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カテゴリ:コラム
ともかく、私は少年月刊誌というものを忘れられない。幼い頃はこのような面白い子供向けの雑誌を作る会社に勤めたいとの夢を持っていた。
残念ながら、少年誌のほとんどは昭和40年代に絶滅したから、万一夢がかなっていたところで、もはや私の欲する雑誌を、新しい世代たちは欲していなかったから、夢破れたりと、断念するしかなくなった。 少年期に入ると、親が特に父親が本をよく読めと言い出した。が、この男、私に言わせれば父親失格である。少年ながら、私はこの男の言いっぱなしの無能を感じ取り、作文だけは、書くほうは盛んなる趣味として続けたが、読みたくもない本なぞ一切読まなかった。未だに多くの読書を不要と心得ている。 旧軍人の経験は、多くの人に無駄ではなかったと思いたいが、この男に関しては、無駄どころか、武骨とも言えぬ妙な人格を形成せしむることとなった。 なぜ私が実の、育ての親をこうまで他人の目で分析できるかというと、この男の欠点を私が見事に受け継いで無念だからである。 内弁慶という言葉があるが、この男が典型である。事実この男は弱年の頃から外面だけいいので、誰に対しても己れを出すことなく、「八方美人」とあだ名されたと聞いた。皆々後ろ指さしていたのだ。 我が兄がろくに分別もつかぬ中学生の時分から、医者になれ、あとの職業にろくなものはないと言い続け遂に洗脳したのも、この男の仕業である。兄が私に残した当時の日記で知った。「父は医者になれとしつこく言うが、僕は機械方面に進みたい」と書いた日記がある。 のちに、三つ上の兄は、「ろくに世間もわかっていない親父に、医者になれ、医者になれと言われ続けて来たけれど、俺は今にして、それを恨みに思い、実は普通のサラリーマンになって良かったと遅まきながら思っている」と、私にだけ白状したことがある。 その時の兄の表情が出遅れた人生を悔やむ色に染められているのを見て、近親憎悪を未だに持っているこの男に、改めて心中激怒した。父子の関係でも、互いに競い合い、助け合いしながら、全体良好に続くものは少なからずある。私は生徒によくインタビューして、意外に父子の会話の多いのを知って、ほとんど感動すると共に、己れの身を無念に思った。 確かに食わせてはもらったが、私は教育勅語中の言葉のうち、「父母に孝」の父親に孝だけは断じて認めていない。 悔しいから、私は世に出さぬ拙劣な小説を原稿用紙一千枚ほど書き、その中で我が母が旧制女学校時代に交際のあった一人の人を我が父に仕立てた物語を作ったことがある。 その人は支那戦線で軍務についていた。 多分学校は旧制中学卒ぐらいだろうが、暖かみを感じさせる文面の手紙を何十通も若き母の許へ送ってよこした。 実は未だにとってある。まず、その字のきれいなこと、ついで文面の見事さ、つまり名文を書くことである。 私なぞ未だにこの人の足許にも及ばない。なにゆえか。私は偉そうなようだが、一つにはこの人の文才ゆえ、もう一つには旧制中学までの教育レベルの高さゆえと断じている。 いずれその証拠を書く機会もあろう。 ただし、ここでは超絶な文才と知識を発揮して多くのコラム集を残して一昨年鬼籍に入った、山本夏彦氏の尋常科四年生の時の作文を挙げておく。旧制教育とはいえ、年齢だけは今の小学校と全く同じである。彼は当時十歳の少年だった。神童と言われた人の多くが二十歳過ぎればタダの人という例もあるが、山本少年の非凡は、そしてのちに名物コラムと言われた彼の思想は既に、この作文にも表われていると私は判断した。 以下の一文である。 人の一生 おいおい泣いているうちに三つの坂を越す。生意気なことを言っているうちに少年時代はすぎてしまう。その頃になってあわてだすのが人間の常である。あわててはたらいている者を笑う者も、自分たちがした事はとうに忘れている。かれこれしているうちに二十台はすぎてしまう。少し金でも出来るとしゃれてみたくなる。その間をノラクラ遊んでくらす者もある。そんな事をしているうちに子供が出来る。子供が出来ると、少しは真面目にはたらくようになる。こうして三十を過ぎ四十五十も過ぎてしまう。又、その子供が同じ事をする。こうして人の一生は終ってしまうのである。 以上抜粋。旧仮名遣いを現代のものに改めた以外、すべて原文のままである。特に文章そのものは全く原文のままである。 彼はつづり方の時間に自由題でこれを書き、つづり方の先生にはほめられ、「学校と家庭」という、文字通り学校と家庭を結ぶ小冊子に掲載されたが、別に担任の教師がいて彼は夏彦少年の少年らしからぬ内容に仰天し戸惑ったから、山本夏彦少年は学校の便所で細かく裂いて捨てたという。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.06.28 08:07:45
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