カテゴリ:日本経済
クロニクル 官営八幡製鉄所本格操業開始
1901(明治34)年11月18日 八幡製鉄所の操業開始は、一般的には同じ1901年の2月5日とされます。第1溶鉱炉に火が入り、操業を開始したのは2月8日と社史にも記されています。 しかし、勇んで生産を開始してみたものの、その後の道は平坦ではありませんでした。産みの苦しみとでもいうのでしょうか、次々と発生するトラブルの解決に追われ、日産160トンの生産能力(それまでの日本の製鉄業では、釜石製鉄所の日産25トンが最高でしたから、その6倍強の規模でした)を生かすには、ほど遠い状態でした。 技術陣は試練に耐えながら、懸命に試行錯誤を繰り返し、遂に111年前の今日、日産100トンの大台を達成したのです。溶鉱炉に火を入れ、生産を開始して9ヶ月半近く、ようやく第1関門を突破して、本格操業に漕ぎ着けたのが、今日だったのです。 しかし八幡製鉄所の挑戦は、これで終ったわけではありません。八幡製鉄所は、銑鉄の生産から製鋼・圧延までの一貫生産を目指していましたから、製鉄一貫工程の完成に向けての第2、第3の関門への挑戦が待っていたのです。全ての難問が解決し、一貫生産が軌道に乗るのは、1904年の日露開戦の直前でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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