中公新書『歴史修正主義』感想~3つの裁判例をもとにして
歴史修正主義という単語を聞いたのはいつのころだったか。たぶん,ここ数年のような気がする。ネット右翼だのサヨクだの,そういう文脈だったと思う。ネット上はともかく新書で読めるのならばと早速買って読んでみた。歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで (中公新書 2664) [ 武井 彩佳 ]本書は主にナチスドイツに関する歴史修正主義を,つまり史実のねつ造を扱っている。そうであるのに,どうも日本で見たねつ造,プロパガンダと大きく重なる。ともに敗戦国として,認めたくない歴史があったからだろうか・・・。ユダヤ人への憎悪を朝鮮人への憎悪に,アウシュビッツを南京虐殺に置き換えると,驚くほど重なるところが多い。長くなるので,僕は弁護士という立場から,3つの裁判例について書いていこうと思う。それは,マーメルシュタイン裁判,ツンデル裁判,アーヴィング裁判の3つである。①マーメルシュタイン裁判(1980年カリフォルニア)第1の事件は,歴史修正研究所という,ナチズムを礼賛する機関が「アウシュビッツでユダヤ人がガス室で殺戮されたことを証明できたら5万ドルを支払う」と懸賞をかけたことが始まりである。とはいえ,歴史修正研究所はこんな賞金を支払う意思はない。ネオナチを中心に,「ユダヤ人を600万人も虐殺できない。誇張している」だとか,「ガス室はねつ造だ」というデマが横行していたというのだ。日本に置き換えると,「南京虐殺で30万人も死んでない」とかを否定する層がいるが,まさにそんな感じだろう。実際,家族全員を殺されながらもアウシュビッツから生還したマーメルシュタインが歴史修正研究所に5万ドルを支払うように求めたが,歴史修正研究所は「証明不十分」として認めなかったので,マーメルシュタインが裁判に打って出たというのだ。この裁判は,裁判所がアウシュビッツの虐殺があったことについては,「公知の事実」だから証明の必要なしとしたため,和解の勧告がされ,マーメルシュタインは5万ドルの懸賞に加え,4万ドルの慰謝料までも手に入れたというのだ。胸のすくようなよい判決だが,この裁判の特徴は,「表現の自由」が大きな争点になった様子がないところだ。後々の裁判はどれも表現の自由だの,名誉毀損が問題になっていて,この事件ほど簡単には終わっていない。なお,Wikipediaで調べたら,歴史修正研究所というのは現在も存在するようだ。恐ろしいことだ。②ツンデル裁判(1983年カナダ)第2の事件は,ドイツ出身のツンデルがホロコーストを否定する活動をしたところ,カナダ刑法177条「虚偽ニュースの流布」で起訴されたという案件である。この案件はほかの2つと違って刑事事件なのであるから,多少毛色が違う。また,第1のマーメルシュタイン裁判と違って,ホロコーストの有無については「公知の事実」と裁判所が認めなかったため,検察はかなりの苦労をしてホロコーストの存在を立証しなければならなかった。しかし,この案件,最終的にはカナダ刑法177条は表現の自由に反して違憲無効だということになった。この判決はなかなか示唆に富んでいる。僕がツンデルの弁護人だったとしたらば,恐らく同じ戦術をとるだろう。なお,この点について,ヨーロッパの多くの国ではホロコーストの否定をしたり,ナチの礼賛をすれば犯罪が成立するということになっていて,表現の自由を重視する英米法と,大陸法の違いを感じるところだ。③アーヴィング裁判(200年ロンドン)最後の事件は,ホロコーストの否定をするアーヴィングが,彼を批判する本を出した出版社を名誉毀損で訴えたという事案だ。第2のツンデル裁判と違って,アーヴィングは売れっ子の歴史家であって,ベストセラーも出している。日本で言うならば・・・・・・何人か思い浮かんだが,名誉毀損になりそうだからやめておく。この事件,イギリスの裁判所でやっていたこともあって,また裁判で「ホロコーストがあったのか,なかったのか」が争点になったほか,アーヴィングが故意に資料をねつ造していたのかが争点になった。この案件,見事に出版社側が勝訴して,多額の賠償金の支払いでアーヴィングが破産に追い込まれた。デジャビュだろうか,現代日本でも名誉毀損で訴えた原告が返り討ちになった裁判をついこの間見たような気がする・・・。本書で扱っている3つの裁判例を紹介したけれど,表現の自由をどうすべきか,というのは本当に考えさせられる。真実の情報よりもデマの方が拡散力があることはたびたび指摘されているところである。そもそもデマに表現の自由はない,という考え方もありえるだろう。ホロコーストの否定というのはユダヤ人への憎悪と密接な関係があり,ホロコーストの否定はヘイトスピーチといえるとして,ヨーロッパの多くの国のように,そもそもデマを流す自由を認めず,その危険性から刑罰を持って禁止するというのもありえるだろう。実際,ドイツでは近年も年間150人くらいがホロコースト否定で有罪判決を受けているというから驚きだ。しかし,本書の終盤でも扱っているが,特定表現の禁止には危険性がつきまとう。著者によれば,たとえばトルコでは19世紀末から20世紀にかけて行われたアルメニア人虐殺である。トルコ政府は何人かのアルメニア人か死んだことを認めるものの,これが「虐殺」,「ジェノサイド」であったことを認めておらず,トルコ政府では政府の見解に反する表現を禁じ,刑罰が科しているという。このあたりは悩ましい。目をアジアに向けてみれば,中国政府は天安門事件について情報統制をしているようだ。こういうとき,表現の自由の重要さが感じられるところだ。僕が学んだ日本国憲法は,大陸法ではなくて表現の自由を重視する英米法の影響を強く受けている。なので,僕としてはたとえでデマであろうと表現の自由を保障すべきと言う考え方で生きてきた。少なくとも,受験生時代はこの考え方には一切の疑問を持つことはなかった。ただ,近年のヘイトデマ拡散,ヘイトスピーチを見る限り,考えを改める必要性というのも感じている。日本の法規制もどうなるのだろう。もっとも,太平洋戦争から80年近くも経過したのだから,いまさら日本も太平洋戦争の歴史修正に法規制がされる可能性は低いだろうなぁ・・・。歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで (中公新書 2664) [ 武井 彩佳 ]