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「オカマダンス VS ファンキーダンス」 委員長が仕掛けたこんないい加減なイベントが、結果的には主役となったこの二組にとってのちょっとした転機となってしまったようです。 しかし世の中は本当に先が見えないものですね。 インフォメーションズの方は、この後行われた全国ダンスコンテストに出場したことがきっかけで、ジャニーズ事務所に行くことになり、後のジャパニーズと開花していきます。 詳しいことは記憶が曖昧なのですが、当時EW&Fの「宇宙のファンタジー」が驚異的な大ヒットをしており、ディスコでは皆で諸手を挙げて空に祈るような、なんだか新興宗教の踊りのような様相を呈しておりました。 そんなブームにまたまた目を付けた資本主義の手先が、これらの楽曲を課題曲にダンスコンテストを開催したのでした。確かアイドル系の人気ダンスコンテストみたいな、従来のコンテストとは一味違った趣向だったと思います。 参加者はいわゆるタケノコとかテクノとかオカマとか、今風に言うビジュアル系の踊り手たちでした。 そんなコンテストですから、インフォメーションズにとっては対象外だと思っていたのですが、彼らはかなり本気でSOULダンサーズとしてこれに挑戦し、選外ではありましたが、たまたま審査に来ていたジャニーズ事務所に声をかけられて、そのチャンスを掴んだのでした。後日談ですが、結局ジャニーズ事務所に所属するようになったメンバーの数名は、芸能界(いわゆるアイドル系ですね)とディスコとの割りきりが出来ず、委員長の元に相談に来たりもして、彼らは彼らなりに悩んでいた部分もあったようです。 SOULが好きで入った世界でも、それでメシを食うためにはそれなりのアイドル系のお仕事というかレッスンも受けなければならず、そこらへんの葛藤に悩んでいた子もいました。 こんなことやるために今まで踊っていたんじゃないみたいなね。 今でこそジャニーズ事務所って言えば皆が憧れますけど、当時ディスコで遊んでるような奴らにとってはガキ扱い、馬鹿にこそすれ、そんなところで働こうなんて考えるヤツはまずいませんでした。フツーに考えてもアフロ小僧とたのきんトリオはどう考え立って繋がりませんよね。 この時、委員長は確か彼らに「割り切りの問題は自分の心で決めること」とアドバイスしたのだと思います。(カッチョイイ~、ってこれはマジです) というのも、同じ思いは委員長も既に数年前に経験しており、SOULマン目指して踊ってきたのに、ある日ソウル・ドラキュラのステップ踊らされたりして落ち込んだことと同じで、 それでメシを喰っている以上は自分の好みの踊り(SOUL)以外の嫌いなことでもやらなければならず、もしそれが嫌ならば、それは趣味の世界でやれば良いことで商売にすることはできないということです。 そんな先輩でもある委員長にできるアドバイスは、後悔しない道を選びなさいということだけでした。 確かこの後メンバー・チェンジがあったと思います。 最終的にリーダーのトミー君、元ファンキードールズのボビー君は残りました。 今にして思えば、ディスコ、それもSOUL系からメージャーに昇ったのは彼らが最初ではなかったでしょうか。よくやったと思います。残念ながらジャパニーズ単独では大舞台には立てなかったようですが、皆がやろうとしたことを実現したのですから大したものだと思います。少なくとも踊りで勝負して踊りで這い上がったと言う点では、70年代のディスコ史に名を残すグループだったのではないでしょうか。 ということで、もう一方のシルエッツですが、これがまた歌舞伎町界隈のちょっとした有名人のような存在になってしまい、本人たちも結構その気になったりしておりました。 そんな頃、タイムリーな仕事依頼が舞い込んできたのでした。 またまた、RCAレコードのA氏から、今度はシルヴィー・バルタンの来日イベントのお手伝いを頼まれたのでした。 さすがフランスでもディスコブームの渦は巻き起こっており、なんと大御所シルヴィー・バルタンもディスコソングを歌うことになったとのことでした。 原曲はクラウディア・バリーの愛しのジョニーで、もちろんフランス語のカバーバージョン、タイトルはディスコクイーン(って本人のシルヴィーがクイーンってことなんでしょうね)、サビの部分だけが英語で「Dance, dance Disco Queen」っていうちょっと変わったレコードのプロモーションでした。フランス語だろうが英語だろうが、どのみち日本人にはわからんだろうって、とりあえずの緊急来日プロモーションでした。 企画は「ディスコクイーン・ダンスコンテスト」というもので、対象は女性だけで、踊りもさることながらファッションも選考対象という、フランスっぽいおしゃれな企画でした。 そこでA氏からの依頼は、テレビ、雑誌の取材が沢山集まるので、できるだけ見栄えの良い参加者を集めて欲しいとのことでした。 ここで委員長の頭の中のランプが「ピンポーン!」と音入りできらめいたのでした。 丁度いいじゃん、シルエッツ!これ使おうよ。 ってなことで、話題作りにオカマを出しても良いですかとA氏に尋ねると、「え~?ほんとのオカマなの?」とちょっと難色を示しましたが、絶対に話題になること間違い無しだからと強引に説き伏せて、シルエッツの二人を登場させることで押し切ってしまいました。 コンテスト会場は赤坂マンハッタン。審査委員長はもちろんシルヴィー・バルタンご本人です。会場にはお馴染みディスコ協会系の方々も見えておりましたが、さすがに中近東ファッションはおらんわね。衣装こそは派手なねーちゃんたちでしたが、俗に言うディスコファッション系みたいなのばかりでワンパターン、その中でモロに新宿スタイルのアラビアンナイトのような妖しいファッションの二人はひときわ輝いていたのは言うまでもありません。この二人が登場しただけで、すでに勝負アリです。 委員長は未だ成しえなかった「ヤラセ」のひっくり返しを、遂に実現できるかもしれないという期待に胸弾ませました。いつもながら今回も、どうせ優勝は決まっているのだろうと薄々は感づいていましたが、審査委員長がシルヴィー・バルタンというところがミソで、フランス人は主張が強いし、本人が気に入ってしまえば回りが仕込んだヤラセだってひっくり返る可能性は十分にあります。 とは言うものの、メインは曲のプロモーションですから、予選だ本選だ、花だ提灯だ(こればっかですね)と、もう嫌と言うくらい「ディスコクイーン」が流れっぱなしの会場でしたが、皆結構マジで踊っておりました。案の定、委員長の仕込んだ色物「玉三郎」は会場でも異色の存在、メディアも面白がって見守っています。 最終選考でシルエッツ(もちろん女の子の方ですよ)が勝ち残り、なんと準優勝を勝ち取りました。(残念ながら、やっぱり委員長の思惑通りにはいきませんでしたネ) 優勝したのは、ディスコっぽい黒革のパンタロン・パンツに浮世絵風の薄ジャケを着たフリースタイルダンス系のおねーちゃんでした。 (う~ん、怪しいなぁ、やっぱヤラセかなあ、ってお前もじゅうぶんヤラセだろ) ところがここで驚いたことに、シルヴィー・バルタン自身が玉三郎に特別賞を出すと言い出したのでした。 これは本当に番外というかシナリオ外で、主催者側も賞品等用意してありませんから、お馴染みの試聴盤の詰め合わせやら、プロモ用シャツやらを間に合わせの副賞として用意してくれて、バルタンさん自身から手渡してくれました。バルタンさん、さすがフランス人です。このおしゃれなジョークが気に入ってくれたようでキッスのオマケまで付きました。 (チキショー、玉三郎の野郎うめぇことやりやがって、一番美味しいトコもっていきやがった) 地団駄踏んで悔しがった委員長でした。 ちなみに翌日のスポーツ新聞や翌週発売の女性週刊誌にも写真や記事が載り、取り敢えずは委員長の目論見どおり話題提供は結果オーライ大成功でした。 そして、なんと委員長を更に驚ろかせたのはバルタンさんの次の一言でした。 「彼女も一緒にテレビに出して」(もちろん準優勝のシルエッツの片割れ女性のことです) 実はこの企画の目玉として、優勝者が「独占大人のチャンネル」というテレビ番組にバルタンさんと一緒に出演して踊ることになっておりました。(確かテレビ東京だったと思います) それを本人自身が準優勝の彼女を指名したのですから、会場はちょっと唖然としました。 いや~、これで委員長の溜飲は下がりましたね。 ヤラセはひっくり返せずとも、蜂の一刺しはできました。 踊りはともかく、誰の目から見ても容姿とファッションでは絶対にこちらの方が上でしたからね。やったぜ! ということで、テレビは生本番で10分のスポット。 委員長はマネージャー気取りで男装の玉三郎(って元々男だろ)と共にテレビ東京に乗り込んだのでした。 いやいや、もうひとつオチがあってびっくりしたのですが、この彼女の姉さんはモデル出身のタレントで、委員長たち一行を局の受付でスタイリストやら関係者やらを伴って待ち構えていてくれたのでした。メイクから打ち合わせまで、単なる素人ゲストのクセして、これじゃまるで新人タレントのデビューみたいじゃん、って空いた口が塞がらなかった委員長。 あれよあれよと言ってる間に本番スタート。モニターに映る自分の妹の姿を涙ぐんで見つめるこのお姉様にはしばし心打たれた委員長でもありました。 美しい姉妹愛ってか。 残念ながらジャパニーズとは対照的に、シルエッツはこの数ヵ月後に玉三郎の浮気が原因で破局を迎えてしまいましたが、単なる歌舞伎町のディスコの常連だった彼らが、一応はメージャーな出番まで勝ち上がったってことで忘れられない思い出です。 しかもいわゆるオカマファッションで。 二人とも良い味出してたんだけどねぇ~。惜しかったなぁ。(何が?) オカマブームに沸いてた頃の新宿ディスコ、委員長の忘れられない、楽しくもほろ苦かった二つのエピソードでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年09月16日 07時01分48秒
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