カテゴリ:社会風俗
クロニクル 菊田医師の実践と問題提起
1973(昭和48)年4月20日 ちょうど45年になるのですね。宮城県石巻市の産婦人科医、菊田昇医師が、中絶を希望して来院した女性を説得して、出産させた上で、引取りを希望する子どものいない夫婦に、実子として斡旋していた事実が、この日明らかとなりました。 菊田医師は、どうしても産むわけにいかない胎児の中絶手術をしながら、自らの行為に疑問を持つようになりました。一方には子どもを欲しながら、どうしても子宝に恵まれない夫婦が存在します。中絶は命を絶つことであり、合法的であると言っても殺人であることは動かせません。こう考えた菊田医師は、中絶に訪れた女性達を説得し、子を欲する夫婦に実子として斡旋することを決意したのです。 養子縁組であるなら、何も問題はなかったのですが、それでは女性の戸籍に養子に出した子のあることが記載されてしまいますし、育ての親の下で育てられた子は、長じて自ら戸籍を見るようになると、養子である事実を知ることになります。この2つのネックを解消する方法は実子として届けることしかありません。 菊田医師の取り上げた子を、助産婦は別室で待つ子に恵まれない夫婦に届け、「おめでとうございます。丈夫で元気な○○子ですよ」と、まるでその夫人が産んだ子のように渡したといいます。 これは美談でした。しかし、実子としての出生証明書を発行しなければ、実子として戸籍に記載されることはありません。菊田医師のこの行為は、出生証明書の偽造にあたります。こうして2年後の1975年宮城県医師会は菊田医師を除名し、また警察によって起訴された菊田医師は、半年間の業務停止処分と罰金刑を科されたのです。 しかし、業務停止を終えた菊田医師は、その後も節を曲げずに実子斡旋を続け、亡くなるまでに100名を越える命を救い、実子として斡旋したと言われます。菊田医師擁護の世論に押され、その後政府は特別養子制度を法制化し、一定の条件が整っている場合には、実子としての届け出を認めることに舵を切ったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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