HSHさんのIdentity
『HSHさんの退職のお祝いの会で、話す機会のなかった私の祝辞』 これまでの65年の長い間病気もせず、セクハラ、アカハラで訴えられもせず、研究者としても所長としても見事な成果を上げて、一方では自他ともに認めるリーディング・ファッションを着こなす人、当研究所のパンダとして人気と注目を浴びながら、HSHさんがここに無事定年退職を迎えられたことをお慶び申し上げます。 わたしがこの研究所でお世話になったのは1998年から2003年までの5年間で、東工大を退職したあと行き場のないわたしを前の所長のISIさんが拾ってくださったのです。その時HSHさんをはじめ多くの方々に大変お世話になりました。HSHさんはわたしが前の所長のISIさんには言えない相談を持ちかけると、「フムフム、それで?」と大変な聞き上手で、いつの間にかわたしの思っていることを全部喋らされていて、しかも問題は解決しているのです。このような人柄を持つHSHさんが次に所長になったらこの研究所がますます発展するだろうと思っていましたら、その通りになりました。 人は退職したあと、平均で15年、事によると数十年をどうやって過ごすことになります。その間、人のために尽くすか、自分を充実させるか、無為に過ごすかでその人の人生の意味が変わってきます。伺ったところ、HSHさんはこのままこの研究所で気ままに研究を続けていくと言う事でした。未完の研究を続けられるということは羨ましい限りですが、いずれそれも辞めて退職する時が来るわけで、いまは退職後の人生をどう生きるかという問題を先延ばししているということでしょう。 人はその時に自分と向かい合うことになります。心理学者のエリック・エリクソンは人がその人であるためのアイデンティティ(Identity)という概念を提唱しました。人はだれでも自分がやむにやまれずやりたいこと、こういう人になりたいという目的を持って生きています。例えば自分は研究者であるというのも、自分はこの研究所のにとって欠かせない人物であると思うのも、その人のIdentityですが、このIdentityは他の人が認めて初めてそのひとのIdentityとなります。つまり、自分は美人のセレブだと思っても、誰もそう思ってくれなければ、その人にとってのIdentityとはなりません。HSHさんは誠実で立派な研究者で、これが現在の彼の自他ともに認めるIdentityですね。 私は66歳でこの研究所を最後に日本での仕事は終わりましたが、退職後の自分と向かい合うことを恐れていました。幸い、中國の瀋陽薬科大学に妻とともに迎えられ研究室を持って学生を育てて11年を過ごす頃が出来ました。でもそれは退職後の自分と向き合う時間を先延ばししただけだったのです。 77歳で日本に帰国して一切の仕事から引退して、さあ何をして生きていくか。自分は研究者だというのはかつてのIdentityです。今の自分は研究者だよとは言えませんし、研究者だったよと訴えても周りは、そう、だからどうなの?というだけです。つまり自分のIdentityは一体なんだろうと悩みます。暇を味方にして色々と資格を取りましたが、大して意味を持ちません。今はやむなく、「可愛いオジイチャンになろう」と思うしかなく、「可愛いオジイチャン」がわたしの目指すIdentityとなりました。 HSHさんはこの先此処で仕事を続けられるということですが、いずれ本当の退職の時期を迎えます。その後の彼のIdentyは一体何でしょうか。相変わらず乗馬を楽しみつつ、みんなのパンダとして人から愛され続けておいででしょう。誰からも愛されるHSHさん、きっとこれがHSHさんのIdentityでしょうね。どうか、身体をいたわって長生きして「愛されるオジイチャン」となって下さい。