旧制教育見直すべし。
尋常小学校時代の六年生の「讀方考査」答案。半ば身内自慢になるが、趣旨はタイトル通り、かつての教育を高く評価したい一念やみがたく、つづるものである。掲載したテスト答案は、私の母が尋常科六年、つまり今の小学六年の時の国語の答案である。当時はこれを讀方(よみかた)と称し、そのテストも讀方考査と呼んだ。もちろん掲載画像は小さく読みにくいので、横書きながら、あらためて試験問題と答案の全文を書き抜いた。かねてお茶の水女子大教授・藤原正彦氏(数学者)が「国語教育見直すべし」と強く主張していたが、私もその説に賛成である。藤原氏は、小学校に英語教育を導入せんとする勢いが盛んなのを憂え、憤っていたが、まこと然りで、今後愚かしい英語教育が蔓延するに反比例して、児童・生徒の国語能力は低下の一途をたどることは、火を見るより明らかである。以下、昭和14年ごろの讀方考査の問題・答案を書き抜いてみる。解釈困難と思われる問題文は補ってある。漢字は表示不可能な旧漢字を新漢字にした。カナは旧仮名遣いのまま。(一)書き取り。カタカナを漢字に直す。( )内が答案。キボ(規模)。 キンゾク(金属)。カタチがトトノふ(形),(整)。シテイ(指定)。コウズイ(洪水)。サイダン(祭壇)。 ランボウ(乱暴)。 トクがヲサまる(徳),(修)。 オノレ(己)。 ノべヤスい(述),(易)。 ヤク(厄)。(二)漢字に読み仮名をつける。( )内が答案。片仮名書き。貴重(キチヤウ。註:現代ではキチョウ)。 境内(ケイダイ)。 富貴(フウキ)。 釣鐘(ツリガネ)。 上海(シヤンハイ)。 細工(サイク)。 後継者(コウケイシヤ)。 本能的な執着(ホンノウテキ、シフジヤク。註: 現代ではシュウジャク又はシュウチャク)。 外郭(グワイクワク。註: これも現代ではガイカク)。(三)次の短歌の意味を書け。( )内答案。〇古のふみ見るたびに思ふかな おのが治むる國はいかにと(昔の書物を讀む度に、今自分の治めてゐる國は、どうであるかと、心配になる。《日本の國を非常に御心配になられてゐる》)。〇大宮の火桶のもとも寒き夜に 御軍人は霜やふむらむ(御所の火桶のそばにゐてさへも寒い。このやうな寒夜に、戰地にゐる將兵は、きっと霜を蹈んで、戰ってゐるのであらう)。(四)別の言い方、又は意味を説明せよ。(イ) すなどり(れふ。註: 「りょう」と読む。漁又は漁師の意)。 (ロ)よもの櫻(四方の櫻)。 (ハ)いなみ奉る心なし(不承知を申し上げる心はありません)。 (ニ)君子(修養を積んだ、身分の高い人)。 (ホ)家令(身分の高い家の使用人のかしら。註: 「かれい」と読む)。(五)次の事柄について説明せよ。(イ) 孔子は顔回には仁を、と、教えた。(己に勝って、禮に復るのが、仁である。註: 「おのれに勝って、礼に復(かえ)るのが仁である」と読む)。(ロ) 其の實行方法として。(非禮は見るな、非禮は聞くな。非禮は言ふな、非禮に動くな)。(ハ) 支那人の性質。(1.何事も始末にしない。2.働く事に餘念がない「田家(でんか)。いなかの家の意」。3.人を頼まず、世をうらまず、自分の事は自分ですると言ふ性質。4.氣が長く、のんびりとしてゐる)。以上、尋常科六年讀方考査、満点の答案の全文である。冒頭の漢字よりも、むしろ(三)以降の言葉の意味を説明する問題に驚かされる。それでいて母たちはケロッとして、日常の諸々のことにもいそしんでいたのである。小学生時代は、分別などは未熟なところが多々ある一方、決められた物事を脳中に叩き込む能力は、人生で最高に優れている。また、当時の国語の試験には、「次の文を読んであとの問いに答えなさい」式の愚問・奇問がなかった。ひたすら言葉を覚えさせる教育だった。だから総じて昔の人は語いが豊かである。パソコン世代の我々なぞ足元にも及ばぬ。特筆すべきは、最後の問題の「支那人の性質を述べよ」というところである。戦後まかり通っているような差別などみじんもないどころか、児童たちに、支那人の良いところを学ばせる教育を施して、我が日本国が思想中庸にして偏せぬ国家だった傍証さえうかがえる。なお、支那人に関する母の答案の1番の「何事も始末にしない」は、妙な言い回しに見えるがそうではない。「始末」との言葉には「いいわけ」に近い意味があり、要するに「何事もあとになって結果をいいわけするようなところがない」の意になり、これまた、支那人を称える答えとなっている。戦後の反省教育と、尋常科当時のこだわりのない教育の確たる相違が見てとれるというものである。旧制教育を見直し、そこから学び取ることはずいぶんあると思えて仕方ない。