。でも、それでいい訳がありません。冷静で論理的な深い思考というのは、正常な社会では非常に重要なものです。それがあるからこそ、社会は混乱せずに平静を保っていられるのです。 掲示板は、HPが個人表現の主力であった時代から最近になるまで、ネット上で大きな地位を占めてきました。 その掲示板においては、非常に短い文章が好まれ、且つ古いものは次々と流れて行き、顧みられることはなくなっていきます。こうした特性は「つぶやき」と非常に良く似ています。 そして、その掲示板では昔から「荒れ」が問題になってきました。深い思考や推敲を伴わない衝動的な短文が原因となり、非常に感情的な言い争いが起こるという現象です。 ・・・「つぶやき」をネット上の情報の中心に据えるのは、非常に危険だと思います。深い思考を伴わない情報で、世界を満たすのは危険です。 私もなるべく手軽さに流されないように、自己表現の場は、せめてこのブログという段階で止めておきたいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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