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ポンコツ山のタヌキの便り

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2007年11月17日
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カテゴリ:天璋院篤姫
 前に南九州の中世史とくに中世城郭研究の第一人者である三木靖氏とお会いする機会があったとき、今和泉郷の「領主仮屋」について、その屋敷が今和泉島津家の当主やその家族が別邸として使っていた可能性についてお訊きしたことがあります。そのときに、「今和泉島津家は、島津藩の中でも一門四家と呼ばれて特別待遇を受けていた家柄であり、他の私領主と違って鹿児島城下の本宅以外に私領地に別邸を持つことが許され、今和泉だけでなく鹿児島市清水町の祇園之洲近くにある重富荘もまた今和泉家の別邸だった」ということを教えてもらいました。

 さらに最近になって、三木靖氏から『特別展図録 越前(重富)島津家の歴史』(姶良町歴史民俗資料館、2004年10月)に重富荘のことがつぎのように紹介されていることも教えてもらいました。

「庭園旅館として知られる重富荘の地は、幕末に島津安芸(今和泉家)の屋敷地であったが、明治維新以後に清水町の上屋敷から重富島津家が移り住んだようだ。昭和二三年(一九四八)、島津忠彦の時に屋敷地をそのまま活用した旅館『重富荘』として開業した。」

 重富島津家とは、島津一門家筆頭の家柄であり、島津久光も重富家の当主だったことがありますが、彼の息子の又次郎が薩摩藩主となった後に重富家の家督を弟の珍彦(うずひこ)に相続させ、自らは薩摩藩の「国父」として藩政の中枢を掌握しています。そんな久光が住んでいたのが重富邸でしたが、重富島津家がいまの重富荘の場所に移り住んだのは明治以降のことのようですね。

また「南日本新聞」2006年4月11日の記事によりますと、「旧重富荘は、薩摩藩二十九代当主・島津忠義の父久光が重富領主時の別邸を現在地に移築したものを、一九五三(昭和二十八)年から旅館として活用していた。敷地面積は約九万九千平方メートル」としています。

重富荘は、いまは「マナーハウス島津重富荘」として式場・ゲストハウスに使われているそうです。所在地は鹿児島市清水町31-7にあります。

 重富荘が今和泉家の下屋敷だったことは、松尾千歳「篤姫の出自とその一族」(芳即正編『天璋院篤姫のすべて』、新人物往来社、2007年11月)にも記載があります。それによりますと、「文政前後鹿児島歴史絵図」内に田之浦(現在の鹿児島市清水町)の今和泉家下屋敷が2つ記されており、「「現在の地名で言えば、一つは重富荘一帯で四七一〇坪、もう一つは多賀山公園駐車場の南手で五五〇坪である」とのことです。

 それで、今日(11月17日)は土曜日なので、午前中にデジカメを持って重富荘に行き、島津久光の別邸だった頃の面影を残す和風の建物を撮影してきました。また、その建物が建っている和風庭園の眼前には、噴煙を少したなびかせている桜島が聳え立っていましたので、その雄大な姿も撮影しておきました。

   

 なお、重富荘のことは拙ホームページ「宮尾登美子の『天璋院篤姫』と鹿児島」にも追加アップしておきました。
     ↓
 「宮尾登美子の『天璋院篤姫』と鹿児島」
  http://homepage1.nifty.com/yamamomo/siden/atuhime.htm#sakura





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最終更新日  2007年11月18日 18時39分18秒
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