タヒチからやって来たフランス人
オーガニック・ノニジュース お試し ノニ原液 2種セット長期熟成発酵タヒチ産&クック産 1000ml×2本 as今日、空港からウーバーに乗せたカップルがヨーロッパから来た感じだったので、どこから来たのか聞いてみると、「タヒチ」と声が返って来ました。母国はフランスで、タヒチには1年ぐらい住んでいるということでした。今、タヒチはフランス領だけど、昔は独立国家だったのだろうか?1791年から1880年まで、約90年間タヒチには王朝が存在していました。1767年イギリス海軍の航海士のサミュエル・ウォリスが世界一周航海の途中にタヒチ島に寄港し、キング3世島と命名し、ペナントを掲揚して、国王の名のもとにタヒチ島を勝手に領有しました。 これが記録に残るヨーロッパ人が最初にタヒチに訪れた記録になっています。1768年にイギリスに帰国したウォリスは、太平洋に向かうジェームス・クックに有益な情報を伝えることが出来たそうです。ヨーロッパ人が、タヒチに来訪するまでは、タヒチはいくつかの首長国に分かれ、互いの領土を巡り戦闘を繰り返す戦国時代だったが、タヒチ島北東部の首長ポマレ1世が、マスケット銃を持ったヨーロッパ人を傭兵として使ってタヒチの統一に成功します。ポマレ王朝は、ポマレ1世の息子のポマレ2世が創始した王朝になります。1880年に、ポマレ5世と20人のタヒチ人首長らは、フランスの圧力に屈して、フランスとの併合協定に署名することで、タヒチをフランスに割譲しました。1957年に正式にフランスの海外領土となりフランス領ポリネシアはフレンチポリネシアと命名されました。タヒチはフレンチポリネシアにある島の一つです。タヒチ島は、大小の二つの島が繋がって出来た島で、ヒョウタンの形をしています。1966年から1996年にあたり、フレンチポリネシのトゥアモトゥ諸島では核実験が行われていました。トゥアモトゥ諸島は、78以上の環礁からなり、これは世界で最も環礁が多い地域だそうです。 そんな綺麗なとことで核実験をした罪は重いですね。フレンチポリネシの住民の75%が、タヒチ島で生活し、白人は人口の12%で、その98%がフランス人だということです。 フランス人は、教育、病院、軍事、政府関係者を数年間の任期でフランスから派遣されているとか。なるほでど、空港から乗せたカップルも、数年間の任期でフランスからタヒチに来ていたんだと分かりました。ブログを読んで頂きありがとうございます。クリックして頂くと、ブログの励みになります。 ↓↓↓↓にほんブログ村