カテゴリ:日本経済
クロニクル 1ドル360円体制の誕生 1971年8月のニクソンショックまで続く、日本の輸出産業にとって、後年大変居心地の良いものとなった為替レートは、こうして決まりました。 しかし、設定当初はかなりの混乱がありました。当時は、物品毎に異なるレートで取引されていたからです。例えば、塩の輸入は1ドル=103円、生糸の輸出レートは1ドル=420円、陶磁器のそれは1ドル=600円といった具合だったのです。 この単一レートの設定で、輸入品は割高になり、輸出品は値下げしないと売れない状況になりました。 ところで、この単一為替レートは、日本経済の健全化を目指すドッジラインに沿ったもので、超均衡予算の実現とインフレの収束を目指す上で、欠かせない一里塚でもあったのです。 そして、この結果、日本経済とアメリカ経済との結びつきは非常に強固なものとなりました。 「アメリカ経済がくしゃみをする(軽い風邪の意でしょうか)と、日本経済は肺炎を患う」と自嘲的に語られるようになるのは、昭和30年代のことでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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