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テーマ:たわごと(26728)
カテゴリ:マスメディア
(続き)
実はこの論争、永遠に平行線のままだ。これを終わらせるためには、日本社会のパラダイムが大きく変化していることに皆認識が一致するか、端から全く別の視点を持ち込まないといけない。 インターネットは万人に新しいツールを持ち込んだ。単なる便利ツールではない。 人は誰でもいろいろなことに興味を示し、いろいろなことを知りたがる。また、多くの人はいろいろなことを語りたがる。皆、社会の中で生きているからだ。その社会にインターネットが入り込んだ。 かつて人はマスメディアから社会に関する情報を得ていた。今も基本的にその構造は変わらないが、ネットが情報源としての重要性を増すほど情報のメニューが豊富になり、人は自分で自由に情報源を選べるようになる。 かつては個人として社会に情報を発信することは困難だった。今は誰でもネットを通じて発信できる。かつては明瞭だった情報の送り手と受け手の境が曖昧になりつつある。ここでも人の自由は拡大している。 人だけではない。企業や各種団体もそうだ。自由に活動できるものは、その役割も大きくなっていく。言論の自由、報道の自由、表現の自由。これらは報道機関の専売特許ではない。今や誰もがこれらの自由を使えるツールを得た。世の中で情報を扱えるプレーヤーは、数も種類も増えている。既存のプレーヤーの役割は変わっていく。 報道機関にとり、ネット社会は自らを滅ぼす危険な存在では必ずしもない。むしろ報道機関が新しい役割を担い、飛躍できる絶好の機会を提供しているとも言える。もともと報道機関は情報の受け手であり、同時に送り手でもある。 受け手としてみれば、インターネットの到来で強力なツールが新しく生まれたことになる。ネットには、報道機関独自では拾えきれない情報が拾えきれないくらい存在する。が、ニュース源としてネットが未だ発展途上段階にあることもあり、また、報道機関自身の意識改革も完全には進んでいないため、このツールは実際には十分活かされていない。しかし、いずれその重要性に皆気付くと思う。 送り手としてみても、インターネットは新しいツールだ。新聞は、号外は別として1日に多くても2回しか発行されないが、ネット上のサイトなら1日に何回も新しいニュースを流すことができるから、速報性が格段に増す。画面もカラーで、見た目も良い。テレビはどうかと言うと、もともと速報性がありフローは得意分野だが、不得手なストックのツールとしてネットが利用できる。 今でもそうだが、報道関係サイトを一通り覗けば一応、主要なニュースはほぼすべて把握できる。我が家のように年に1回一定額を支払えば無制限にネットサーフィンできる家庭では、「ニュース=無料」という思いが強く、更にお金を支払ってまで新聞を買おうという気にはならない。敢えて新聞を読むとすれば、速報性や目新しさの故ではなく、(1)事実関係を詳しく知りたいからか、(2)事実が持つ意味について解説を読みたいからか、(3)広告を見たいからか、(4)パソコンで目が疲れているからだ。(3)と(4)だけのためなら新聞は買わないだろう。だから新聞各社は(1)と(2)で頑張らないといけないと思う。 新聞、雑誌、テレビが有り難いのは、世の中に無数に転がっているニュースをとりまとめて、分かり易いように報道してくれるから。これからは、報道機関以外がネット上に転がすニュースがますます増える。ばらばらに転がっていると、拾うのが不便だ。誰かがとりまとめて、分かり易いように再発信してくれると有り難い。報道機関にはそのためのノウハウと能力がある。Google Newsは報道機関のニュースを機械的に集めているだけだから、プラスαの作業が必要になる。 で、記者クラブは? 個人的には廃止してしまうべきと考える。強硬な廃止論は外国から来るだろうから、日本新聞協会は日本の「歴史的背景を持つ取材上の組織、ルール」を盾にして抵抗するが、11日の日記で触れた記者クラブ問題検討小委員会の見解は、フランス革命直前の王室を思わせるものだった。もともとEUからの提案に対する答えではあるが、ネット社会に対する認識は微塵もない。 役所にとっても記者クラブ加盟各社にとっても記者クラブは便利なものであるが、それ以外の人や団体にとってはそうした便利さはどうでもいい。日本社会全体にとっては記者クラブはない方がいい。記者クラブがなくても役所からの情報は外に出る。迅速性を確保することもさして難しくない。記者クラブがなくても、報道機関の取材・判断能力がまともであれば、社会全般が得られる情報の質が低下することもない。記者クラブがなくても首相や外相の外遊が取材できなくなる訳ではない。記者クラブがあるから国民は盲目にならずに済むという報道機関の奢りは、国民を小馬鹿にしたものでしかない。護送船団に乗っていると護送されているのが分からないのだろうが、記者クラブがないと仕事にならない報道機関であれば、そのうち淘汰されるのがオチだ。 <あとがき> 人は誰でも、公の場で何もかも包み隠さず話すなんてことはしません。公の場で話すことが適当でない内容は山ほどあります。むしろ、そういう話の方が多いのではないでしょうか。だから、ある程度の内密性や閉鎖性がないと、公には外に出てこない情報は入手し難いのだと思います。そういう情報を「特ダネ」と言うのであれば、「特ダネ」を得ることはその報道機関にとっては良いことかも知れませんが、社会全体にとっても良いことかどうかは分かりません。役所やその他のニュースソースが意図的に世論操作するためにリークしたことかも知れないからです。芸能情報は別として、「特ダネ」は常に両刃の剣だと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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インターネットで仕事する人間としては可能性を見るほうです。
新聞は楽しい部分をつまんで見ます。 まあ、そのうちペーパーはなくなるんじゃないでしょうか? 国と時代は変わるから我々もあわせて変わる以外にないですね。 ありがとうございました。 (Mar 14, 2005 08:18:56 AM) |