いよいよ枯渇か。
来年のことを言うと鬼が笑うというが、今年のことでもためらわれる気がする。今年四月で楽天日記開設一周年となる。何とかこの日まで書き続けようと思うが、実は日記テーマは既に枯渇しかかっている。年末年始、リンクいただいている人々とあいさつを交わしたのは、予想外に快いものだった。おおげさに言うと、我ら皆同胞、日本人という民族意識を感じて、感動したのだ。友人を持たぬ私に年賀状は習慣ではないが、この時の日記上でのあいさつは格別の思いを味わって、痛罵や批判、中には脅迫めいた書き込みまで受けた昨年の日記のしめくくりとして、とても良い思い出となった。だが書いた通り、今年一月もあっけなく終わろうとしている昨今、急激なアイデアの枯渇を痛感して、それならと、目標を四月に置いた。休めば良いという考えもあるが、文章趣味にとって、一日ブランクを作ることはアイデア充電にはならないことを、機関誌「大一プロブック」発行で経験している。楽天さんへのあてつけでは決してないが、一銭の得にもならぬ公開日記でさえ、原稿料を得られぬ文章家の心地で書いて来たから、その日ぶんのテーマをひねり出すことは、かなりの苦痛、よく言われる生みの苦しみを伴うものである。今書いているような雑文ならばこの流れと勢いで何かしらは書けるが、テーマがなければ本日休筆同然である。さりとて日常雑記で埋め尽くすのは、元々の開設意図に反するから、よほどドラマチックな話題でも転がりこまない限り、一テーマとはならない。なお、昨年から今年へかけてのある経験から、日記リンク相手と軽々しく会うことは必ず避けようと決心した。例外がおひとかたいるが、この人とて遠方に住み、且つ多忙な明け暮れで私のようにヒマではないから、当分対面かなわぬであろう。二十項目余りに及ぶ日記候補を見ても、書きまとめる意欲が出ず筆力が不足しているのがよくわかる。思えば明治海軍を称える文章など、よく書けたものだと今では我ながらあきれるほどの筆力である。これが今はない。テーマ候補筆頭に「嫌煙権運動を憎む」と書いてあるが、理論武装その他、資料には事欠かぬが、如何せん意欲が出ない。これは軽いうつ病かとも疑ったが、他人から見れば万年うつ病のようにおとなしく無口だから、これもさほどのことではない。困った、これでは雑文羅列に終わる。だがここでテーマが形を取り始めると、一気に書き進めて、字数を過ごすおそれも出て来る。幸か不幸かテーマは浮かばない。なお、これを書いているのは一月三十日、金曜日夜十一時ごろである。ここで一旦止める。さて明けて一月最終日。日記再開である。ワードを開けるとき気づいたが、本日のテーマは「枯渇か」なので、ならば雑文・駄文でもと割り切ることとした。駄文羅列はこれまた得意というと変だが、つまらぬことをだらだら思いつくに任せて書くなら、いくらでも書ける。無論テーマがないから内容がない。一つ体重減少の話を書く。実はタバコはまだやめていないが、随分減らした。おおよそ二日に一箱の計算である。タバコをやめると太ると言う。やめてはいないが、だいぶ減った。努力ではない。この言葉、私の嫌いなものである。ほかに「負けない」・「がんばる」・「やってやる」・「今にみてろ」など。今にみてろなぞ、身内に空威張りで言うほかにどこで言うのかと怪しまれる。まさか街頭でやるわけにもいかぬ。学生時代、頭のおかしいと思われる人が、背広姿で、池袋の駅雑踏の中で、大声で演説とも何とも取れぬことをしゃべる光景をよく目にしたものだが、もしやあれは社内研修の一つだったのか。そう、思い出した、「根性」という言葉。これ大嫌い。漫画もアニメも余り「巨人の星」を見なかったのは、このことにもよる。例えば往年の名作野球漫画「ちかいの魔球」(ちばてつや氏)などは、間違いなく主人公が苦労しているのに、さわやかだった。ちばてつや氏のペンタッチと構成力のたまものだと思う。川崎のぼるだったろうか、巨人の星は、あの人の絵はきたなかった。概して劇画と称する絵はきたない。やはりペンタッチの特徴が表われる漫画のほうがきれいだ。む、テーマが入った。漫画のペンタッチの話だ。石森章太郎氏・貝塚ひろし氏・辻なおき氏・九里一平氏など、皆々一目見て、誰の漫画かすぐわかる良き特徴を備えていた。九里一平氏と来ると何といっても「少年サンデー」連載の「大空のちかい」だが、これがどうしてか復刻されない。九里一平氏は吉田竜夫氏と兄弟なのでペンタッチは似ていたが、それでも区別はついた。興味がなくて読まない漫画でも、作者を当てることが出来たから、例えばめったに買わぬ「まんが王」などをたまに買う時、知らない連載漫画だらけながら、「あ、これは貝塚ひろしの漫画だ」と思って名前を見るという、そんな楽しみ方もしたものだ。「0戦はやと」という名作漫画があったが、実は私は雑誌では見ていない。その代わりアニメはしっかり見た。衛星放送で再放送するなら録画保存するつもりだが、戦記アニメをやってくれないから仕方ない。「見よあの空に遠く光るもの、あれはゼロ戦ぼくらのはやと・・・」という主題歌は名曲と思っている。第一、歌詞の中に「平和守って今日も飛ぶ・・・」というのがあったのだ。大東亜戦争史観がどうあれ、子供にはいいドラマだったのである。うむ、思い出して来た。頭の中は既に何十年昔に時間旅行している。当時、桑田次郎と名乗った現・桑田二郎氏の「8マン」というロボット漫画いや、サイボーグぎりぎりなのか、実にさわやかな漫画があった。無論アニメも欠かさず見た。桑田次郎氏の描く主人公は、俗っぽい言い方だが、ハンサムだった。そして常に笑みをたたえている。それから、8マンのエネルギー補充の薬・強化剤がタバコ型なのである。これを吸う場面にも魅せられ、お菓子屋さんで、ガムになっているタバコ型の菓子を買って、強化剤の形を気取るのも、日常のささやかな娯楽だった。月刊誌から週刊誌へと漫画の舞台は移ったが、漫画家の先生たちは多忙を極めた。漫画家の仕事は重労働で不健康である。当時最も鮮烈だったのは、と、書くとウソになる。当時は小さくて知らず、あとから知ったことだが、「赤胴鈴之助」を書いたのが第一回だけ「イガグリくん」の福井英一氏であり、その後を武内つなよし氏が継いだと知ったのは後年のことである。だが月刊誌「少年画報」を購読したファンなら知っていたかも知れぬ。北海道にいる時、近所に「少年画報」を購読し、「赤胴鈴之助」の単行本をズラリそろえている子がいた。当時は妙な対抗意識があり、「へん、漫画ばっかりの『少年画報』よりいろいろな付録のある『少年』のほうが凄いんだ」、などと思っていたが、何、私は組立付録なぞ満足に作れなかったし、購読権(?)は兄にあったので、つまらぬこだわりである。今はあらゆる月刊誌とその連載漫画が懐かしい。「少年画報」はその子が見せてくれたが、一番うらやましかったのは、映画化作品「赤胴鈴之助」の梅若正二氏がさっそうたる扮装で巻頭グラビアを飾る写真だった。一度遊びのさいちゅうにみんなでこの子をいじめたことがあった。いつもは私が仲間はずれになることが多かったので、この事件は不思議だった。私自身にいじめ意識がなかったので、おバカな私は、この「たっちゃん」と呼んだ少年をいじめたことを、ものの数分でケロリと忘れて、この子の官舎へ近寄って「たっちゃん、あそぼ!!」と声をかけたら、この子のお母さんがガラッと台所のガラス戸を開けて、鬼のような顔を見せ、「たっちゃんをいじめたでしょ!!」とにらんだのを今でも覚えている。おばさん、すぐピシャッと戸を閉めてしまった。あとで母からたっちゃんのお母さんは気が強い人だと教わって、子供心におかしかった記憶がある。話が飛んだ。タバコのことだけを書くつもりではなかった。もう一つ下腹が出ているのが気に食わなかったので、私としては珍しくカテキン茶を飲み続けたのである。その効き目かどうかはわからないが、元旦からわずか12日間で体重が五キロ減った。初め深刻な病気かと、深刻にならずに疑ったが食事の量は変わっていないから、未だに原因はわからない。時間旅行から急に現実に戻った。きょうはおしまい。テーマを決めずに駄文を連ねるのも悪くはないと思った次第である。