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カテゴリ:不思議なこと
今日 京都で 父母の遺骨を納骨して参りました 私どもは 本願寺の宗徒なのですが 本願寺に西と東があるように 宗祖親鸞聖人の廟も 大谷本廟と大谷祖廟があって 私のような 普段は親鸞聖人のありがたい教えなど すっかり忘れて生活しているものにとっては 誠に ややこしい限りであります 西本願寺の門徒である 私は 大谷本廟へ行かねばなりませんが ついうっかり 大谷祖廟に行く方も お有りだそうです 私? 今回は きちんとイメトレを徹底しましたので 間違えませんでした 立派な 西本願寺の門であります そして 本願寺へお参りしてから すっかり団体旅行客の姿が見えない京都市内を 大谷本廟へ こちらは 大谷本廟の門です 上の門 計2つで 私の家が 何十軒建つことだろうかと いたって下世話なことを考えながら 納骨の手続きを追いました 本廟内に 親鸞聖人とゆかりがあるらしき窟が再現されておりました 歴史で習ったところでは 親鸞聖人といえば 難しい修行をしなければ成仏できない というのは間違いだ 南無阿弥陀仏を唱えれば 誰もが 阿弥陀如来の浄土に 救い取られる と 仰ったそうでありますが それでも ご自身は いろいろと厳しい修行をされたようで その証しの 伝承の窟でありましょう いよいよ最後の納骨を待つ間 お堂で 涙がにじんできました なんとも 親孝行な私めでありますが ネタをばらせば マスクをしている口の中に フリスクを 4個一度に入れてしまい それが きつくて 目から涙がこぼれた次第であります 父母の遺骨は 奥に見えるお堂の後ろへと運ばれました ここは みんなのお骨が混ざり合うところで 返還はできない と 何回も念を押されました そういわれると このあと どういう行程を経て 父母の遺骨は皆さんの遺骨と混ざるのか? そしてその先どうなるのか? 変なところに興味が湧きますが いずれにせよ 遺骨に 魂など宿っていないので これ以上の詮索はよします このあと 娘が予約してくれた祇園の洋食屋さんで 私たちを 納骨に連れてきてくれた 叔父に感謝しつつ おいしい 昼ご飯を戴きました 横の席には 本物の舞妓さんが二人 ランチしていました 最近は 観光客がそんな格好して 街をぶらぶらされるらしいですが お隣は 本物であったそうです 見る人が 見ると 違いがすぐわかる そうであります 叔父には世話を掛けたのですが いい供養ができたのではないかと 密かに満足しております そして 何より 本廟と祖廟を間違えることなく ちゃんと行けたことに 安堵をしている 本日の私であります お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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