カテゴリ:外国史
クロニクル ルイ16世処刑
1793(寛政5)年1月21日 フランス革命200年の1989年は、日本では昭和から平成に移行した年、国内的にはバブル景気に浮かれ、何人ものバブル紳士が、そうとも知らずに束の間の我が世の春を謳歌していました。そして世界では、ベルリンの壁崩壊に代表される東欧革命の年として、ソ連圏とソ連の影響力とが、音を立てて崩れ落ちていった年でした。 今日取り上げるのは、200年以上も昔のことになったフランス革命からです。223年前のことになります。丁度日本では、松平定信の寛政の改革に対する庶民の怨嗟の声が高まり、夏には彼が失脚する年に当たっています。そんな時でした。 フランス革命が本格化してから3年半のこの日、国王ルイ16世が、革命広場(現在のコンコルド広場)のギロチン台に引かれ、処刑されたのです。この処刑を口実に、イギリスがオーストリアとプロイセンによる反フランス革命包囲網に参加、対仏大同盟を形成してフランス国内の反革命派をも支援したため、フランス革命は再び危機を迎えます。 この危機に対応して登場するのが、ロベスピエールを中心とするジャコバン独裁、いわゆる恐怖政治です。革命の危機が、強力な独裁政治を生みだすのは、現代にも通じるものがありますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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