カテゴリ:政治・経済・社会・文化
クロニクル 変動相場制スタート 1973(昭和48)年2月14日 1971年12月のスミソニアン合意は、つぎはぎだらけの 妥協でした。ドル切り下げに円とマルクの切り上げを セットして、固定相場制を維持しようとしたのですが、 所詮無理な話でした。 72年12月に、西ドイツでの猛烈なドル売りが各国に 広がり、再びドルの危機、国際通貨危機が発生したの です。2月に入り、各国は相次いで外国為替市場を閉鎖、 円・ドル・マルクのレートの調整に入りました。その過程で アメリカは貿易収支の赤字幅の縮小のためには、ドルの威信を 捨てても構わないという,捨て身の姿勢でいることが判明し、 日本も西ドイツも一定の譲歩はやむなしということになって いったのです。こうして、日本は1ドル=308円の固定相場に 別れを告げ(といっても、前年12月からは、投機筋のドル売りを 日銀が買支えに動く事で、辛うじて308円=1ドルを人為的に支えて いたのですが)、2月14日から、1ドル=277円のレートから始まる 変動相場制に移行すると、発表したのです。 翌3月には西欧各国の通貨も対ドルのフロート制に移行、ここに スミソニアン体制は完全に崩壊、各国通貨の固定相場制は終焉を 迎えたのです。 さて、日銀の介入もあり、スタート当初の円の値動きは、現在の 人民元の動きに似た小波も立たないような静かな動きに終始し、 10月に入っても、1ドル=260円台の取引が続いてました。大蔵省と 日銀の介入による人為的な為替操作によるもので、各国からは ダーティフロートだとの手厳しい批判を浴びたのでした。こんなところ も、現在の中国にそっくりだったのです。 この状況を変えたのは、10月に始まる第1次オイルショックの発生 でした。 現在は120円が大変な円安で、輸出企業は神風の到来とホクホク顔なの ですが、当時は今の2倍以上の270円台ですら、大変な円高だと警戒され、 輸出企業は、円切り上げ絶対反対を叫んでいたのでした。 そんなところから私は、2月に日銀が僅かばかりの金利引き上げを 実施すると(実際はするか、しないか未定ですが…)、円が買われて、 円高に振れ、輸出企業の業績に影響するとして、株式も売られて安くなる 局面が訪れる可能性が高いのですが、もしそうであれば、そこは絶好の 買い場であると、判断しております。過去の相場は円高は買いを示して います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.02.14 01:26:41
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